バニラ・エッセンス
色とりどりのショッパーバッグをどっさり抱えて玄関を開けると、予想通りの無表情に迎えられた。壁に肩を預けてさらに腕を組むと、長身の脹相は今日立ち寄ったハイブランドのモデルのように様になっている。無言なのに、帰りが遅かったことを非難されているのをひしひしと感じた。
「いっぱい買っちゃった」
「好きにしろ」
「じゃあなんで怒ってるの」
「連絡を寄越せば迎えに行った」
えー、そっちなの、愛されてるなぁ、私。
踵を持ち上げて、立ったままパンプスのストラップを片手で外す。下を向いて、にやけてしまうだらしない唇を軽く噛んでやり過ごした。
裸足になると、身長差は元通り。ごめんね、と言う私の手から紙袋を貰い受けて、脹相はずかずかとリビングに向かった。
「この匂いはなんだ。甘ったるい」
「これかな?」
思い当たることがあって、左の手首に鼻を寄せた。無難で人好きのする、フローラル系の香りだった。時間の経過でまた違った風合いになると言われたのを思い出すが、香りの変化は正直わからなかった。
「あ、」
視界に影が落ちたかと思うと、背を屈めた脹相が私の手首を挟んで目と鼻の先にある。すん、と脹相は鼻を鳴らした。あんまり人工的な香りは好きじゃなさそうだな、と思って様子を見ていると、案の定の反応だった。
「好かん」
「買わなくてよかった」
「気に入ったから付けてきたんだろう」
「脹相が気に入らなかったら、持っててもしょうがないし」
ソファに腰掛けて、紙袋を大きいものから一つ一つ開いていく。春物のワンピースから始まり、バッグ、つま先の出るパンプス、それに合わせた色のマニキュア。単色のアイシャドウはずっと狙っていたハイブランドのものだ。
ローテーブルの上に並んでいく新入りたちを、脹相は何をするでもなく見ている。ちなみに、脹相が私の隣ではなくラグの上に直接腰を下ろしているのは、そっちの方が居心地がいいから、だそうだ。膝に脹相の肩が触れている。コスメをテーブルに並べるために身を乗り出すと、高く括ってある脹相の髪が腕をくすぐった。
「毒々しい色だ」
「塗ると薄づきになるみたいだよ」
「何に使うんだ」
「これは爪に塗るやつ」
私が置いたばかりのマニキュアをテーブルから取り上げて、目線の高さに掲げている。赤黒い液体を電気の灯りに透かしているのを見て、彼の術式とやらが血液に関係するものだったと思い出した。
「爪に塗って何になる?」
「手が可愛くなる」
「それだけか?」
「そう」
これが今時の小粋な装いなのだ、と語ったところで脹相は興味のなさげに一蹴するのが目に見えていた。
「だがこの色はおかしい」
「足の爪に塗ると色っぽいんだよ」
「…男はそこに色情を見出すのか」
「そうなんじゃない?」
「これを塗るならそれは履くな」
それ、とはテーブルの脇に置いたパンプスのことだった。かつて私のヒールのコレクションを見て「色が違うだけ」とか「おかしな形」と形容した脹相も、このタイプの靴を履くとどこがどう露出するのかわかるくらいにはなったようだ。
「えー、合わせるつもりで買ったのに」
「香水は俺が気に入らなければ要らないと言った」
それとこれとは少し違う。香水は元々そこまで興味がないから、恋人が気にいるというオマケがなければ高いと思っただけで。
不平の声を上げると、遮るように淡々とした口調に諭された。
「お前の手足はそのままでいい。色形は悪くない」
不意に私の手を取る。「見ろ」と、改めて言われずともよく見知っているというのに、私自身の手に注意を向けさせる。私の手は、爪はほどよく切り揃えてあって、血色が良く見えるのは間違いない。脹相の手と見比べると、女の男の性差がよく表れていると思った。ケアに余念がないのはもちろん、脹相の大きくて角ばった、血の気のあまりない爪とは違うのには理由がある。
「だってそれは、今も塗ってあるから」
ほら、と指先を揃えて見せる。ほどよい桃色なのは、半透明の薄ピンクのネイルを重ねてあるからだ。
「ほらね、綺麗でしょ」
「…透明だが」
「そうかもだけど、ちょっとピンク色がかってるの」
眼を凝らしているからなのか、思わぬところで鼻を明かされて不機嫌なのかわからないが、眉根が寄ってて怖い顔。しばらくそうして私の手を見つめていたが、表情に不満を讃えながらもようやく手が解放された。
「だがこれは好かん」
「はいはい」
軽く受け流して、紙袋の開封に戻った。脹相は何も言わないが、私の手元を観察しているのはわかる。ぱちん、ぱちん、と小気味よく音を立ててタグを切る作業を続けていると、足元で身動ぎがあって、脹相が隣に座った。珍しいなと思いつつ、春色の衣服たちを少し私の側に避けてあげると、そのスペースをすかさず脹相が詰めた。
最後の一着を再び畳んで、重ねる。クローゼットの一軍スペース行きの小山を、私と脹相の間からどかす。今度は私が間を詰めると、脹相は無表情でも、満更ではなさそう。
「実はもう一個あるんだけど」
「先に片付けたらどうだ」
「もう着てるの」
「…?朝と服装は変わらないだろう」
「うん、中に着てるから。これはさすがに気に入って欲しいな」
ブラウスの襟元のリボンを解いた。ボタンをひとつ、またひとつと外していく。ようやく意図を汲んだ脹相の目が少し見開かれた。眠そうだった目が、きり、と目尻を鋭くする。ボタンを外し切ると、脹相の喉仏が動いたのが見えた。
キャミソールの低い襟元を指を引っ掛けて下げる。胸のところで曲線を描くレースが覗いた。
「これ、好き?」
さらにキャミソールを引っ張る。胸の弱いところを守る気なんて更々ない、肌が透けるシースルーのブラジャー。デザインとそれによる性的欲求の刺激を目的にした、いわゆるエッチな下着だった。
どちらのために買ったのか、自分でもよくわかっていない。純粋に喜ばせたいという気持ちもあったし、理性を失うところ見たいという思惑もあった。
「脱がしてみる?」
「…言ったな」
それを聞いた瞬間、ぐん、と体が引き寄せられ、あれよと言う間に抱き上げられていた。感情の表出の希薄な脹相は、しかし、今は瞳孔にたっぷりと光を取り込んでいる。
脹相の太い首筋に腕を回すと、ふわり、と甘い香りがした。そういえば、体温でも香りが変わるとも聞いたような気が。
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