10時に校門の前で待ち合わせた。木立から差し込む日差しには、まだあまり秋を感じない。長い坂を降っていく。坂の終着地、高専の銘板の横には、すでに、一式の荷物と共にあの人の後ろ姿があった。早めに寮を出たつもりだったが、遅かったようで早足で向かう。

「お待たせしました」
「いや、待っていないよ。来たばかりだ」

スマートに言ってのけるが、あの長い坂だ。一直線ではないにしろ、下っていく後ろ姿を見なかったのだから、どれだけ少なく見積もっても五分は前から待っていただろう。

「行こうか」

さらりと身を翻して、腕など差し出さずとも優雅にエスコートして見せる。なかなかどうして、この手の作法に心得があるらしい。スーツケースを後ろ手に、弓巻きに包まれた弓を背負って先を進む加茂さんの後ろ姿は、なにしろ見慣れない洋装で、二の足を踏む。シャツの襟元から覗く精悍な首筋に視線の離しがたさを覚えて、振り払うようにして横に並んだ

「三歩下がって、歩いてほしいですか?」
「……窮屈な話はよそう」

挑発めいた真似をしたことを反省こそすれ後悔はない。日差しを物ともしない涼やかな目元が、どんな風に歪むのか確かめたかったのだ。

ーーー

店は賑わっているようだ。少し待って案内された席で注文を終えると、沈黙が降ってきたが、かといって気まずいと形容できるほど情緒のある関係とも言い難い。加茂さんはすっかり落ち着き払っている。和服姿しか見たことがなかったが、矢を射る人らしい凛とした肩周りがシャツ一枚で瀟洒に魅せている。

「……何か?」
「洋服のイメージがなくて」
「狩衣は流石に注目を浴びすぎるからね」

窓に面した4人掛けのテーブル席。もはやエスコートなどという露骨な言い回しをするのを躊躇うような、自然の所作に促されるままに上座に座った。彼自身は通路側の席に落ち着いた。今回は真正面で向き合うつもりはないらしく、代わりに、それぞれ丁寧に防具された弓と矢が、私の向かいに立てかけられている。ここに来る前に駅前のロッカーに寄った。スーツケースは預けても、弓矢は手放さない謹厳さ。誇り高い人だと思った。

「もしかして、狩衣の理由は、弓を扱うのに都合が良いから、とか?」
「それもある。肩周りにゆとりがあるから、弓を引くのにストレスがない」
「なるほど」

コーヒーを運んできた店員は、『狩衣』やら『弓』などの単語にいまいち世界観を図りあぐねるように一瞬困惑した顔を浮かべ、戻っていった。
お互いそれぞれのコーヒーに一口、口をつける。広がる香ばしい香りにほっと溢れた息。同時に反対側からも同じ息遣いを感じて、ふと視線を上げる。お互い思うところは一緒だったようで、かち合った視線の、そのまたシンクロニゼーションに、どちらともなく破顔して、視線を外した。
……どちらともなく、は正しくないかもしれない。私の方が少し強引だったように思う。何しろ、気まずい沈黙を引き起こしたくなかったから。
軽い咳払いが聞こえて、顔を上げる。

「……君こそ、振袖の印象しかないから、少し新鮮だ。……それに以前よりもずっと大人びた」

今朝会うまで、彼の中では、まだ幼子の面影を残していた時の私の印象しかなかったのだろう。

「あれは禅院の分家の主催だったか。……あの時は君も大変だっただろう」

言われて、数年前の情景が蘇る。庭から差し込む陽光と咲き誇る桜の気配、に相対する薄暗い和室。暗い色合いの男物の着物ばかりなので、自分の艶やかな着物が途端に自分に牙を剥き、またそれを纏う自分が卑しいもののように感じられた。一人きりで挨拶して周り、やっと座敷を出た時には少しの間動けなかった。圧倒的な男尊女卑の瘴気に当てられたのだ。出たばかりの襖の裏で聞きたくもない下馬評が聞こえ出して、茫然としていた。
そこに居合わせたのが加茂憲紀、彼だった。真紀と真衣との出会いもその時だが、彼女たちは、分家の主催ということで振袖に襷掛けして厨房の手伝いに駆り出されていた。当時13才。他の子供達は皆、別の座敷で彼らの母親や姉たちに見守られながら遊んでいた。そちらの座敷は随分と華やかなものだった。

「よく考えると私たち、ちゃんと顔を合わせるの、今日で二回目ですね」
「違いない。その割に、二度目という気がしないのが不思議だな」

その感覚はよくわかる。御三家を一絡げにするのは恐れ多いことではあるが、お互い、狭い術師界で名の通る家の出身である。一つ出来事があれば、二の噂に、三の脚色、五の下馬評が湧いて出る世界だ。会ったことも見たこともない、名前しか知らないはずの人間について、“よく知っている”なんてことも割とよくある。

「白状すると、私も、加茂さんへの先入観みたいなものがあったのですけど……全然違うみたい」
「というと」
「待ち合わせに狩衣姿で現れたらどうしよう、なんて考えたりしました」
「……白状すると、実は一度東京の街中を狩衣で行動して、コスプレイヤーなるものと間違われて困った経験がある」

「それ以来、市街地ではできるだけ洋装にしている」。確かになかなかの惨事だったのだと思うが、ちょっとずれたことを至極まじめに宣う様子は、純喫茶に馴染む風情ある居住まいとはとてもギャップがある。いまいち掴みどころのない人だな、というのが今の素直な感想だ。

「……大変でしたね。加茂さんは和服姿がよくお似合いになるから」
「そうかな。……ありがとう」

コーヒーを含んで伏せた目を、そのまま窓の外に遣った彼の横顔。思い過ごしだと自分に言い聞かせるほど、奥ゆかしいつもりはない。

「ーー加茂さん、」

視界の端に気配を感じ、言い掛けて、やめた。怪訝な顔をして、加茂さんも後ろを振り返る。

「ーーいたいた。探したよ、君たち」

ゆったりとした動作で歩み寄ってくる五条悟の姿があった。店員に「僕、アイスコーヒーね」と一方的に注文すると、私の横の席に割り込んだ。

「お邪魔するよ」

傍若無人な言動はいつも通りといえばそれまでだが、思わぬ闖入者に加茂さんと目を合わせる。加茂さんも困惑しているらしく、切れ長の目から覗く虹彩がいつもよりもやや大きい。

「先生?」
「いやあ、ちょっと頼みを聞いてほしくてさ」
「……私たちに、ですか?」

加茂さんが聞く。彼も、穏やかではない予感を察知しているのは確かだった。


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