リビドーが鳴り止まない

 どこか染み付いたようなヤニの香り、指の腹に背にと目を見晴らせば、その視線に気付くようでもあった。灰を落とすその仕草も当たり前のように手慣れている。そしてグラスを持ち、静かに口をつけ、喉仏を上下させて名残惜しそうに口を離す流れるような一連の流れと甘い囁きにも似た会話は釣り合いがとれている。自然と女性を惹きつける何かがあるのだ。

「……随分と女性を泣かせてきた感じが伝わるものね」
「そんな事はないさ」
「滲み出てるのは制御不能なんでしょうね」

 何においても手、指というのは使用せざるおえないもの。日常使いというのなら、目覚めに少し人差し指で目を擦るようなところからだ。手櫛で髪をとかしてみたり、その手をぬるま湯に通しつつ顔を洗い、化粧をして…と朝の動作だけでも言い切れないほどだ。そうなれば、この男の手も同じように生きている限りに動き続けるわけだ。この男は、朝目覚めに煙草の一本も咥えたりする?紫煙を纏いつつ、この身なりならば、その指で丁寧に髭も整えたり、その指を駆使して髪に手櫛でも通すのだろうか。とんとんとカウンター席のテーブルの上、無造作に灰皿へと灰を落とす姿を眺めているだけで伝わるものもある。

「趣味は人間観察、というところか?」
「失礼な、いい男しか観察しないの」

 そんな暇でもありませんよ、とお酒を目の前に差し出した。ならば少しは期待しては良いか?と軽く言い放つ姿、指先に少し欠けた煙草を挟みつつグラスに手を付けるベン・ベックマンと言う男を知ったのは数時間前の事であった。


 金払いの良い客は良客、それは一般市民だろうが海軍だろうが、はたまた海賊であろうがだ。この島の滞在ログが貯まるまでどう過ごすかは各々の自由であり、何も止められる訳がない。だからこそ事前に大量の紙幣を投入してくるような大客には店主の目が光り輝いていたのを見過ごす筈もなかった。店が閑散している時間帯、カウンター席に浅く腰掛けながら一種の裏取引の様子を眺めていれば、十人近くいた男たちの中に居たシルバーの髪色の男と目が合った気がした。けれど煙草を咥え直すような手つきと共にその視線は外れた。意外にもそういう第一印象というのは残っているものである。

「…良い客が来たな、あれ赤髪達だな。数時間前に有名な髑髏マーク掲げた船が来たって向かいのジジイが言ってたんだ」
「ああ、あの人達がそうなの?」
「おまえは本当に興味がないな」
「別に海賊は嫌いじゃないけど、結局はお金さえあればでしょう」
「まぁな、赤髪さんの頭にはお礼しねェとな。っつー事で何人か臨時アルバイトちゃん達をさぁ」
「分かりましたって」

 また夜来る、と言い残して十数人を見送ったと同時であった。いい歳した店主がちゃんを付けるな、それ以上にアルバイトちゃんと言う店主を聞きたくもなくてその件を預かった。電伝虫で何人か休みの子を含めて、アテのありそうな子に話をすれば稼ぐ稼ぐ〜と言った喜びの声ばかりが上がった。比較的活気があるような街、島だけれどまだまだ発展途中でもあり、その日その日を必死に生活しているような子だって多いのだ。大衆酒場の一つではあるけれど、若干の怪しげなニオイがただようのはそこで働く女や男にそういう気があるだけだ。結局荒くれ者を含むような男らが好むのはその島の女でもある。接待というまでもないけれど、お酒や料理を運んで時折隣に座ってみたりして、時には近宿に消えていたりもする。金払いが良い客ならば個人的な礼として何ベリーかを腰やら緩やかな胸元やらに挟んでくれるわけだ。そうとなれば、事前にたんまりとお金をかけてくるような海賊なんて良客であると想像出来るし、それでこそ追加のおねだりというものが期待出来てしまう。だからこそあっという間に彼らが滞在しようとしている期間に働きたいという臨時の子たちが簡単に集められてしまった。


 正直私はもう生活が安定はしている。だからある意味そういう前線は退いて、カウンター席でやりくりをするような立場にあった。目の前に広がるどんちゃん騒ぎのような光景、比較的年齢層は落ち着いている年齢層の海賊サマだろうが結局海賊は海賊といったところか節操はない。

「賑やかにしてすまんな」
「いえ、楽しんでいただいて何よりです」
「お前さんは良いのか?」
「私はここが定位置なの」
「ならばおれはここにいるとしよう」
「ふふ、お優しい人」

 静かな笑いを含む声を発するのは私よりはどう考えても一回りは上の大柄の男であった。皆が受けてくる注文を捌きながら、手酌で手元のグラスに好きなお酒を注ごうとした。何気なしのその行為を距離の近いカウンター越しにその手を止められた。

「え、」
「注ぐっつーならおれが注いでやる」
「お気遣いまで…」
「目の前の女に手酌させる男がいるか」
「それが意外といるものよ」
「なんだ、つまらない男がいるもんだな」

 しれっと言い放いつつの伏せ目がち、全てをお見通しかと思うばかりに見えるどこか強気な言動。落ち着きある男はいい、海軍だろうが海賊だろうがだ、ただ海の男は勘弁被りたいんだよねと密かに思いつつ、同意するようなため息をついた。

「おまえさんとは呑めないのか?」
「こうして呑んでいますよ。私も給仕しながらこうしていただいてます」
「分かって言うもんだな」
「理由は分かったとしても、実際この惨状を取りまとめるのは私だから」

 少し顎先で背後を見やれと言えば振り返る姿、長めの潮風だろうか傷んだ髪が重く揺れる。大きなお腹をした男性は両手に肉を持ち目の前には数時間前から仕込んだものが空になりかけている。そして赤髪と呼ばれるお頭さんも大口を開けてアルコールを噛み締めている。髪の長い方、頭の上で髪を括った方、ドレッドヘヤーの方と個性豊かな彼ら、そして給仕したり話し相手をするような女性。私達のカウンター席の細やかな会話なんて油断していれば一瞬で掻き消されてしまうのだ。あれが船医で、あっちのが航海士だとそんなの私に言ってしまって良いのという情報を教えてくれるベックマンという男に、お返しとばかりに今日この場に居る女性を教えてあげた。彼女はあれでいて病気の家族養っているのだとか、あちらの彼女は前きた海賊さんに痛い目に合っているから手加減してあげてと当たり障りのない説明でもあった。

「私はこの店なら一番古株…かな、お客さん含めてお金大好きな店主のお世話もしてるの」
「ならおれと一緒だな、おれもでけェ子どもの世話してる」
「ふ…、まさかそんな返しがくると思わなかった」

 チラリと目をやる先には赤髪が靡く男が大口で笑いつつ、お酒を呑んでいる姿がある。視線に聡いのか、おいベック、おまえなんか言ったろ?とすぐさま気付き少し赤ら顔で口を開く船長さんに向かってわざとらしく手のひらを振る。煙草を燻らす姿、そしてだろう?と目線一つで同意を求めてくるので思わず笑ってしまった。

「皆さんはやっぱお酒好きですね」
「いつもあの調子だ」
「んー…、折角この街今お祭りシーズンだからご案内したくても合わなそうですね」
「お祭り?」
「そ、皆さんは興味ないかと思いますが、ここから少し奥に入った旧市街地は花祭りなんですよ」

 皆さん花よりお酒でしょうからと笑えば、よく分かっているじゃないかと言いつつ見せつけるが如く度数が高かったはずのアルコールをぐっと飲み干している。

「明日案内してくれ」
「だって興味ないでしょう?」
「おまえさんの案内っていうものに興味が出た」
「…私一人でこの大所帯は…」
「分かっているだろう?おれだけだ」
「んー…」

 つい目の前の彼のグラスの中のなくなりかけているお酒の量を気にしてしまう。これは一癖も二癖もありそうな男だと分かっていながらも女として惹かれる魅力があった。自然と交わる視線、どこかあてつけな言葉遊びは嫌いではない、だからといって…と合わせるようにグラスに口を付ける。猜疑心と好奇心、自分自身の傾きなんて当然に分かってはいるつもりだけれどいつもあと一歩になってしまう。
 癖だった、つい空いたグラスに手酌をしようとした。だけれどその手は当然に瓶を持つ前に止められてしまった。伸ばした指先を握るどころか、覆い尽くされそうな大きな手、粗雑な皮膚と太い骨を呈している手は逞しくもあり、ただ手慣れたように柔らかだ。息が止まるかと思った、海賊などに安心感を求める気はさらさらないけれど包み込むようなその手はやたら私の意識を引き寄せた。ぎゅっと握ってくる手のひら、その中で指を引き抜こうと動かすのにビクともしない。

「手酌はダメだろう」
「…じゃ、注いで欲しい」
「これ以上おまえさん酔わせたら酒のせいにしそうだからな」
「そんなこどもみたいな意地悪を」
「男はいつまでもガキだ。暗くなっても帰らねェもんだ。じゃなきゃ海賊はしてねェ」

 僅かに緩められた手の中、おもむろに爪先で小さく引っ掻く、カリカリと小動物が問いかけるようにだ。それに気付いたのか更に緩まる手の中で同じようその行為を繰り返す。

「…これは嫌いなの」

 包まれた人差し指と中指、そうして厚い皮膚に指の腹を押し当ててマッサージでもするが如く動かした。荒波に揉まれている男にとっては痛くも痒くもないだろう甘めの指先は好みかどうかはわからない。ただのこの手つきは記憶にあろう事は確かだろう事だ。

「これは好きかな」

 続きのように指先で男の手が作り出した内筒のなかで指を動かした。指の腹で手の丘を押して、とんとんと叩いて刺激をする。本番ならば滑り気が足りない、触れ合う肌は乾燥してるし、これじゃ痛くなってしまうだろう行為だ。指の関節を曲げて鉤状に、そして抜き出しを何回か繰り返して、これ一遍になる男は好きじゃないと伝えれば、煙草を噛み締めつつ漏れるような笑いが聞こえてきた。

「くっ…、随分とやり返してくるじゃないか」
「これでもここのカウンターを陣取る女なので。…でも残念、私不感症なの」
「誰かに言われたのか?」
「そう、だから貴方をこれ以上は楽しませてあげられない。ごめんね、だからここまで。結構楽しめたから、他の良い子呼んで当ててあげる」
「いや、おまえさんが良い」
「え、でも、つまらないから…」
「お前さんが持っている常識など通用はしない」

 女のしたたかさをどこまでご存知かわからないけれど、他の男よりは存じ上げていそうな男だと思った。だから誘い水に乗るが如くその日は夜へと雪崩れ込んだ。海賊さんは怖いからと怯えて告げれば、それを誘ったのはそっちだと言われてしまった。



「…抱きたい女には嘘が似合うからな」
「何それ持論?」
「まぁな。おまえさんの嘘は嫌いじゃない、が海賊を騙そうとしてくれたのは頂けないな」
「ん?可愛いじゃれあいでしょう」
「あぁ、おまえさんが食えねェいい女なのは分かった」

 薄暗い部屋の少しの言葉のない静寂を切り開いたのベックマンであった。気怠気な身体でうつ伏せになり目にかかりそうなシルバーの髪の束をどかしてあげれば、目を細められた。脱げば歳の割には予想以上すぎるほどに逞しかった胸板に乗りかかる。そして胸元へと何回目かの口付けを落とした。

「で、不感症がなんだって?」
「あはは、バレちゃってる」
「しょうもねェ誘いだ」
「でも楽しめたでしょう?私好きなの。そう言えば手練れの男が技巧を尽くして楽しませてくるから。あとそういう姿がすごい可愛くて好き」

 気持ち良かった云々と伝えれば、呆れたように紫煙を吹きかけられた。煙いと笑えば、おまえさんも隠してるが吸う女だろうと呆れられた。そんな重い煙草は吸わないという文句は口角のみで笑われた。肌に触れる前は皆役者のようにいい男や女を演じる訳だ。気を遣って相手の言動や仕草を注視する、これが一番に好きだった。

「ごめんねベック、明日はちゃんと良い子を当ててあげるから」
「おまえが良いと言ってるだろう、明日…いや今日か?花祭りだか案内してくれ」
「え、」
「なんだ本気にしてなかったのか?」
「えぇ」

 当然とばかりの顔をする私。だって私は今夜だけと割り切って私はここで一糸纏わぬ格好になっているのだ。見つめる目線、私の髪がベックの顔に数束落ちればなだらかに耳にかけられた。それだけでも絵になる男、自分でも彼に伝えているけれど、女を泣かしてきたのがわかる男だと警告音が鳴り響いている。これは泣くことになりそうだと思うのに臀部を撫で、背中を這い始める湿り気ある手を止める事が出来ない。太い指の間、身体に纏う脂肪が少し形を変えた。

「…ッ、ベック」
「これでも嫉妬してるんだ。不感症だと言わないとおまえさんを丁寧に抱いてやらねェ男がいるって事がな」
「もう、自分勝手な…」
「海賊ってのはそういうものだろ」

 腰を撫でる手つきに鳥肌が立つのは先程までの交わりを覚えているからだ。目の前の首筋や鎖骨には私が興奮するからとマーキングを許してくれた赤い痕が散らばっていた。そして私の身体にも無数に残してくれた痕がある。まぁこの状態で他の女に差し出すのも惜しい気がし始めてしまったし、私の身体も暫く他の男の前に晒せはしないだろう事は確かだ。ダメだ、嵌るなという自身への警告と確信があった。釣り上げられた魚の如く不感症を演じてたのにも関わらず跳ねさせられたのに、また今度はバレた状態でもさせられてしまうのだろうか。悔し紛れに指先を顔の傷に伸ばせば、自然と重なり合う場所があった。

「…ん、…って、貴方お祭り行く気ないでしょう…?」
「くっ…ッ、察しが良いな」
「もしかして寝かす気ないわけ?」
「そりゃな、おまえさんを可愛がれる男は少ねぇだろうからな」

 しっかり可愛がってやるとじっとりとした場所を開く指があった。一日働いてきたから優しくしてという哀願もおれを騙したという反省はしてもらわねェと困ると笑われてしまう。戯れだし、そもそもこの男なんて途中から気付いていた癖にだ、食えないのはどう考えてもそちらの方であった。

「…本当、綺麗なの、に…そのお祭り」
「おれが今見てる光景の方が眺めはいいだろうな」
「っ、」
「観念しろ、明日の夕方には動ける。一緒に観光してやる」
「それ、お祭り、終わるから…っ」

 鮮やかな花が路上に引き詰められる景色が生まれる今日明日、明日の夕刻など散らばった花が見られるだけだ。花より酒や女が好きだと言うだけあるのは確か、ただ花が散らばった路地をこの男一緒に歩くのも悪くないかもと思い始めてしまっている。本当に歩いてくれるかどうかは置いておいてだ。燻り続ける欲と期待に酔いはじめている私の身の解放が当分先らしいことをあっさり宣言されてしまった。抑えようとしていた身もよじり喜悦を噛み締める。あとは生汗を浮かべつつそのまま胸板に横たわるだけだった。


 出航ギリギリまでベットの上にいた男に何度か言われた船に乗れという誘いの声は断ってしまった。
 なんだかんだで市街地の花のお祭りを案内は出来た滞在二日目、ただしふらつく私をベックマンが支えつつだ。見た目はもうどちらが案内しているかは分からなかった。ログが貯まるような滞在期間中に私のどこが気に入ったのかは聞かなかった。お祭りが終わりと同時にその花は皆に配られてしまうから残ったのは散った花の道。遠くから吹いてくる海風に乗って青に赤に黄色にと鮮やかさある花ビラが散らばる道を歩きつつ、今度はしっかりと敷き詰められた祭りが見たいと言った男の言葉には頷かなかった。
 どうぞ、ご自由に。恋愛なんて束縛するようなもんじゃない、好きにさせてあげるようなものだと感じたのは今回が初めてだった。特に海の男ならば尚更にだろう。ただ数年後まさか迎えにくるとは思わず、間の抜けな声を上げた私に喉を鳴らして笑う姿があるとは知らない。ただ今は細部まで思い出せるくらいに残された痕と甘い羅列の記憶を惜しみつつ、出航の騒ぎを遠くで聞きながら数日の寝不足解消に走るのだ。