雪のアンダンテ
「明日は大雪の予報です暖かくしてお過ごしください」。エンディングテーマが流れると、チャンネルの替え時だった。隣の加茂くんを見ると、テレビに構わず文庫本を読んでいる。そういえば、雪の予報にゲンナリとするようになったのって、一体いつからだろうか。
「大雪だって」
「明日は任務もないから特に困ることはない」
ああ、そうそう。高専に入って、任務だなんだと仕事をするようになってからだ。実家に暮らしていた頃は、やれ冬用タイヤだ水道の凍結だ、と親が騒ぐのを尻目にわくわくしたものだ。こうしてみると、自分もずいぶん大人になったと思う。
「私も明日はお休み」
「そうか」
本に視線を落としたまま上の空で返事をする加茂くんの腕に、多少の不満を込めて頭をぐりぐりと擦り付ける。談話室とはいえ、ほかに人が来なければ、これくらいのことでは文句は言わないだろう。ご飯も食べて、お風呂も入ってしまったので、自由時間といえばそうだが、構ってもらえないとなると結構 暇である。時刻は20時。金曜の夜は21時なれば映画が始まるが、それまでが手持ち無沙汰なのだ。加茂くんの肩に頭を預けたままチャンネルをザッピングする。グルメ番組、お腹が空いてないのでなし。アニメ、これが面白い歳でもない。バラエティ番組、うーん、別に。加茂くんは画面が移り変わる度に一応とばかりに視線を上げるが、すぐに興味を失って本に向き直った。
「観るものがないなら消したらどうだ」
「今探してるの」
目ぼしいチャンネルを一周したとわかっていて加茂くんがぼやくが、だからといって一度つけたテレビを消す気にもならない。不意に子供向けの教育番組にチャンネルを回すと、子供心をくすぐる白髭を蓄えた科学者が映った。
「凍らすんだって」
「…何を」
「シャボン玉を」
主語を抜かすと大体彼は反応するので、注意を引きたい時には有効だ。予想通り、加茂くんは顔を上げた。ちょうど子役が元気よく返事をして、画面が事前収録の映像に切り替わったところだった。
「そういえば、やったことがないな」
「シャボン玉?たのしいよ」
真っ白の風景の中に、さっきの子役が飛び出す。雪だるまのようにまんまるのシルエットになるまで防寒させられているが、ロケ地が北海道だというので当然だ。雪は降ってはいないようだが、見ているだけで凍えそうなほどである。ナレーターが説明を加えたかと思うと、用意されたシャボン玉を子役がひと吹き。無数の泡が漂った。一面の雪景色の中、ふわふわと上昇した泡が、日光に照らされて虹色に光っている。シャボン玉はしばらく空中を漂っていたが、少しすると下降を始めた。凍り始めて、堆積が増えたのだろう。ついに泡の一つが地面に着地すると、待ってましたとばかりにカメラがズームした。ちら、と加茂くんを見ると、画面に釘付けになっている。童心を思い出させるような番組は案外好きらしい。
「なまえ、見ろ。結晶だ」
「ほんとだ」
見ると、泡と雪との接地面からみるみる雪の結晶が現れて、シャボン玉の表面の揺蕩いに合わせてくるくると周りながら、ついに全体を結晶が覆っていった。そういえば、21時からの映画は雪国の姉妹のアニメだ。
「これやりたいね」
「冬とはいえ京都の気温では無理だろう」
「明日でもだめかな」
「そもそもシャボン玉がない」
たしかに。というか、彼の口からシャボン玉、という単語が飛び出すのが可愛らしい。これで遊んだことがないなんて、ちょっとかわいそうだが、彼の家を思えば納得だ。思いながら加茂くんを見ると、やっぱり興味深そうに博士の解説を聞いていた。
「買いに行く?」
「…どこで買えるんだ」
「コンビニにないかな」
「見たことないぞ」
「そもそも加茂くん、そんなにコンビニ行かないでしょ」
それもそうだが、と言うも、彼の様子を見るにつけ、やってみたいという気はあるのだと思う。番組が終わってクレジットが流れ始めると、加茂くんがぱたんと本を閉じた。さて、湯冷め待ったなしか。すでに外はかなり寒いが、マフラーをぐるぐる巻きにしていけば、出れないこともない。
「行く?」と聞くと、少し置いて、「下で集合しよう」と返事があった。映画が始まるまでには帰ってきたい。
・
夏には花火を置いている店があるくらいだから、ほかの遊び道具もあると思ったが、意外に見つからない。結局、コンビニを3軒回って、ようやく保育園の近くの店舗で目当てのものが見つかった。
ビニール袋を引っ提げて外に出ると、すでに吹雪きはじめている。日中には雨がぱらついていたのもあって、車の通らない住宅街の道はすでに凍り始めていた。
「楽しみで寝れないかも」
「子供じゃあるまい」
「またそんなこと言って」
軽口を叩きながら、凍てつく地面を踏み締める。
寒い寒いと文句を言う私を、加茂くんは手を握って黙らせた。赤くなった指先も報われる。ぎゅっと身を寄せ合って歩くと、恋人同士だという実感に心が躍った。何年に一度かの大寒波も、捨てたもんじゃない。
「なまえ、21時だぞ」
「あ、映画」
高専に戻ると、消していったはずの談話室の電気が点いていて、案の定、みんな大集合だ。二人して頭に雪を乗っけて帰ってきたのを見て、皆一様に、訳知り顔である。冷やかしの視線に、加茂くんがこほんと咳払い。それでも、髪についた雪を払ってくれたりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。周囲に交際を明かしてからというもの、人前で案外恋人らしいことをするのも、意外にやぶさかではないらしい。そういうことなら、と加茂くんの頬にキスした。「こら」と彼が小さく言ったが、これくらいはご愛嬌ということで。
「楽しみだね、明日の朝」
「寝坊するなよ」
「わかってるよ」
映画に夢中のみんなの後ろで、加茂くんが私の額に口付けた。今夜は彼の部屋にもぐりこんでもいいかもしれない。だって、寝過ごすなと言ったのは彼だ。
back
ALICE+