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雲一つない今日の青空を喜ぶように生簀の中のヤガラ達が上機嫌に鳴いていた。思わず釣られて口角が上がってしまう。
「ヤガラちゃん達おはよ」
呼び掛けた私の声に反応するかのようにニーニーと鳴くヤガラに柵の方から手を伸ばす。すると褒められるのを待っていたかのように寄ってきてくれて撫でさせてくれた。うん、元気で何より、とそのまま始業前の健康チェックを始めた。はじめは同じ顔に見えた彼らもすっかり個々で覚えてしまった。それはこのウォーターセブン島に移り住み食堂などで働いていたところを従業員を募集していたここの店主に誘われたからだ。そんな貸しブル屋の従業員として働き始めて、すぐに生活が出来るようになっていたのもこの豊かな街だろう事は明らかだった。
ヤガラ達の健康チェックをしている最中、遠くの方から大声含め、騒がしい音が耳に届いたと思った瞬間だった。勢いよく開店前のドアが開いてその瞬間に閉まる。入り込んできた男は息を切らして私を認識し目を丸くしたと思いきや大声で発する。
「わりィ!匿ってくれ…!くッ…」
始業前です、という少しの嫌味の一言を言おうとした私の前を全力疾走で素通りして店の奥に向かっていった大きな背中にため息を吐いた。ヤガラ達はさほど驚いた様子もなく楽しげに鳴き声をあげている。男が店の奥に消えてから、十秒もしないうちに勢いよく同じドアが開いた。そこにはスーツの男が三人並んで息を切らしていた。襟を正すようにスーツに手を添えた男は私に容赦ない目線を投げてくる。
「オイ、ここにパウリーが来ただろう?」
「すいません、なんの話か」
「しらばっくれても無駄だ!」
「いや、そう言われましても…」
両隣のスーツの男二人も真ん中の男に声を合わせるようにパウリーを出せと声を荒らげた。手に持つヤガラ達の健康記録台帳、その健康状態の欄に丸を付けながら、近くにある掃除用のくたびれたデッキブラシに手を伸ばし引き寄せた。ただの一般市民で強くもなんともないけれど、もしもの時の護身用だ。
ジリジリと攻め寄ってくる借金の取り立て屋達に後退りしたくなる足をギリギリで踏み止まる。のらりくらりとだから知りませんってとしらを切る私に詰め寄ってきた男が何度も本当かと問いかけてくる。問答無用な視線が痛い、巻き込まれている事含め、多少の悪意や疑心含む目線を浴びせられる事は少なからずこちらの精神を擦り減らしていく様であった。
「すいませんがまだ始業前ですけど、今は準備中にあたります」
もうそろそろ妨害行為として認識しますが、と震えそうになる声を律して静かながらに言葉にすれば、左右の男二人と目配せをして舌打ちをしながらドアから出て行った。バタンッとドアが壊れるのではないかと思うほどの勢いで出ていくので、大きなドアの開閉の風圧で前髪が横に流れた。
「はぁぁぁぁ〜…もう…」
力強めに握ったデッキブラシつたいに腰が抜けていく。怖かった、なんで私がこんな事に…と張り詰めた空気が解かれていくのを感じつつそのまま尻もちをついた。微かに香る葉巻の香り、背後にそっと現れた人の気配に顔だけ振り返る。頭にはゴーグルをつけて、青い職服が印象的である人、忘れることはないだろう人だ。
「イヤその、悪かったな…」
「怖かったです。コレはツケですね、高いですよ?」
腰が抜けた様にヘタリと座り込んだ状態から背後の方の顔を見上げれば、バツが悪そうに大きな身体を店の奥から小さめに丸めて登場してきたパウリーさんがいた。
ガレーラカンパニー、1番ドック、マスト職職長…との様々な肩書きを初めに知った時はあの人が?という印象だった。借金取りに追われている印象しかなかった時もあったけれど、直ぐに仕事ぶりの方が評判良く、真面目に働いている姿を見かければ借金関係は目を瞑れるくらいなネタという事なのだと知った。そのためか同じ歳と知った時には距離が離れた気がした、それくらいにガレーラカンパニーは市民の憧れなのだ。しかしこのように街のスタッフに対して腰の低い今の態度では、持ち前の剛毅さで海賊さえ追い返してしまうガレーラカンパニーの方とは思えない。
苦虫でも噛み締めている様な表情から戻れない職長さんに意地悪い私は思わず吹き出してしまった。
「ぷっ…く、フフ…、パウリーさんはもう仕事中ですよね?戻って良いですよ?」
「うっ、本当すまねェ」
少し緊張感を持たせたままであった私が笑うものだから、あからさまにホッとしているようであった。砂埃を払う様に立ち上がり、頼りにしていたデッキブラシを壁に立てかけた。
人様の勤務状況なんて知らないけれど、朝早くからトンカンと船を作る音を響かせてこの島の景気の良さを表してくれるガレーラカンパニーの事なので想像容易い。明るい髪の色の頭に手をやりつつ苦笑いをする職長さんもファンがいるくらいの人気な方というのも知っている。戻るかァ、と後頭部をかきながら、外を警戒する背中に声をかけた。
「でもパウリーさん、その…借金は駄目ですよ」
「お、おう」
「返せないなら借りないというか…」
前職の住み込みで働いていた食堂から含めて昔からいきなり現れては匿うこともあるけれど、事実として色々な方を巻き込んでいる事には代わりない。借金取りだって好き好んで追いかけているわけでもないと思っている。そう、結局のところ自業自得で招いている結果である。そんな至極当たり前な事を私が言っても変わりない上に余計なお世話だと知っている。けれど思わずその周囲を警戒する情けない背中に向かって言ってしまった事で軽くなったはずの空気に淀みが生じた。
「わかっちゃァいるけどよ…」
「いえ、…すいません」
淀んだ空気を読んだのかというタイミングであった。グルル…と低いお腹の音が鳴り響いた。響く様な大きな音でも何でもないけれど、ただこの空間には似つかない間の抜けた音で非常に目立っただけだ。もちろん鳴らしたのは私ではない。どこか顔を赤くしている大男である事は明確であった。
「朝食べました?」
「あぁ…」
言い淀んでいるところを見ると、食べていないか、食べたけれど出先の最中にでも借金取りに見つかって散々追いかけ回されたからお腹でも減ったのかもしれないと予想した。今日は会った瞬間から情けないところのオンパレードだ。最早呆れて笑えてきてしまう姿に、待っていてくださいと声をかけ受付棚にある私物を小走りで取りに行った。でもその荷物をいざ手にすると戸惑いが生まれた。
それはやり過ぎじゃないかと私の中の私が問いかけてくる。私のお気に入りのランチバックの中には、夕飯の残りの水水肉を挟んだサンドウィッチ入っている。瞬間考えた事もなかったことにして、ランチバック片手に小走りで戻りそのまま彼に突き出した。
「軽食です、コレ食べてしっかり稼いでくださいよ」
「良いのか?」
「はい。パウリーさんだと一口程度でしょうけど、それでもよければ…ですが」
「すまねェ、恩にきる」
「ふふ、それはどうも」
こちらのお節介を受け取ってもらえたことに安堵し笑う私に、ウッと詰まるパウリーさんが頭をお礼のためか少しだけ低くした。クスクスとまた笑い直して、きっともうスーツの方々はいませんよと声をかけた。片手には私のランチバックを手にして、もう片手はドアにかけるパウリーさんの背中の大きな1の数字をぼんやりと眺める。多少ランチバックが浮いてしまうけれど、逞しい背丈含めて職人さを醸していてやはりガレーラカンパニーの人なのだと思い返す。アンバランスな姿と逆光含めてとても眩しく感じられた。
「ありがとうな!」
振り返って満面の笑みで出ていく姿をみて、軽く見送るように振っていた手が止まる。いい歳なのに自身の魅力に無防備、無意識、無頓着な事を垣間見た一瞬。その嬉々とした笑みに、あぁこれは人気あるわけだと再認識した。
騒がしい人物が去った生簀のスペースはやけに静かに感じられた。始業前の書類整理をしながら、昨日の夕飯を思い出す。私がよく作るありきたりな味付けだけれど、昨日食べた限りでは美味しかった筈だ。少なからず前職の食堂で一応磨いた料理のウデもあるから一般的にみても不味くはないだろう。甘辛めにしたからレタスとサンドウィッチにすれば良いと適当に作って持って来たものではあるけれど相性は良い筈だと何重に言い訳じみた思いがグルグルと頭の中を回った。そう、深い考えなんてないのだ。ただ空腹な人がいて私の手元には食料があったそれだけ、パウリーさんじゃなくともルルさんとかカクとか、馴染みある人であれば同じようにしただろう。私のランチは近くの屋台店で好きに選べば良い、そう今日は何にしようか。
ニッニッと近くのヤガラに呼び掛けられて頭を撫でる。今日も一緒に働こうねと穏やかに思っている私が軽率に渡したランチバックが元になって、1番ドックの中でパウリーに女がという噂が流れるという事など知る由はなかったのだ。