さえずる小鳥の黙らせ方

 カップに入った紅茶の程よい渋みを味わった時であった。スフィンクス村の中にあるお店で、少しこだわりがある店主のおすすめによる茶葉を選んで、ただその紅茶に口を付けただけであった。

「なんか…最近綺麗になった?」
「え、」
「こう…滲み出てくる色気みたいな、何だろう落ち着きなのかなぁ、それが漂ってる」

 突然、目の前の友人から放たれた言葉に、そんな事はないと笑った。私なんてさぁとため息混じりに呟く友人には小さいお子さんがいて、今日は夫がみてくれているという。肌の折り返しが気になるそんなお年頃、そんな中綺麗になったと同性からのお褒めの言葉をもらえてしまった事には素直に喜んでしまう。何かあった?と髪を耳にかけ含み笑いをしながらの探りに、先日の事を言おうかどうかと迷い、結局は何でもないと頬の筋肉が緩みつつ答えたのだった。ただその答えは意味深過ぎると言われてしまった。


 微睡の中、包まれている質の良いだろうフカフカしている布団の中で目を開けるかどうかを迷う。この時間こそ全てにおいて至福の時なのではないのでは、と僅かに口角が上ってしまう。朝の時間の浪費を楽しむ、それくらいにマルコさんのベットは上質な寝心地であった。
 冗談なのかそうではないのか、はたまた多少の年齢が離れた私への可愛い揶揄いなのかで心を乱された時がいつだろうか。少し考えたけれど思い出せない。落ち着いた、ただ時折朝食を食べたりする先生と助手くらいの関係性だった筈。それなのに、と思い出し始めたら熱が顔に集まってきた気がして両手で顔を覆った。私は単なる助手なようなものだ。診察所兼自宅の様なマルコ先生のところに頻度よく出入りしていた筈がと整理しようと昔を思い出す。しかし昨夜の方が刺激的でついつい昨夜の事ばかりが浮かんでしまう。

「目覚めたか?」
「は、はい」

 フカフカな布団の中で思い出しては顔を覆ってゴロゴロとしていたところを見られていなかっただろうかと心配になってしまった。隣にいないことは目を開ける前から気付いていたけれど、今の痴態を見られていたら少しつらい。そっと布団から顔を出して、目の前に垂れ下がった本来後ろの髪の毛である束を横にはらった。心許なくて布団を胸元に当てながら上半身を起こした。少し笑っているマルコさんを見て一部始終がバレてたと知ったのは後の事だった。
 
「朝食作ったんだがどうするよい?」
「い、いつの間に作ったんですか」

 もしかしたら涎を垂らして寝ていたかもしれない時に起き出していたらしいマルコさん。言われるとキッチンのある部屋の方から確かにコーヒーの香りも漂ってきている。朝食を作るなら手伝うので起こしてくれても、と少しだけ口を尖らせると、ベットに腰掛けてきたマルコさんが頬を触った。

「気持ち良さそうに寝てたからなァ」
「…それでもです」

 頬に触る指先が、耳のピアスまでを辿った。優しさ感じるその手つきは昨夜も同じであった。その手は頬に当てられて、外した眼鏡は邪魔だとばかりにサイドテーブルに置いたマルコさん。私の顔がよく見えないとてキスをしてきたのだけれど、それも些細な嘘だという事を二人で認識していた。首筋を辿り壊れものを扱うかの様な指先は、身体を探っていった。

「そんな惚けた顔されると困るよい」
「し、してないです」

 ラフな格好だけれどもシンプルで良さそうなカットソーを着ているマルコさんと、かたや全裸に布団という何とも言えない格好の私。その上昨夜を思い出していましたとか色々な意味で身体の熱が上がってきてしまいそうで手に持つ布団をギュッと握りしめた。

「…すぐに揶揄うんですから」
「散々つれねェ事言った女のセリフじゃねェなぁ」
「いってませんよ!?」

 マルコさんの大人の軽口に出来るだけ反応しない様にしていただけな筈だと思うのに、まるで私が手玉に取っていたかのような響きだと思った。有耶無耶にというわけでもないけれど、朝食の事を思い出して、朝食いただきたいですと言いながら布団ごと立ちあがろうとした。しかしそれが敵わなかった。腰に力が入らないというか抜けていく気がした。ぐらりと立ち上がれずに目の前のマルコさんに抱き留められるという形になってしまった。上半身と下半身が別の身体になったかのような感覚、なんでそうなったかなんて考えなくても分かる事であった。

「今日は何もしなくていいよい」
「は、はい…」

 とんとんと背中に回された大きな手であやされてしまえば、顔なんてもう誰にも見られたくないほどに熱を持ってしまった。露わになってしまった二つの脂肪の塊は昨夜可愛がってもらったわけだけれど、今は何事もなかったように今まで当てていた布団を当ててもらう事になった。浮き出る温度差を感じる中、そのまま何も纏わない背中に手を回された。労るような手付きにいやらしさはない筈なのに、私の脳内は勝手に昨夜の名残を思い出してしまう。全身をこの手で触ってもらった気がしたと思うと何も言葉すら出なくなってしまう。

「ぁ、」

 言葉は出ないのに、朝の爽やかさとは違う声が出てしまって、マルコさんの肩口に顔を埋めた。背中から腰、そしてその下の尾てい骨のところまでを何度もさすって労ってくれているだけなのに堪らなく恥ずかしさが込み上げてくる。産毛に逆らうような撫で方はゾクゾクと鳥肌が立つ気もしてしまう。でもそれと同時に柔らかな手つきはどこか気持ちよくも感じて、マルコさんの肩口に息を吐き出す形になってしまった。

「今はこれだけでも気持ちいいだろい」

 背中なんてと思ったけれど、後々聞けば多くの神経が通っているから性感帯になるのだとか何とか聞かされて、それ以上は言わないで下さいとお願いしたのだ。無言という肯定をする。そんな事もつゆ知らず、ただ無防備な背中を撫でられているだけで、くすぶるような熱がある気がしてならなかった。気持ちいいけれど、どこか昨日の余韻すらを呼び起こしてしまうのではないかと不安になりマルコさんの腰に控えめに手を伸ばした。今は穏やかな顔で甘やかしてくれるのに、昨夜最後に見せたどこか平静さを欠いた余裕のない表情を思い出すとお腹の中の女の部位が反応しそうになる。こんな事を朝から考え始めてしまうなんて…と羞恥にかられている、けれどマルコさんはそんな私の気持ちなんてわかっていないのだろう。そう思うと暴かれないように、と口を結んだ。背中をなぞる安心感がある手は脇腹含めてさすってみたり、二本の指で文字でも書くかの様に少し強めになぞる指先に声が漏れそうになり唇を肩口に埋めた。そして軽く抱きしめられてしまえば背中は少し反ってしまった。

「は…ぁ…」
「ちっとばかり無茶させたなァ」
「い、いえ…」

 今マルコさんが発するどの言葉も全てが昨夜を思い出してしまうんです、とも言えずにありきたりな返事にしかならなかった。悪戯しちまったと頭を撫で、今日はこのまま待っていてくれと言われてしまった。意地悪とはと疑問に思うけれど、ただ雰囲気に流されて頷く事になってしまった。
 さすがに全裸ではと、マルコさんのTシャツを貸してもらったらワンピースになってしまい笑われてしまう。ベットに腰掛けながら朝食を食べた。そして生理反応には贖えなく、恥を押し殺してお手洗いを申し出る。そりゃ気付かなかったと謝ってくるマルコさんは私を抱えた。膝裏と背中に手を回し抱かれながら連れて行ってもらう事になってしまった。

「真っ赤だなァ」
「あたり前です…」

 目線には立派な喉仏が笑いながら少し震えるのが見える。このゼロ距離はどうしようもなく心臓が早くなるけれど、昨夜はゼロ距離よりも深く近くなってしまったのだ。さすがに座ることは自分で出来ますと恥ずかしい宣言をして、産まれたての子鹿のようにふらふらしながら壁を支えに移動して用を足して、お手数おかけしますとトイレからベットの上まで送迎であった。多分後にも先にもこれ以上の醜態はないと思う。
 こんな身体になるなんて知らなかったと、どこかに身体の怠さを感じつつ布団に埋まる。冷静になろうと思うけれど、布団含めどこかマルコさんの落ち着くような香水の香りがある気がしてしまう。より鮮明になりそうな昨日のマルコさんを思い出しては両手で顔を覆った。歳が歳でもあり、別に初めてでも何でもなかったのにどうしてだろうと考えたけれど思い出すに心当たりしかない。なにしろその行為が永遠に続くくらいに長く濃密で、もしや私じゃ…と不安になったら普通はこういうものだと教えてもらった。歳上であるマルコさんが言えば、そうだったんだと腑に落ちてしまい今のこの状態であった。まさかの幸せな二度寝を促されてしまい目を閉じた。


 今日は午前だけ診療所を開く予定だった筈で、隣の隣の部屋である診察室では、マルコ先生の声と馴染みの患者さんの声が聞こえてきたりした。

「あれぇ、今日ナマエちゃんはどうしたんだマルコ先生」
「ちっとばかり無理させちまってなァ、今日は休暇なんだよい」
「ありゃ、そりゃ労わってあげんとなぁ。ははっ、先生はいつナマエちゃんと一緒になるんだぁ?」
「そうしてェとこだけどなァ、ナマエにも都合っつー………」

 小さくとも聞こえてきた会話。私の名前が入っていたせいで特によく拾ってしまった。しかし内容は、ブワッと沸騰しそうな会話であった。その通り、その通りだし朝もそんな感じの話の流れからこうして寝ていたわけです。聞いた人だって、まさか夜の行為で腰砕けて寝ちゃってまぁす、なんて事は想定外でしょう。それは寂しいねぇという患者さんの私を気にしてくれる言葉に反していて、申し訳なさと恥ずかしさが溢れてしまう。しかしそれ以上の爆弾を投げつけられていて、途中から布団を頭まで被って耳を塞ぐ。これは聞いてはダメなやつ…と必死に、そう言うしかなかったのだと言い聞かせた。
 朝感じた上半身と下半身とのチグハグさはなくなっていて、身体を起こしてベットから抜け出す事が出来た。マルコ先生として先程の方とは違う患者さんを相手しているのが分かった。私も少しだけでも働かないと身支度を整えようとしたけれど、何もない事に気付く。当たり前じゃない、と小綺麗な部屋の中を一周して行き着く先はやはりスプリングのきいたベットの上であった。下着をつけていない身体は、あらゆる所から隙間風しか入ってこない。この姿では単なる痴女と化してる事実は認めないとならないようであった。それから私の顔を知っているらしい患者さんとのやり取りに何度も恥ずかしい思いをする。何人かの患者さんとの同じやり取りを聞くと、もしやアレコレがバレてしまってしまっていて探りを入れられているのではないかという心配をし始めてしまいそうであった。



「仕事おわったよい」
「…お疲れ様です」

 終わったと思い気配を消しつつ、診察室に近づいたのだけれど当たり前にバレてしまっていた。手櫛で整えた髪だけれど、どうしても一部ハネが気になるところを手で押さえての登場になってしまった。聴診器を診察台に置き、こちらに歩いてきたマルコさんに朝と同じように抱き抱えられてしまった。

「あ、あの」
「まだ休んでないとだめだろい」

 ぎゅっと落ちる事はないけれど甘えるかのように腕を回してしまった。そして再度連れて行かれたのは半日近く過ごしたベットの上であった。着ていた服を軽く脱いで、布団に入ってくるマルコさんの姿に思わず背を向ける。気娘かというくらいなあからさまな反応をしてしまい、背後から漏れる声だけでも笑われているのが分かってしまった。

「大丈夫だ、一緒に昼寝だよい」
「ぅ、寝られる気がしません…」

 トントンとこどもをあやすようなリズムを作る手にゆっくり目を閉じた。頬をさする手にやはり眠ることはないと断言出来てしまったのだった。