8.5


「先代も苦労するな」
「家柄は申し分ない」
「えらいべっぴんさんだったやん。お淑やかな子やったら僕が貰ってもええけど」

腹の底では互いを罵り合っていても、こと婚礼においては名家同士は強い味方である。血筋の確約された者以外を一族には受け入れない徹底した血統思考の呪術界は、女の子供、長男以外の男子は、血筋の維持と勢力図上の重要な駒だ。
西洋の文化でいう社交界のような場が、この界隈にも存在する。もっとも、表向きは別の名目が誂えられている。
名字家が参加するのは、久々のことらしかった。

「器量が良くても、気立ての方はわからんぞ。当然反対したであろう祖父方の反対を押し切って高専に行くというのだから」
「先代もおちおちと鬼籍に入ってはいられんな」

名字家の一人娘の父親は代替わりして間もなく亡くなったらしく、その家は形式上、当代不在だ。先代というのは、彼女の祖父方のことであるが、その先代もこの座敷に姿はない。

「父親の継げなかった術式を、あろうことか娘が継ぐとは。生意気なことだ」

下世話な雑言の数々は聞くに耐えない。静かに席を立ち中座を図った。鬱屈とした座敷を今し方後にした藤柄の着物が、いやに脳裏を離れない。彼女は今年15歳と聞く。自分と重なる点が多いからだろうか。
後ろ手に襖を閉めると、昼の光が眩しい。目を細めた時、視界の隅に鮮やかな反物が映り込んだ。

それがまさに、話題の中心のその娘だった。大きく見開かれた目の淵では陽光が滲むように反射していた。彼女から、視線を外すことができなかった。予期せぬ遭遇に向こうも動けずにいたが、それも一瞬のことだった。座敷の中から一人の足音が向かって来ると、弾かれたように彼女が立ち上がった。

「こっちだ」

思わず、その頼りなげな手首を捉えていた。
困惑の表情を浮かべながらもされるがままに手を引かれるその娘、名前と廊下の角に向かって駆けた。着物に焚きしめられた華やかな香が、心を逸らせた。
座敷の出入り口の死角に入ったところで、身を隠す。息を呑む気配を、すぐ側でかすかに感じた。廊下の先、襖を閉じる音を聞く。座敷の方を覗くと、自分達とは反対の方に向かって遠ざかる後ろ姿があった。
どうやら、これ以上先を急ぐ必要はなさそうだった。小さく息を吐いて彼女の様子を伺った時、想像以上に近い距離で視線がかち合う。その時になってようやく、自分が彼女を覆い隠すようにして壁際に立っていたことに気が付いた。

「、すまない」

咄嗟に体を離せば、彼女は所在なげに視線を彷徨わせた。唇にかすかな赤い滲みがあるのを今更ながらに見とめて、それが涙を堪えた跡であったと知る。こちらの視線に気付いたのか、彼女は一度伏し目がちになって、それから改めてこちらに向き直った。冷静さを取り戻した表情は、年齢よりも大人びて見える。かける言葉を考えあぐねていると、少し声を落として彼女が謝意を述べた。

「…かまわない。こちらこそ、驚かせて悪かった」

かすかに首を振る彼女の様子は居心地が悪そうで、早くこの場を去りたがっているようだ。重ねて礼を言って踵を返そうとする姿を、反射的に呼び止めていた。

「君は高専に来るのだったね」

意図を測りあぐねたように少し首を傾けつつも、彼女がうなずいた。

「では来年、高専で」

彼女が深々と頭を下げる直前、戸惑ったような曖昧な笑みを浮かべていたのをよく覚えている。



その理由を知ったのは、次の春のことだった。
東京へ行ったという。
あの時、彼女の手を引いたことが、本来自らが取るべき行動と対極にあったことは十分に理解していたように思う。では何故そうしたかと言えば、それは同情や憐憫などという代物ではなく、ただただ衝動に突き動かされたからだ。彼女の東京校入学を知って、落胆した自分を自覚した時から、もはや言い逃れの余地もないほど心を奪われていたのだ。


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