nobody but you
『なんかあったら連絡してこい』
父親のフリくらいはしてやれるから。
続けて届いた通知に、レモンサワーの影で唇を尖らせた。隣で他学部の男がタイミングを伺うようにこちらに見てくるが、そっちのつまらない会話よりも時雨とのメッセージやりとりの方がずっと大事だった。
別に付き合っているわけではないのだから、合コンに参加していたって別に悪いわけじゃない。だけど。「もしかして今渋谷にいるか?」、というメッセージを見た時、どきっとしてしまった。それこそが、彼に対する自分の思いを裏付けている。
『そうです。なんで?』
『見かけた』
『え。しうさんも渋谷?』
『ん』
『飲み?』
『接待』
『大変そう』
『めっちゃな』
目を潤ませる熊のスタンプにもすぐに既読がついた。
『コンパだろ』
『うん』
『楽しめよ』
『うん』
画面の左から親指を立てる兎が現れる。微笑ましいギャップとは裏腹に、心には一抹の寂しさが宿たった。メッセージツールにおいて、このスタンプというのはすごく有用だ。文字だけでは素気なくなりすぎるのを、愛らしくデフォルメされた動物の絵が和らげてくれる。ただ、会話を終わらせたい時、スタンプを用いるのは大体の人が覚えのあるところだろう。接待とはいえ仕事中だから、そろそろ切り上げたいのかもしれない。
メッセージをくれた事実にだけ喜んでおけばいいのだ。
欲張る自分を戒めて携帯をスリープにした時、暗くなったばかりの画面に表示されたのが、冒頭のそれだった。
「そこは彼氏じゃないの」
賑やかな居酒屋の一角では、そんな呟きもあっという間に立ち消えた。なんか言った?と向かいの男が話しかけてきた。お呼びじゃない。
ここですぐに既読をつけるのは気が乗らない。彼とのメッセージに張り付いていることになってしまう。重い女と思われるのは嫌だから。
画面を睨みつけたままグラスを煽ると、氷がからりと動いたのに意識を取られた隙に、ロック画面はまた暗くなっていた。
耐えかねたように隣から声をかけられた。
誰とLINEしてるの、彼氏だったりしないよね?羨ましすぎ、そいつ。だって。
はは、と適当に笑って流す。飲み放題はあと一時間を切っている。二軒目に行くにしても、そろそろターゲットを定めたい頃合いらしい。人数合わせに誘ってきた友人は、元々彼女が狙っていた同じ学部の男といい感じになっている。お金は初めに幹事の子が回収しているし、お手洗いに立つのを装って店を出てももう文句は言われないのじゃないか。それか、二軒目に行く道中で体調不良と言ってフェードアウトする手もある。これには、送っていくと誰かが言い出すと厄介だけど。
ラストオーダーで、目立つ数人が中心になって、目一杯アルコールを注文する。真面目な子の多い学部が中心なので、変な一気飲み強要がないのは幸いだった。
酔いも回って、少し疲れが出てきた。本命も遊び相手でいたい人も、この場にいやしないのだから、楽しくなくたって当然だった。
未読のままにしていたメッセージを開いてもいい頃かな。さすがに生意気だったかもしれない。すぐに返しておけばよかった、同じ兎のスタンプを。あまり可愛げはないけど、同世代の男たちとの飲みに興じていると思われるよりマシだったはずだ。
『しうさん』
『接待、いつ終わるの』
ややあって、既読がついた。
『もうすぐ。お前は』
『隣の男がお持ち帰りしたがってる』
『されてみろよ。たまには年の近い男も引っ掛けとけ』
『なんでそういうこと言うの』
『若いのにおっさんと寝てばっかじゃかわいそうだろ』
『しうさんじゃなきゃいやなのに』
彼の名前を、私の携帯では打ち出せない。“とき”と“あめ”と打って、変換しないといけなくて、いつからかその時間さえ惜しく感じるようになっていた。
『さっそく親父の出番か』
『彼氏役』
『無理があるだろ』
『ないよ』
こんなかっこいいお父さん、いてはたまらない。レモンサワーを飲み干して、その間もアプリの画面を表示したままなのに、最後の吹き出しにはなかなか既読がつかなかった。
二次会のお店を決める段になって、そっとお手洗いに立った。もう一度スマホを確認すると、ちょうど返信が来たところだった。
『店どこ』
店の名前を打ち込んで返信を終え、浮き足立つままにメイク直し。合コンに合わせて選んだ当たり障りのない色のリップに、もう用はない。いつも鞄に忍ばせている、赤色のそれにしてしまおう。
私の唇を親指でなぞる時、呟かれる異国語は、きっとそういう意味だと都合よく捉えている。たとえ罵られていたって私には到底わからないのだから、好きに考えておけば幸せでいられる。
すぐ着く、という言葉通り、寒空の下で待つ時間はそんなに長くなかった。頬はまだお酒のおかげで熱を宿していて、ポケットで暖を取っていた指先もさほど冷たくない。
ごめんけど先に帰るね、と友人にことわりのメッセージを入れていると、目の前に影が落ちたのだった。
「寒いから中で待てって言っただろ」
「早く会いたくて」
「またお前は」
そう言うと、握った手の甲の関節の部分で、私の頭を小突く真似を取るから、首をすくめてやりすごす。ひぃ、とわざとらしく怖がってみると、予想していた触れ方と違って、その手はふんわりとこめかみを撫でていった。
きっと、わかっていてやっている。
「ほら、行くぞ」
と、手を差し出して。驚いて見上げる私に悪い顔で笑った。お前が言ったんだぞ、と、悪ガキのように屈託のない顔だ。
手を取って腕に寄りかかると、香水の匂いがした。甘ったるくて、少し寂しい香りだ。彼女、も私と同じような思いを抱いて、スーツの腕に絡みついたのだろうか。なんの対価もなしに、愛して愛されたいなんて。
歩き出した私たちの後ろの方で、ざわめきがやってきた。私がさっきまでいた、学生の群れだった。
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