ひかりとよく似た病気

オールマイトに憧れていた。彼にできないことは、成せないことは何もないのだろうと、そんなことなど本当はないというのにそれさえも忘れさせるほどの万能感に、ヒーローとしての完成形を見ていた。常に笑顔を絶やさず、あらゆる現場において最善どころか全てを救いあげるオールマイトに憧れることは、おそらくは誰彼にとって必然だったと思う。彼を嫌う何者かがいるのであれば、それは悪事をなしたい敵そのものだろう。
小学生、中学生とオールマイトへの憧れだけを只管に膨らませ続けて漸く、雄英高校の不可侵ゲートをくぐり抜けた。グレーのブレザーにヒーロー科を表す袖口の二本ライン、肩口の一つボタン。これで、あのオールマイトに近づいたと信じていた。
――そんな期待と傲慢と妄執に駆られていた日から、気がつけば随分と時間が経っていた。

制服のブレザーを脱ぎ捨てて、半袖のシャツから日々訓練ばかりで小傷の絶えない腕を晒し、学校への道を歩く。重すぎるバックを肩にかけて、緑の葉が生い茂る歩道を進んでいく。
タイル張りの上をローファーが通り過ぎる。入学式から半年と経たないうちにくたびれてしまったと感じたのは、それが事実だからだろうか。
――肩が重い。


「――名字さん、」


顔を上げれば、雄英のゲートがすぐそこにまで迫っていた。名前は背後からかけられた声に振り返り、いつもと同じように微笑んだ。ひらりと気軽に上げた右手を、彼は曖昧な顔で濁した。


「緑谷くん、おはよう」
「お、はよう……名字さん、あの」
「集合時間、私間違えちゃったんだよね。緑谷くんも?」


緑谷の動きかけた口を遮ってかけた言葉に、彼は唇を結んでから首を横に振る。そうだよねとごちてしまって、思わず頬が引き攣れる。――わざわざ聞かなくとも、そんなことは分かっていた。

――雄英高校はこの夏休みの間に全寮制へと切り替わった。
神野の悪夢と世間では呼ばれるようになったあの蒸し暑い夜の一件を、名前はまだ、過去のものにできないでいる。
強化合宿で襲われたこと。爆豪が連れ去られたこと。緑谷のズタズタになった両腕。目を覚ますのに時間がかかった耳郎や葉隠。飯田や八百万、轟、切島、緑谷があの夜にしていたこと。そして、オールマイトは引退した。あらゆるものを救ったオールマイトが、まるで全てを出し切ってしまったのだと体現するかのような痩躯を引っ提げて。
緑谷は下唇を噛むと視線を左右に揺らめかせてから、僅かに震えているような声を上げた。


「……名字さんは、僕たちが行こうとしてたの、止めなかったよね」


どうして、と緑谷は肩から斜めにかけたボストンバックの紐を握りしめながら言った。
爆豪が敵連合の元にいることは分かっていた。あの日、ヒーローでも何者でもない、ただの高校生の緑谷たちが爆豪を救おうと動いた姿に、立ち止まったままの自分の足を見た。
ベッドの上で、手が届かなかったと涙ぐむ緑谷。まだ手は届くのだと拳を握った切島。救けに行くのだと揺るがなかった轟。それを無謀だと引き止める飯田。非現実的だった計画を確たるものにした八百万。
――オールマイトに憧れた。彼になりたかった。彼と同じ過程を歩めば、なれるのではないかと思っていた。


「……緑谷くんも、オールマイト、好きだったよね」
「えっ、あ、うん…?」
「私も、オールマイトにみたいになりたかったんだ。ここに来たら、なれると思ったの」


視線を前に戻して振り仰いだ先には、聳え立つ校舎がある。ここで学び続けることが最短だと信じていた。――けれど、そうではなかったのだ。いや、そうではないのかもしれないと、突きつけられたのだ。
再び緑谷の方へと向き直る。彼の白いシャツの袖から覗く両腕は、ひどい傷跡ばかりだ。
彼は彼の腕が吹き飛ぼうとも、弾けようとも、砕けようとも、どれほど血を流そうとも、まるで無傷であるような顔をして走り続けるのだろうと知ってしまった。オールマイトとは似て非なる強さで、それでいて正しい救いを選んでいる。――名前の足は、あの病室の時と同じだ。


「爆豪くんを救けにいくんだって決めた緑谷くんは、オールマイトと同じだって思った。それすら選べなかった私が、そんな緑谷くんたちを、どうしたって止められないよ」
「それは! ……オールマイトに、怒られたんだ、無茶ばかりするって。結果が良かっただけだって。多分、この後相澤先生にだって怒られると思う。僕らがやるべきことではなかったかもしれないって思う。褒められるようなことではなかったって、分かってる…だから――」
「そうじゃない」


肩にかけたバックがどさりと地面に滑り落ちた。重くて重くて、堪えきれなかった。
軽くなった身体を、八月のぬるい風が撫でていく。鋭い朝日に皮膚を焼かれながら、何もない両腕を腹の前に差し出した。
傷は、痛い。どんな小さな傷だろうと血が流れれば痛みもするし、恐怖もある。
彼にはそれがないのだろう。例え臓器の一つを抉られようとも、目の前の事象に痛みは引いていくし恐怖も凪いでいくのだろう。オールマイトは、そもそも傷を負うことは少なかったけれど、あの神野の悪夢で一歩たりとも引かなかった。踏みとどまる両脚の間に夥しい血の海ができようと、骨が折れようと、オールマイトは立ち続けていた。


「……緑谷くんは、すごいと思う。体育祭なんかの頃とは比べ物にならないくらいどんどん強くなってて、だから無茶も多いんだろうけど、無謀だとは思わなかった。緑谷くんだったらもしかしたらって、思った」


眩しい。彼の背中は危ういはずなのに、目を背けたい程の光を放っている。
彼ならばやり遂げるだろうと思わされた。それが、眩しくて痛い。名前の足元には泥濘が広がっているように思わせる。彼との相対する明度に、目眩さえ覚える。
――その眩しさに近づきたいというこの感覚は、テレビ越しに見たオールマイトのそれによく似ている。それでいて、彼とは比べ物にならないほどの薄ら寒い――畏怖のような、慄きを覚えている。
緑谷はその丸い双眸をさらに大きくさせて、言葉を探すように唇をまごつかせた。あ、いや、と言語になりきらない音を拾い上げながら、名前は落としたバックを掴む。矢張り、重かった。


「――だからさ、緑谷くんは、きっと誰よりもオールマイトに近いヒーローなんじゃないかなって、思ってる」
「そんなことない! あんなふうに、みんなを不安にさせてばっかりじゃ、全然、」
「……もしも、」


左肩にバックをかけて、言葉を滞らせながら校舎に向かって大股を踏み出した。
――彼のようにはなれない。腕が吹き飛んだら頽れるだろう。痛いと喚きもするだろう。眼前の敵に竦みもするだろう。だから、彼のようには、一生だってなれない。


「緑谷くんが立ち止まったら、私、喜んで救けにいくと思う。私もね、ヒーローになりたいから」
「――え、あ、ぅん!? え、あり、がとう……?」


オールマイトのようになりたかった。完全無欠のヒーローに、なりたかった。そうなるにはこの眩しさが邪魔だ。前を見据えることさえ敵わない光が、居座り続けている。光に埋もれて足場さえ見失いそうになる。
荷物は相変わらず重い。雄英のゲートを潜ると、校舎の左側に見慣れない建物が並んでいた。
そのうちの一つにA組の表札が掲げられていて、その前には誰もいなかった。当たり前だ。何せ、集合時間にはあと二時間もある。
芝の上に荷物を下ろして、垣根の植る花壇に腰をかけた。煉瓦のひんやりとした感覚が今は少しだけ心地がいい。
緑谷も同じように肩から荷を下ろすと、項に手をやりながら名前の前に立つとこちらをゆっくりと見下ろした。


「……さっきの話、ほんと?」
「救けにいくよって話?」
「うん、」
「ほんとだよ。だから……だから、出来るだけ早く、立ち止まってね」


実は私、優しくないんだ。
光の明滅が和らぐその時を待つのだ。彼のようにはなれないと知らしめられたからには、彼の背中が陰るその瞬間に嬉々として腕を広げに立ち上がろう。そうすれば、オールマイトのようになりたかった幼い夢は潰えない。これは決して、生温い友情なんてものではないのだ。
緑谷はそんな名前の腹積りを知ってか知らずか、へらりと笑った。


「分かった。じゃあ、約束だね」


差し出された右手は歪んでいる。体育祭で派手にひしゃげたその小指を少しの間眺めてから、同じく右手の小指を彼の指に絡めた。
太陽を背に立つ彼の表情は逆光ではっきりとは見えなかったが、どちらにせよ笑っているのだろう。オールマイトのように、どんなときでも笑うことを選んだ彼の身体は恐らく軽量で頑丈なスチールでできているのかもしれない。或いは未知の金属である可能性もある。
やっぱり緑谷くんにはなれないや、とぽつりと呟いた言葉に、彼は名字さんは名字さんでしょ、と不思議そうな顔をして微笑んでいた。

企画>> relief 様 光覚の瑕疵 提出
(テーマ:羨望あるいは嫉妬)