ずるい指先、滑らせた

(2023.04.27 現在の本誌後 次の話が出るまでの妄想話になります。 単行本派な方はお戻りください)


 手を伸ばした時に触れるもの、長い指を有する手、形の良い耳、唇、一部肌触りが悪い頬と顎。見つめる先には少々凶悪さが垣間見られる切れそうな目、少し赤いだろうかなんて事はきっと気のせいだ。
 来い、の一言なんて本当酷くないですか、このキャプテンは。目深に被った帽子に手をやり、まるでさっきまで居ただろ何か問題でもあったか?的な感じにしれっとしていた。そんな中、我ら仮にも七武海の船員やってましたからー!と変わらずポーズを決めて騒いだ。ここ百年、いや千年で一番の仕上がりだったはずなんですが何で目を逸らすのか分からないです。ペボはもはやダイブとばかりに飛びついてくるしで、骨が折れそうになった。言葉的なあれこれじゃなくてガチでバキっていくやつ。いやいや勘弁、それちょっとシャレにならないからぁ!とそのモフモフした頭を両手で触りつつ押さえ込んだ。


「いやー、何でしょう、か」

 二人になった途端にまるで言葉の出し方を忘れてしまったかのようだった。足元を撫でていく冷たい海鳴り風の中、声を出して良いのかという疑問がある。ピリッと張り詰めた空気にヘラヘラと笑うことしか出来ない。

「何笑ってんだ」
「怖かったら笑えば良いってどっかの話であった気がしまして」
「怖いのか」
「…とりあえず今のキャプテンの目はちょっと怖いですね」

 愛刀はその辺の瓦礫にそっと立てかけられ、細長い影が作られるのを目で追った。必然的とばかりに、両手があいたキャプテンの手が私の後頭部にまわる。当然に逃げるわけがない。潮風まみれの髪には手櫛は厳しい、通常ならばもう少し気をつけていた私の髪だってギシギシと手櫛ですらが通りにくい。予想通りに何本かの髪が長い指に引っかかってしまった。久々に真近で見る目付きの悪い顔、その肌もひっそりと陽に灼けているのは海の男の証明でもあるようだ。照らすものを探しているかのように、そしてそれがまだ道の途中だとばかりの態度に我らはほっとしてしまった。
 けれど今だけは口先の色気のなさを置いておいて、直ぐに手を伸ばしてしまった。いつもはアレコレを考慮してくれるような抱擁だったはず、ただ今は私達の身長差忘れていませんかと言いたくなるくらいに私の背中は反り返りそうで苦しい。苦しくて苦しくて無言で合わさる形の良い唇を堪能する事すら出来やしない。触れた唇から始まって乱れていく呼吸、お互いの舌先は変わらずぬるっと湿り気があって執拗に口内を満たすようだ。

「…キャプ…、時間」
「気にするな」
「ん…」

 波風が聞こえる中、早急さがある求めにも関わらず、考える事を全て放棄したくなってしまうのは射抜かれているからかはわからない。何もかもを飛ばしてしまいそうな手探り状態なのにと分かっているけれど求めてしまうの気持ちもあった。
 触れる手つきがいつもよりも酷く優しいという所謂ソフトタッチは、目の奥が熱くなってしまいます。唇を合わせつつ、頬を撫でた指や手に擦り寄り、求めるように手を添えた。指先が辿るのは白いとは言い切れない多少泥やら砂やらで灰色に汚れたツナギで、こちらの事お構いなく胸元を少し開かされしまった。ペタペタと首に、鎖骨に、そして露わになる二の腕に触れる手はキャプテンのものだ。ただその手つきって医療行為の中にありませんか?という怪我の場所を確かめるような診察枠に入るんではないですか?という指摘をしたくなってしまう。そんなんじゃ全然濡れないですし、ちょっとキャプテン少し見ない間に女を触れる技術落ちたんじゃないですか?なんて言ったら怒られてしまいそうなその手つきはただただ優しい。濡れるところが目尻だとか勘弁してほしいと堪らず首に両手を回した。

「…私そんなにやわじゃないですよ」
「…そうだな、脂肪だらけだな」
「ちょ、それ傷つくんですけど」

 邪魔だと思っていた柔らかな場所も触れられれば気持ちいいとか人体の不思議。服の裾から大きな掌で柔らかな部分を掬い上げ、指先でつまみ上げる。押しつぶしたりを繰り返えされてしまえば不思議と覚えている感覚が呼び起こされる。甘く懐かしむような肌の擦り合わせは、悪魔の実がうんぬんを置いておいて、ローキャプテンがただの人間という証拠だ。

「冷えたか?」
「全然…、北の海に比べればあまりにぬる過ぎました」

 ある日すぅっと飲み込まれるように、強く占めていたものが消えてしまう。人が生きて心を持ち続けている限りに続く感情の行き先が一瞬迷子になりかけて、ようやく行き先が決まる。あるべきように動いて、しっとりと触れられるその手を両方の手で握った。物騒な刺青をまじまじ見つめていれば、その指はキシつく私の顔周りの髪を耳の上へと邪魔だとばかりにかけてくる。
 それでも柔らかいだろう私の唇を何度も指で確かめるその指はそのまま唇を割り、歯の隙間から口内へと侵入してきた。口内という本来他の人に許すことのないテリトリーを侵略されて、その苦しさに薄目を開けた。貫くような視線と交わり、何考えているか分かる事はないけれど、応えるがごとく口内を撫でる指先に舌を伸ばした。少しだけ皮膚が硬い指先を唇で咥え、舌先で爪の周りを必死になぞる。指の腹から、少し太くなった関節の部分に、それを形成する骨の硬さとばかりに舌先で感じ取った。解放された濡れた唇で骨が浮き上がる手の甲に触れるだけのキスを落とした。
 ふと昔を思い出してしまった。とある寄港地での夜に酒を片手に楽しくやっていたら、この異端の象徴である海賊のマークを物ともせずに口説いてきた現地の男がいた。所謂顔のいい男、キャプテンには負けるけどアリよりのアリな男だった。口説くセンスもワンナイトと思えば余裕でボーダラインを突破していた。ポーラータング号以外のシャワーなんて久しぶりと喜んで浴びた身体を触ってきた手、その手からはおそらく指先やら爪を噛む癖があると見受けられた。歪さある爪の形、深爪というよりもそれ以上生えると噛んでしまうらしいのか伸び切らない爪を有する指、所々ささくれだったり、皮が剥けた痕があった。いざ眺めてしまうとボテっとしていてソーセージっぽさが強くて色気のカケラもない指だったという記憶。いくら見た目スマートで羽ぶりが良くてもアレは少々萎えた。意外にも手は性的な話ではなくて生理的な意味合いで他者への印象が変わるのだ。そう思うと今濡れた唇で触れて、時折舌先で堪能する指は手ですら完璧だ。刺青があったとしても血で指が染まる事があっても、爪の形も節がはっきりするスマートさすら感じさせる指である。その手、その指で指揮をとるが如く能力を操るのだ。そんな海賊業なのにも関わらず繊細さ有する指先には惚れ惚れしてしまう。もう途中からは自ら舌を伸ばしてしまった。

「…ん…っ」

 口内から指が引き抜かれ、そして少し空いた唇から舌ごと口の中に吸い込まれてしまった。意識はその舌先に、何度も何度もざらつく舌に絡ませてお互いの濡れた内側を弄り、溶け合う。
 どうやら私までキャプテンの手つきが移ってしまって、存在を確かめるかのように男らしい首に、浮かぶ鎖骨に、露わになる刺青混じりの胸板にと何度も着地をした。胸骨の上にのる筋肉、その上に飾られた脂肪までが感じ取れるような肌は暖かく、そしてその奥でトクトクと規則正しい鼓動を手を介して感じればそれだけで涙が滲みそうに。あぁ、どうにもこうにも私らしくないと塩味さを感じて静かに唇を離した。

「…貸せ」
「え、何を…」
「…みなまで言わねェと、分からねェのか」
「ん、」

 胸元に置いていた私の手が目の前に持ち上げられて、あろう事か指先に薄い唇が落とされて目の前に行われる行為にけたたましく心臓が動き出す。
 こちらの指先に触れるだけのキスは小鳥かと思うほど軽いもの。そして手のひらに落とされる唇が他よりも硬いだろう皮膚をキツく吸いあげる。首でも鎖骨でも、はたまた他の部位でもないその場所を吸ったところで丈夫な厚い皮膚には痕すら残らない。なのにどうしようもなく刺さるくらいに残された気がした。見えない鬱血痕に縛られて動けなくなって息を詰まらせる。伏せられたように見える目元、いくつもの睫毛が微かに揺れていた。手のひらの次は手の甲と少し指先を絡めつつ甲を伸ばされて、躊躇う事なく唇で触れるその姿に、最初女に触れる技術落ちたんじゃないんですか?とか冗談でも思ってしまってごめんなさいと最大の謝罪をした。次に目があった冷笑さを含む表情に耐えられなくなって数センチ目を逸せば、それすら制されるように唇にそっと触れられる。

「逃げるな」
「…げてません…」

 何度も何度も確かめるかのように、そう先の私がしたように指先、指の関節に爪までも唇が触れられて、時折舌先で指の肉つきが良い部分を舐められた。いつの間にか目の前にも濡れた唇が出来上がっていて、その唇が指の筋に這うだけで鳥肌が立つ。そんな触れ方をされたら抑えられない衝動がある事に気付いてしまう。必死にこの手で潮流の中もがいたような記憶も全部塗り尽くされていく。深部まで満たすようなその行為、震えそうになる身体すらが温まり始める。お互いの身体の間をぬるい風が駆け抜けていく事を感じるのが最後の理性を途切れさせない線引きだ。ただこのその線ですら波打ちそうなのが怖い。ほんの少しの時間しかないのに、まるでずっと続きそうにすら感じ取れる静かさが流れる。
 遮る事のない青空を眺めれば平和と見間違いそうな世界にすら見える。そんな世界に産み落とされた理由を知りたい。そんなみっともなく縋りついて腰を振って本能のまま…、とも思う気持ちもあるけれどキャプテンの独り占めいけない、絶対。何よりも忙しすぎる世界なのだ。子電伝虫の最初の音ともに開きかけたツナギを首のところまで一気に直せば、舌打ちをされてしまった。

「…舌打ちですら嬉しく感じちゃいますね」
「手遅れだな」
「知ってます」
「おれもだ」

 え、とまさかの返答に聞き間違いかと目を丸くする。戸惑いしかない途絶したこちらの思考回路の事を何も考えていないらしい。
 行くぞ、という声に反射的にアイアイキャプテンと言う声は今だけは小声になってしまった。長い愛刀を立てかけていた崩れかけの壁のような瓦礫、その下には雑草のような小ぶりの花が咲いていた。人知れず太陽の光を溜め込んで咲いたのだろうか、誰に見つけられる事もなかったその姿を私は今見つけてみたの。片手には愛刀、緩やかに翻すロングコート、その背中を斜め後ろから追いかける。そう雑草は陰ながら意外と図太いのだ。見えないところで、もうその背中を汚す事などするものかと拳を握る。