夢遊
「脹相」
呼ばれて、我に帰った。一番に気付いたのは、表皮がすっかり冷たくなっている事。湿度をはらんだ風が頬を撫でたので、ここが外であると知る。
「また、来ちゃったの」
「……そのようだな」
錆びた手すりに腰をかけた女が、頼りなげな夜灯の下で、少し困ったように眉を下げた。
「そろそろ通報されちゃう」
「つうほう、」
「……警邏を呼ばれちゃうかもってこと」
いって女は立ち上がる。見上げるのに背が軋んだ。目の前に立った。俯くように背を丸めていたせいだ。
受肉に際して、その器となった人間を探してきたのがこの女だ。そのあとも、夏油や真人に代わり何かと世話を焼いてくる。そして、こうして、夜の公園に迎えに来るのも、彼女の一つの役割だった。
ちなみに、女はなまえ というらしい。
「帰ろう」
伸ばされた手には、やはり意味を見出せない。この非力そうな女に、男の自分の体を引き起こす手伝いなどできるわけがない。
初めの日。その手を無視すると、こういう時は握り返すものだ、と言われた。二度目の日。何の意味があると問うてみれば、「ええ……。なんでだろうね」。大して考える素振りも見せず濁したので、女にとってその問答は面倒だったのだろう。「でも、せっかく差し出された手なら取ってよ」、女が言い終わらないうちに地面を踏み締めていたので、次があるなら、その時くらいはその白い手を取ってもいいかと思った。
「え、」
「手を取れと言ったのはお前だろう」
しんと静まり返った公園で目を覚ますのは、これで三度目だ。秋の虫も眠った夜更の気配。しっとりと冷たい外気。意識を浮上させる女の声。いい加減慣れるというものだ。なんなら、今回などは眠りに落ちる前から予感があった。きっと女が迎えに来るのも、あと一度やそこらだろう。夢遊病というらしい。肉体への順応は、これさえなければ上々だった。
女の手は、柔らかい。初めて人間の体を纏った時、自分の両手を握り合わせるなどして確かめた己の手の感触とは、全く違った。滑らかな手のひら。握り込めれば、魚の腹のように弾力があり、気味が悪いほどだ。
しかし、なぜか離しがたい。
ちり、と脹れた目蓋の奥で、傷んだ組織が騒めくのを感じた。磨りガラスを隔てたような、糢糊とした写像が脳裏に過ぎって消えた。
「……この男はお前の何だ」
「え? ……知らない人、だけど」
「嘘をつくな。この体、お前を知っているぞ」
気付けば、女の腰を引き寄せていた。自分のものとは違う、生きた血が巡る体はほのかに暖かい。突っ張るように胸を押した女の手首を捕まえた。この細さ、手触り、温度。初めて触れるはずなのに、肉体がその感触を覚えている。瞬間、まるで電気を流されたかの如く、手全体の筋肉が収縮した。ぎりぎりと女の細腕を締め付ける己の手に、しかし、自分は心当たりがない。なぜこの体はこの女を欲しがる。
「脹相、いたい」
下から立ち上った苦しげな吐息に、ぱっと筋の緊張が解けた。
「お前はこの男の何だ」
いまだ女の腰を捉えている左手は、”どちら”の手だ。
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