久しい死神
「”お久しぶりね”っていう相手」
占い師は、宣った。占星術、星回りを見るのだと言う。見るからにいかがわしい商売だ。公園の一角、仕切りもなく、布を敷いただけのテーブルとベンチを置いただけの占いコーナー。どうせ許可も取っていないのだろう。そんなのにちょっかいをかける好き物は、私と友人くらいなものだった。
「あんた死相が出てるね」。二軒目へ向かうショートカットとして公園を横切ろうとした私たちに、そう声を掛けてきたのだ。呪術師に向かって「死相」などと言うものだから、鼻を明かしてやりたくなってしまった。話が面白ければ、酒の場のネタにでもしてやろうと思える値段。聞いてやるよ、と傲岸不遜に請け負った私は、酔っ払っていた。
「最近別れたね」
「まあね。新しい出会いあるかな」
「あるよ。それが死相の源」
「そういう星がある?」
「あんたは幸せになれない星。」
私の肩に頭を乗せて携帯を弄っていた友人は「ウケる」とだけ溢すが全然笑っていない。「殺される前に殺さないとね」と非術師ながらぶっ飛んだ事を言う彼女に、占い師は続けた。それこそが冒頭の言葉だ。
咄嗟に頭に浮かんだその姿で、自分がいかに、彼を断ち切れていないのか思い知った。再会の挨拶をするような相手など、無数にいる。術師をやめた人は直接知る中でももう一人いたし。一度だけ仕事を共にしたきり会うことのない術師もたくさん。高専以前の同級生だとか、かつての合コンの相手だとか、数え出したらキリがない。そんなのは的が広すぎる。
「信じてないね」
「うん」
「その相手のことを、あんたは実はそんなに憎んじゃないない」
「実は、って何」
「あんたが一番よくわかってるはず」
嫌な気分だった。車に轢かれた猫でも見た時のような。いつの間にか寝落ちしている友人を揺り起こし、叩きつけるように金を置いて、公園を後にした。吐く白い息はいつもより濃く、ざわめく木々が波立つ胸の内を煽る。二軒目でまたしこたま酒を飲んでも、頭の片隅でちらつく影は消えなかった。
友人といるといまいち酔っ払い切れなかったのに、「またね」と別れてみると途端に頭がくらくらしはじめた。地下に降りる階段で、とうとう座り込んだ。誰も声をかけてくれるな、という雰囲気だけ抜け目なく纏っておいて、酔いが治るのを待った。
実はそんなに憎んじゃいない。確かにその通り。途方もない数の人を殺した彼なのに、小説の中の出来事のように、自分と切り離して消化していた。もしも今、彼と再会を果たしたなら、ようやく身の回りの現実として、怒りは湧いてくれるだろうか。夏油傑。その文字面が、脳裏に焼き付いている。
「やあ、久しぶり」
姿を見たからなのか、ただ意味もなく呟いてみただけだったのか、よく覚えていない。目の前にいて、私を覗き込んでいるのは、たしかにその彼だった。
「死んじゃう、わたし」
「…どうしたんだい、いきなり」
呆然としている間に、されるがままに立ち上がった。腰に回された手は、以前よりもさらに大きく、獰猛なことを易々とやってのけられるだけの危うさがあった。このまま食われてしまうのかしら。彼にとってはもう、淡い恋心を食い潰すのだって訳無いのだ。
というか、「お久しぶり」が今日の今日の出来事となるのなら、そう言っておいて欲しかった。去り際に聞いた、死相を免れる術よりも、まず先に。お守りとやらも買っておけば良かったのだろうか。
「夏油さん、あいたかった」
「だから、一体どうしたっていうんだ。終電はもうないよ。タクシーに乗せてあげるからしっかり歩け」
「…報告しないから。まだ死にたくないの」
「久々の再会だっていうのにまた随分だね。誰かれ構わず、という訳じゃないのは君も知るところだろ。まあ、報告しないでくれると助かるのは事実だから、ありがとうとでも言っておこうかな」
「よくしゃべりますね」
「こう見えて嬉しいんだよ。久しぶりだからね」
ほとんど抱えられるようにして、階段を上がっていく。地上に再び顔を出す。夜風が冷たく吹き荒んで、ふるりと体が震え出した。死にたくなければ、大義は捨てろ、って。そんな簡単で、本当にいいのかな。
「報告する気がないんだったら、せっかくだしホテルでも行っておく?」
「いく」
なんでちゃんと、人間臭いままなんだろう。驚いたフリ、をしてくれる彼にしなだれかかった。彼の残穢が残るから、明日が休みでよかった。
「吸うんだ、煙草」
彼は、知らぬ間に私のカバンから煙草を拝借している。「元彼が忘れられなくて」と女々しいことを努めて淡白に言ってみた。「大人になったね」。シーツに包まった私をしげしげと見下ろす目つきも、悠々と煙を燻らせるさまも、もう私の知る”夏油先輩”じゃない。身体つきの逞しさだって、服の上からでも十代の頃のそれではないのが見てとれたのに、邪魔な布をいっさい取り去って生身の体と触れ合ったから、いよいよ新たな恋が芽吹いてもおかしくなかった。最後に見た時は、かなりやつれていたように記憶している。少し肉付きが良くなったようで、雄の匂いに酔いしれると同時に、少しだけ、嬉しくもあった。
「あんなに酔っ払っていたのもその元彼の所為というわけだ」
「あと、占い師」
「占い?また妙なものに引っかかったね」
「同業みたいなことしてるじゃない」
「君も言うようになったみたいだ」
「もう先輩じゃないから」
「違いない」
透明度の高い煙を吐き出して、彼は軽く笑った。ちゃんと笑えているなら、彼が選んだ道もまた正しかったのだろうか。見つめる私に気付いて、キスを落としてくる。元々、そんな気配はしていたが、悪い男と言うのがぴったりだった。
「なんでまた占いなんかしたんだい。そういうの、信じるたちじゃないと思っていたから意外だな」
「死相が見えたらしいから」
「…猿が生意気だな。今度見かけたら消しておこうか」
「でも当たってましたよ」
「へえ。例えば?」
「再会するって」
「私と?」
「そう」
「…じゃあ、私とセックスした気分はどうかな?」
「身投げしたい気分」
「そりゃあいい」
ぎし、とスプリングが軋んで、灰皿に煙草をにじり潰した彼は再び私に覆いかぶさった。啄むような軽いキスを繰り返して、安っぽい応酬を彩る。
「で、君の死相とやらはどうやって消せばいいのかな。君の言った”死にたくない”と、私と寝たことには関連がありそうだ」
「欲望に、素直になれって」
「…なら、私はその猿に感謝しないといけないかもね」
「今も昔も、女に困ってるようには見えないけど」
「君のことは好きだったんだよ」
「眼中になかったでしょ、二個下の、わたしなんて」
「こう見えて本命には奥手なんだ。気付かなかった?」
「今はもう、本命じゃない?」
「未練がましいのはタチじゃないからね」
そう言うなり、深い口付けに変わった。厚い舌はほろ苦くて、同じ煙草なのにこうも人を狂わす味に変わってしまうなんて、聞いてない。執拗に唾液を絡める。首筋に痕を残す。体を撫でさする。優しいように見えて強引に、再び行為にもつれ込んだ。
「これは私がもらって行くよ」
くしゃりと煙草を握り潰して、彼はホテルを後にした。もう二度と、会いたくない。次こそ、地獄の淵を踏み抜いてしまうだろうから。腹の奥が彼の形を残していることだし、明後日も休みにしよう。一週間くらい、風邪だと偽ってもいいかもしれない。煙草のせいで、喉も痛い気がする。
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