平行線上の距離感

 その鋭さに射抜かれたのはこちらの方だったのだろう。記録指針に導かれる訪れた島であった。天候は雨時々落雷、比較的好天な方であるかと南南東からの風に帽子を抑えた。ポーラータング号を島の陰に潜めさせて、その割にはアイアイとの掛け声はいつも通りだ。そんな掛け声と共にいそいそと視察組として島に乗り込んだ。街があるらしい事は遠目からも確認出来ていた。が島の細かく入り組んだ入江は全ての船を拒むかのようであった。若干の不穏さか今回は適当に変装するかとの船長指示に各々マークを隠すような羽織りに袖を通す。しばらく歩けば街があり、しかしどこも瓦礫、あとは吹き飛んだような家屋。

「…襲われた後か」
「そうみたいで」

 人は疎ら、いてもどこか生気を失った住民。あーぁ、海賊か?と予想するもその予想しているおれ達も海賊だから何とも言えない。おれ達のこの島への上陸は補給が主である。あとは賑やかな街でならば楽しく過ごしたいところではあったがこの様子では最低限の補給のみだろう。帽子を直しつつキャプテンが、手分けをするかという一言におれたちは無言で頷いた。
 別れてから更に各々フォロー出来そうな距離で散策を開始する。どこかで焼けた燃料の匂いもして、補給出来るならと考えていた。一人で路地に入れば窓ガラスの割れたカケラを踏んでパキンという音を立てた。おっとぉ、とキョロキョロ周りを回したかが人は居ない。しかし気配はする気味悪さ、しかも敵意がある。柄の長さが調整きく槍を引き抜くと同時であった。

「おねーさん、あまり怖い顔しないでくれね?」
「っ、」
「あんまり熱視線だったもんで、ごめんね」
「この島に何か用…?」

 キツい目線の女が背後にいた。手には包丁という物騒さに槍先でその包丁を弾いた。上陸目的が補給だということを告げつつもおれの行動、仕草全てに神経を尖らしているのが分かる。まぁそうなるよなぁ、とおちゃらけて悪い事はしないよとアピールをした。僅かに緩む警戒感、それと同時に目を細めたかのような辛そうな顔をした女が倒れ込む。

「ええぇ…、おねーさんそれはねェって」

 見事な倒れっぷりに慌ててしまう。持っていた槍をしまい、その女を担ぎ上げた。その辺にいた住民に聞けば皆知らない、その辺に住んでいたかなくらいである。いやどうしたら良いんだよ、と担いだままに仲間と合流すれば、おい何を拾ってきてんだと呆れられる。

「さすがに目の前で倒れられたら、そのままにしとけねェじゃん!?」
「おまえな」

 シャチが呆れつつも、コイツ生きてんのか?と突こうとする指をはらう。生きてっからコイツさっき包丁向けてきたからよ、と報告含める状況説明は危ねぇ奴度が増しただけであった。

「あ、キャプテーン!!」
「うわー、あの顔」

 遠くに見えた船長の姿に手を振れば、この遠目からも分かるほどのゲンナリとした様子が見て取れる。ロー船長はそうだろうなという満場一致の想像図だ。いやでもこのままじゃ後味悪いしなと言うけれど、じゃぁ全ての人をそうするかと言われると違う話。よくも分からないまま結局ポーラータング号へと連れ込んだわけだった。


「…疲労だろうよ。あと軽い脱水もあるな」

 コイツどうする気かと聞かれ、いやー連れていっちゃダメですかねェ?と断られそうと思いつつも船長に聞けば、コレだから目を離すと碌なことになりゃしねェと一言付きでとりあえず船に置くという事になった。船の中の医務室にイッカクが身なりを着替えさせた女が眉を少し寄せたまま寝ている。

「ったく、面倒はおまえでみろよ」
「アイアイ〜」

 ベポ行くぞと声をかけつつ医務室を出ていく船長の背中を見送った。残されたのはイッカクと俺と女…、イッカクにはあんた本当どうするつもり?と言われ、寝床は頼むと言えば当たり前だと返される。

「あんな街だしなァ、あのままにゃしておけねェじゃん」
「…同意もなく連れ出して、ほぼ人攫いよこれ」
「いやいや、おれら海賊だから!奪っちゃっただけ」

 先の海賊のせいかで、近くに海軍船が現れた事によって最低限の積荷と共に出航となった。面倒事は遠ざけた方が良いとの判断だ。そして滞在時間としては短くて良かったらしいログに感謝しつつ遠ざかる入江はもう見えない。


 細い手足に不健康そうな顔色をする女が目を覚ましたのは次の日の事であった。

「ああ、起きた?」
「え、え…」
「あー、何から言えば良いのかなァ、とりあえずお名前教えてよおねーさん」

 ベットの上であからさまに狼狽えている姿の女が最終的におれを睨む。うお、目付きこえェと思いつつも、名前すら発しない女におれだけじゃ手に負えないかと、小型の電伝虫で船長とイッカクも呼ばせてもらった。何というか警戒感全開な姿に、今この船の船長くるからと言えば頷くだけであった。

「突然の状況でワリィとは思ってるよ?…でもさ、あのまま放置も人として出来ねぇじゃん」

 辺りを見渡しつつこちらを見てから頷く姿。もう一度名前を問いかければ小声でナマエとの返答に言葉は通じているのかと少し胸を撫で下ろした。しかし船長とイッカクが来てからも始終無言に近い、経緯の説明と体調の事、しばらくあの島には戻れないだろう事を淡々と聞いていた。寄港地で良い島がありゃ降ろしてやるという船長に頷く姿。

「…私は何をしたら良いですか」

 もっとギャンギャン騒ぐのかと思いきや、会話として成立させようと返された言葉は意外と冷静。条理を尽くした様な船長の説明が良いのかもだけれどだ。状況を飲み込む奴だし、多分船長は嫌がりはしなそうだなという雰囲気を察した。他の奴らに聞いて、やれる仕事ありゃ覚えさせてもらえと船長の目線がおれに、そしてそれに釣られるかのようにナマエの目線もおれに…。そりゃそうだ、世話役おれという図が今完成した。目線と頭が少し下がり、お世話になりますという挨拶に、イヤイヤそんな畏まらなくていいから!おれが勝手に連れてきちゃってごめんねと改めて謝ることになったのだ。
 イッカクと同じツナギは、どこか袖が余るらしく袖口を一回折っている。なんというか身なりを整えればそこそこ見た目の良い女であった。正直年齢は不明、下に見えるけど上にもみえなくもない、という事は触れてはいけないという事だ。そんな彼女がちょこちょこと背後を歩いて船長に言われた通りに色々を覚えていこうとしている。始めは洗濯や料理云々から、ある日はぺボに付き纏い、航海術を学ぼうとしていた。とりあえずペボに会った時は衝撃を受けていた顔が思い浮かぶ。お互いにすいませんと謝り合っていた。そして海は広いんですね、世界が狭くてごめんなさいと言うナマエがペボに握手を求めていた。驚きましたけど色々知れて嬉しいですと柔らかく微笑む姿に、え、普通に笑うじゃんと思いのままに言えば目を丸くしていた。


「え、ナマエさ、おれにあたり厳しくない?」
「いえ…?」

 表情を変わらず僅かに首を傾げる姿がある。いやなんていうか皆受け入れが早い奴らなのは知ってっし、連れ込んだ経緯も知っているからこそ敵意ないのも分かってるけどもだ。航海術を少し教えてもらっても良いですか?とペボに一週間くらいひっ付いて回る時もあれば、シャチと談笑していたりする時も見る。ハクガンに船の操舵を少し習っていた時は、ベタ波ですら盛大に揺らしてくれて、皆で操舵センスは皆無じゃんと笑ったら言葉を詰まらせていた。そんな色々な事に関わっている癖におれには何も聞いてこないじゃんと不満を言えば、充分に教えてもらってますよと流されてしまった。

 とある海賊から仕掛けられた海上戦であった。既に砲撃によるせいか風によって火薬の香りが漂っていた。風を受けて黒い帆が膨らみつつ揺らめいていた。

「お前らは右舷からだ、あとは乗り込んできたところ出迎えてやれ」
「アイアイキャプテン〜!」

 殺意溢れる空気と怒号飛び交う状況、そして船長の言葉に対するおれ達の反応に、後方にいたナマエはのまれて、一体どうしたら良いんだとばかりの狼狽えは見てとれた。だからフォローしてやるかと思ったが、すると先に近くにいたシャチがナマエの片手を持ち上げた。

「こうだナマエ!アイアイキャプテーン!って」
「あ、あいあいキャプテー…ン…っ!?」
「……無理しなくて良い、そもそもンな掛け声を要求したつもりはねェ」
「え」
「ハイ、ぞんざいキャプテン〜、こういうのはテンションじゃん」

 戸惑いから急激にテンションを上げさせられたナマエ。腕を掲げさせられたまま顔を真っ赤に染めていて、それは正直少しちょっと可愛いと思った事はその場のノリの中に潜めた。ナマエは医務室にでも引っ込んでろとの船長指示に顔を真っ赤にしたまま無言で何度も頷くばかりであった。
 そして、その日知った事実があった。もはやナマエの乗船から一ヶ月以上経過していた。ナマエはあの村だか街だかでは診療所に勤めていたとの事だ、それが判明したのはその海賊と一戦やりあった後であった。血塗れた野郎にすら物怖じしなく応急処置をしていた姿があり、それを察した船長が後々問えばその事実。そういう事は早く言えと船長に言われ、まさか海賊船の長が医者だとは思わなかったんですと呆気に取られながら反論する姿があった。それを聞いていた者達は、船長含めて全員が確かにと思う静寂の間があった。


「…この記録とってあるか?」
「はい、あちらの棚に」

 テンション的な意味では比較的低め、ハートっぽさ少ねェ。ただ船長が船長だから低めでも問題はないわけだ。つーか、船長は普通にコキ使っている。

「どうしましたペンギンさん?」
「いや〜おれもここ擦りむいちゃって」
「……ナマエ、洗浄でもしてやれ」
「はい」
「いやなんでそんな呆れてんの!?」

 補助者のように動いていた所をコソッと覗いていたのがバレてしまい、慌てて先程擦り剥いた腕の傷をほらほらとアピールした。頷いたナマエが洗ってあげますと手招きする。出した腕に洗浄液だかをぶっかける、まぁ当たり前にヒリヒリするくらいでしかならない。腕を触りつつ、こうして洗っておけば問題ないですよと呟く姿。伏せ目がちな目に伸びるまつ毛が長いもんだなァと思いつつ、目線を上げたナマエと視線が合った気がした。

「皆さん、傷だらけですね。…はい、終わりです」
「いてェ!ちょっと叩いちゃだめでしょ」
「血が通っていて何よりです」

 喉を鳴らしつつ口元に軽く握った手を当てて笑う姿、アレおれに対しては初めてじゃんとちょっと感動する。
 こう懐かない猫が懐く的な?という感想を一戦終わりの祝いの宴をしていた時に他の船員につい溢せば、噴き出していた。

「あぁ、ペンギン、名目上はナマエさんのお目付役か」
「そ〜、懐かないったらありゃしねェ」
「んぁ?そうか?」

 グイッと空へ向かって呑んでいる酒を最後の一滴までと煽れば、シャチ含めてそんな事ねェぞと周りから反対意見しか返ってこない。そりゃ戦闘は出来ねェけどさ色々モノは知ってるし、洗濯やら雑務含めてしっかりと働いてるぞとか言われるわ、知らない話ばかりにそれ本当にナマエかと思う事実ばかりだ。挙げ句の果てには、え、おまえ知らねェの?とニヤニヤと笑われる始末であった。
 
「…さん、ペンギンさん、こんな所で寝ては多分風邪ひきますよ?」
「ん…ぁ」
「シャチさん達に引きずってこいって言われたので失礼します…っ」

 高かった筈の太陽もいつの間にか沈んでいた。陽光の温もりが消えかけた甲板で横になりながらウトウトしていたら、目の前に現れた白いツナギ姿。眠気眼に腕を伸ばせば何故か両脚を抱えられた、そしてズルズルと文字通りに引き摺っていく。少し思っていたけど時折僅かに天然。というか海賊勝手を知らないというだけかもだけれど、大丈夫起きたから!と伝えれば、さすがに重かったですとホッとしていた。

「いやー、なんていうかナマエさ」
「はい?」

 当初腰まで長かった髪をいつの間にか船内生活じゃ長すぎると半分くらいまで切っていた、その突然の雑さにイッカクが慌てていたらしい。イッカクに整えてもらったらしい中途半端な長さの髪の毛を更にまとめている。けれどまとめきれない襟足の髪が白いツナギにかかっている。船内に戻ろうと戸に手をかけるナマエの手を酔いどれ状態の手で止めさせた。不思議そうに背後のおれに振り向く彼女の無防備さ、それは魔がさした行為であった。顔を覗き込むような形をとれば口先に触れ合う柔らかさがそこにあった。一瞬の静寂、厚い扉の向こうでは変わらずどんちゃん騒ぎの様な喧騒が聴こえてくる。

「…うわーーーーっ!!ごめん!酔ってた!」
「はぁ…?」

 心臓がばっくんばっくんと音を立てていた。ごめん中入ろ、と何事もなかったかのようにどんちゃん騒ぎに乗じた。いやめっちゃ柔らかかったとかそういう余韻すら感じるのも申し訳なくて、何事もなかったかのように次の日からも過ごす事になった。きっとナマエも事故ちゅー的なくらいな認識なんだろう。まぁ大人だし、こちらも大人だしなァくらいの悪ノリのような行為に近しいのだろう。あれは何だったのモジモジ的なそれはないにしろ、あまりの何もなさに少しだけ調子が狂う気がしている。

 
 白波が立つほどの大波、うねり合う波は生き物の様であった。雷雨という悪天候も慣れてしまって平常な天候にすら感じる。そんな天候を抜ければ晴れ間が広がった。次の島が近いとばかりに海鳥が気持ち良さそうに鳴き声をあげていた。誰かがナマエに良い島だと良いなと声をかけていて、そうですねと笑顔で返していた。ナマエを引き連れて幾つかの島を渡ったけれども、多少の治安の悪さがあった。生きていくには何とかなりますよとどこか呑気なナマエに、そんな簡単に考えるなと船員達が慌てて言えば、本当に海賊とは思えませんねと笑っていた。
 針に導かれるように辿り着いた島は、久しぶりの陸地だ。しかもなかなかな賑わいもあり、華やかである島、しかし海賊であるために堂々とした入港など出来るわけもなく島陰への入港となった。ある意味で暗黙の了解なのであろうか、街へ繋がるような道まであり、目を瞑るから迷惑事は起こすなよという意味である。警戒だけは怠るなよという船長に既に気分が上がる船員達は声高らかに返事をした。帽子のつばに指をやりつつナマエを盗み見れば、皆の高まりを眺めつつ笑みを浮かべていた。どこかその姿に口の中が苦くなるような感覚を覚える、まぁその理由も分かっちゃいるんだけどねと厄介過ぎる塩っぽさに唇を舐めた。

「お、ナマエも街行く感じか〜?」
「はい、素敵そうな街なので出歩いてみたいと思います」

 後発隊の船番達を残しつつ、街の雰囲気に溶け込めるような服にしっかり着替えているやつがナマエに話かけていた。おれも船長も変わらずのツナギだけれど、戦闘員でもないナマエなんて既に街の女でもここに連れ込んだかのような雰囲気だ。事実そんなもんだけどだ。
 いつだかの島に滞在した際の事を思い出す。夜の光に群がるが如く、いそいそと夜の繁華街に出かけようとしていた時、イッカクがナマエにあぁして外で発散しているのよと説明をしていた。まじでおまえ何ナマエに吹き込んでんの!?と聞いていた船員達で慌てて言う。しかしナマエはおれの顔を見ながら、あぁペンギンさんとか良客感ありますよねという何とも言えない事を言い放っていた。

「いやいや待って、ちょ、良客扱いやめてーーー!恥ずかしいじゃん!」
「楽しかったありがと〜〜って言って最後キスしながらお金渡す、そんな感じありますよね」

 皆さんにもそんなイメージありますけどね、とそれフォローになっていないよね?という事を愉快そうに笑っていた。そして皆さんいってらっしゃい頑張ってくださ〜い、と生温かく見送られるという何だこれ状態で夜に消えた訳だ。お前の連れ込んだ女は今更だけど何者だよとシャチに問われたがよく分からねェの一言だ。そんな朝帰りを咎めるような女でもない訳で、そういう男の欲を理解しているのだと思うと何とも言葉に出来ないもどかしさがあった。
 そんなナマエも前の島で買ったらしいワンピースに身を包まれている姿は夜にさえ紛れそうである。片側に寄せたそれでも長めの髪、どこぞで買ったネックレスをつけようとしている姿があってそれを着けようとしていて思わずソレを取った。

「着けてあげちゃお〜って」

 何で歩けば男を引っ掛けそうな女を更に着飾らないとならないんだと思いつつ、吸い付きたくなる首裏に僅かに触れるだけで焼けつきそうな衝動。それを上手く隠しながら金色の留め具を引っかけ止めれば満足そうにお礼を言われる。まぁイッカクと一緒だと言うならばとイッカクを見ればいつものツナギであり、お前それで良いのかと思うのは背中にある堂々とした海賊マークだ。それも良し悪しでとりあえず生半可な男が寄ってはこねェ事が予想されるからまぁヨシという事だ。
 さっさと戻ってこいという残り番の奴らに追い払われて街へと乗り込んだ。船から見た通りに活気に溢れ、多幸感という言葉が似合うような島だ。並ぶ露店の料理も美味い、吹き込む風すら花の香りが乗る平和な街。バールの方では昼間っからパーティでもしているような雰囲気すらある。おれはあっちの方確認してくるわとゲスな一言と共に昼間っから消えていった船員もいる。そのあたりの報告は後々に聞かされんな〜と思いながら歩いていれば、お兄さんコチラも美味いよと焼いた肉だかを差し出してくる出店の店員も居る。背後のマークにも気にも留めないくらいの街の人の良さもある。ナマエ降りるんじゃないか?というシャチの一言、おれの反応でも見ているのかは知らないがその言葉には何も返すことはなかった。
 外は北からの弱い海風、すっかり静かになった甲板、船中には夜の街に行かなかった奴等が街から持ち込んだ酒を呑んでいる。ポーラータング号で一番高いところが見張り場所、そこであぐらをかきながら海風がしみるねぇとばかりに周囲の海含め見張りを継続していた。ふと甲板への扉が開き船内の光が漏れた事に気付き、見張り交代の時間かと思うけれども少しばかり早い。ペンギンさんという声が、夜の海に響く気がした。姿を見なくても分かる声の主がハシゴに手足をかける乾いた音が響いてくる。

「なに、どうしたの?」
「お酒足りなくなくなってません?」
「お、気が効くじゃん〜」

 ハシゴを登り顔を出したナマエは酒のせいかどこか愉しげに酒瓶を揺らしていた。見慣れた白いツナギに着替えているナマエがはいどうぞ、あと何も持たれていかれなかったのでと酒と膝掛けのような布を渡してくる。その手、指先、形の良い爪先が躊躇なく触れられるわけで、それは無性に焦燥感含めて掻き立てられるものもある。どこか愉しげな表情を見ていると最後なのかなぁと思わなくもない。街の熱気にやられたと言い訳なんて何遍にも用意は出来る。けれどこのまま立ち別れなんてあまりにも…だ。思わせぶりな、ねぇ、の一言から始まりお願いをすれば表情を変えずに頷く姿があった。
 やっちまったかなぁと思いながら指定した場所で待つと一分ですら一時間くらいに胸が痛い。絶対やらかした、なんだこれと頭を抱えていたら厚い戸がガチャリと開いて閉まる。

「え、ナマエ?」
「他に誰が居ると思ってるんですか」
「あ〜…良かった〜〜…ぜってェ来ないやつじゃんナマエって」

 なのに誘うんですねと笑う顔も今は独り占めだと思うと振り切れそうであった。船内の船底の方にある機械室、どう考えても今夜は使わない場所に呼び出しての密会。どうします?トランプでもして遊びます?という冗談、そんな色の良い唇が発する言葉を遮れば、あっという間であった。船の機能を維持するために断続的に聞こえる機械音、バラストにある空気が密封するかの様に機械室は音が籠る。その上に水密隔壁によって細分化される船内だから尚更だ。それにも関わらず必死に声を抑えようとする姿を煽り、声を聞かせてほしいと懇願すれば、嫌だと言われてしまう。

「誰もこねェよ」
「っ知ってる…そういう事しそうだもんペンギンって」
「え、何バレてんの?」
「んー、そうだろうなぁって、シャチさんにでも手回しした?」
「…。あ、こーゆー時にやっぱ他の男の名前聞きたくないなぁ」

 うわ、めっちゃ図星。見透かされた男の矜持を蔑ろにする女。敬語やめてくれと言えばスッと外し、あっという間に女の顔を全面に出せるこの男ったらしさが悔しいところで魅力的だとも思った。

「っナマエさぁ、もしかしてかなり猫かぶってたり?」
「ん…?そんな事ないよ」

 髪を耳にかけつつ、ちぅと唇を吸いつつ目を細めて笑うその姿だけで答えじゃんという野暮な言葉は返す事なく、唇に噛み付き直した。間を渡す様な透明な糸を何度も巻き取り、渇望していた肌筋へと手を伸ばせば拒まれる事なく受け入れられる。機械室の壁に背中を預け、太ももの上にナマエを跨らせて首元に口をつける。

「痕残してい?」
「察されるの嫌だから付けないで」

 白いツナギから腕を抜かせれば色気もないはずの黒いTシャツも今の自身には腕とのコントラストすらが魅惑的。さらりと断る女の細い二の腕を舐めて吸い付き赤い印を残せば不満気に見下ろす表情に、ごめんねとばかりにキスをすれば舌先は噛まれてしまった。

「嫌な事はしない良客さんじゃないの?」
「それはナマエのイメージじゃん?」
「ふふ、そっか」

 そうだったね、と首を傾げつつの淫猥さに欲を引き釣り出される。柔らかい場所を触って嬲って、口を開けば出る言葉は扇状的なくせに、触る時は口を結んだままなのがより唆られる。物欲しそうな甘く震えた吐息も全てが手の中、主張するもの全てが甘く敏感でありもう全てが止まる事はなかった。情けがあったのは最初だけ、欲望の切先を当てがえば引こうとする彼女の場所を押し広げては目の端から溢れる透明な液までを味わう事になった。

「…こらこら、何してんの」
「え、」
「え、じゃない〜。ピロートークまでがセックスでしょうが!」
「…あぁ」

 お疲れ様とばかりに何の余韻もなくサクサクと散らかっていた下着で身体の凹凸を覆い隠していく姿。思わず笑いながら腕を引けば、少し目を丸くしていた。呆れつつそういう奴だよなァ、後腐れなそうだしおればかりかよ、という意味の冗談であった。そんな事だろうとよと口にしようとしたがそれは叶う事はなかった。顔を上げれば触れるだけの唇がある、柔らかさだけを確かめるかのように角度を変えて何度も何度も。え、え、と戸惑うおれにまとわりつく腕、そして顔を耳元に寄せられてしまうので表情は見えなくなってしまった。

「好き」
「え」
「すごい気持ち良かった、またしたい」
「ちょ、…ちょっとまって」
「ペンギンもそう?…だったら嬉しいのにって」
「ぅわー…ごめんわるかった」

 いやいやそりゃ願ったけどさ、それは卑怯じゃんと予想外の言動にちょっとしたキャパオーバー。乱れた服のまま甘ったるく囁きつつ、ゆるりと首筋を触り、そして萎んだものすら撫でていく小さい手。ムクムクと再度血流が下半身に集まるのが分かる。伝わると同時に抱きしめ返そうとしたけれどスルリと腕は制された。代わりに頬にちゅと可愛らしいリップ音を立てて、でもやっぱ恥ずかしいから皆には内緒ね?と可愛らしく言われてしまえば、真っ赤なままアイアイと苦し紛れに頷く事になってしまったのだ。




「あれ、皆さん時間通りの帰船ですね」
「そりゃ後発隊の目がこえェもん」
「ま、夜は出てくけどな」

 翌日の夕方ポーラータング号に戻れば買い物だかをしたナマエ達が既に居た。船員が好き勝手にその言葉に返していた。

「何か買ったのか?服とかか〜?」
「はい、あと応急処置的なそういう本を…」
「え」

 おれの言葉に顔色変えずに淡々と答えるナマエに、おれ含め船に戻った船員達が少し戸惑っていた。何となくこの街ならこの船を降りるんではという意識が皆どこかにあったらしい。おれ達の戸惑いの意味が分かるイッカクがぐっとナマエを引き寄せた。

「ね、可愛いとこあるでしょ?」
「え」
「今日はさ、前もって約束していた船長やベポと一緒に本屋に付き合ったんだけど、買い物しながらニヤつくの止められなかったわ」
「え、どういう事ですか?」
「ペボはずっとニヤけてるし、ナマエは船長さんが来るまで千切れた腕くらい止血しておいた方が良いですよねとか言うから船長だって少し驚いてたわ」  

 何がいけないのかとばかりに意味が分かっていないナマエが抱きついてきたイッカクを見つめ返していた。イッカクのウインク一つから始まり、そしてまだまだこの船に滞在する気満々なナマエに、歓迎だ歓迎と素直じゃねーなという船員達が笑い出す。その意味を知り、小声の"あ"という間抜けな言葉に、お前こんな良い島に降りなくてどうすんだと言われた瞬間から顔色が一気に変わり始めていた。慌てて両手で紅葉を散らした様な顔を押さえながら、この島はフレンドリー過ぎて無理なんです…とおまえそれをこの船で言うかという言い訳をしつつ、私もう部屋戻りますと逃げてしまった。そういやナマエの歓迎会まだだったよな〜?とその背中に声をかけたが返事はない、でもきっと聞こえている。
来し方行く末知らぬ海賊旅は波風任せ。自分にしか知らない顔を見せつつも、でも掴みきれない女を連れ、また楽しくなりそうな予感に大量に酒買っておいて良かったなと思うばかりだ。