気管を満たすノスタルジー

 ウォーターセブンの治安は悪くなる一方で、よく晴れ渡る空が虚しくも思えた。そんな中、橋の下のトムズワーカーズが日夜汗水垂らしていた。街も閑散とし始めていたし、人々に活気も失いかけていた。それぞれが生活苦を強いられる環境の中、トムズワーカーズに時折ヒョコッと顔を出す女がいた。あまり島から好ましく思われていないこの会社に興味を持つ奴なんてなかなかいないかった。海列車の製作に取り組み始めて半年、突然下手なおにぎりを差し入れてきたのが始まりだった。

「…これ差し入れで」
「要らねぇって言ってるだろ。下手なくせに作ってくるなよ」

 名前も知らぬ少女を何回か追い払ったがしつこさに負けて差し入れを食ったときにはお世辞も言えないくらいに旨くはなかった。その事実を言えば、不機嫌を直ぐに表面をだすような子供であった。週に一度くらいのペースでコレはどうだ?と下手なおにぎりやらパンやらを差し入れ始めた少女に根負けして受け取りを始めたのだった。

「それくらい良いじゃないの、こうして調理すればありがたく一品よ」
「結局ココロさんの手が必要だろ」
「逞しいじゃないの、要らない言われてももってくるたぁ」

 傑作だと笑うトムさんやココロさんがいて、ついでにフランキーが橋の下には集っていた。寝食を共にし、海列車の開発に明け暮れる。海に線路を…と海にでて、帰った時にはドアのところに置き土産の料理が置かれている時もあった。下手くそな料理を時折持ち込んで、ココロさんに一手間加えてもらって何とか胃におさまる。ようやくその一手間が要らないレベルには上達した奴の名を聞いたのは海列車に取り組み始めて一年ほどが経過した時であった。

「なんだ知らねェでやんの。ナマエの名前ならとうにしってたぜ」
「フランキーはそうだったよね」

 誇りきったようなバカンキーと並べるとさすがに落ち着きはあって年上に見えるナマエは、聞けばおれたちとニ歳違うだけであった。それにしたら幼いであろう事は確かだった。あいつ食べてねぇんじゃねえか、という島の状況含めた一言を漏らせば、ココロさんは女の数年なんてあっという間だと違う返答をした。


「ンマー…ようやく食えるレベルだな」
「おれは最初っから食えたぞ!」
「おまえのばか舌と一緒にすんじゃねェ、バカンキー」
「なんだと!?」
「ちょ、ちょっと」

 廃船島の瓦礫の上を渡ってくる姿を時折見かけるようになって数年。今日のは自信作だと笑う姿がある。瓦礫の上を渡るような姿も辿々しかった昔に比べれば大分軽やかに、少し跳ねるかように作業場にたどり着くようになっていた。笑うトムさん含め、その差し入れを食ってようやく美味いと思えた。そんな事実を言えば、うっ、と言葉を詰まらすナマエも数年前よりも背が伸びているし、所々跳ねてボサボサだった気にしていなかった髪も今じゃすっかり落ち着いている。

「いつも悪いねぇ」
「いえ、ココロさんにお料理教えてもらうの楽しいです」     
「…暇人だな」
「皆さんに比べれば当たり前だもん」

 散々下手だなんだと言ってしまったせいもあるためか、見るに見かねたココロさんは夕飯時にかかりそうな時は一緒に調理している姿もあった。又聞きだけれど、ナマエの父親は海難事故に巻き込まれていることもあり海列車を楽しみにしている事、また母親の目を盗んでここに来ている事などを知った。もう盗むほどの事もないけどねとサイドの髪を耳にかけながら苦笑いを浮かべた姿はどこか苦労さも滲み出ていた。
 失敗の繰り返しを続ける毎日、身体中に生傷が増えるばかりである。海王類にも襲われそうになりつつ、高い波の中もあれば、風の強い日もある、1日も終われば多大な疲労感が身体中を襲う。ある日は、フランキーちょっとじっとして!と呻るフランキーの傷口を洗浄して痛ェだのなんだの叫ぶところに包帯を巻く姿もあった。が、甲斐甲斐しくタオルで額に浮かぶ汗まで拭いてやる必要性はねェなと感じた。
 
「ねぇ、それ痛くなかったの?」
「大した事ねぇよ」

 腕に彫ったタトゥーを指先でなぞられた時に思わずその腕を引っ込めた。慌てておまえの指が冷てぇと文句を言えば、それ彫るよりはマシでしょと形のいい膨らみのある唇を尖らせた。
 たった数年であった。ぴょこぴょこと廃船島の瓦礫の上を移動していた子供という言葉の方が似合う女にイラついて作業の邪魔だと追い払ったときもあった。定期的に差し入れをしてきていた子供だったのにも関わらず、いつの間にか初めてあった時よりも背は高くなり、本人の意思とは関係なく身体の凹凸までもがハッキリしてしまった。少女から女性への過渡期を他人であるおれが一番に察してどうする。二十歳になったおれのことをあっという間に背が高くなったよねと届かないだろう手をコチラの頭に伸ばしてくる姿に一歩だけ後ずさった。それに気にすることなく、私はもう伸び終わりだなぁっと瓦礫の上に座りつつ脚を組む姿はもう一人の女であった。穏やかに目を細めて見つめる先には、遠くで何やら騒ぎながら作っているフランキーとその横にいるヨコヅナがいた。それを眺めつつ柔らかく笑っている姿に湧き上がる不快感が自身を支配する。取り憑かれそうな不快感を振り解くかのように頭に巻いた白いタオルを巻き直せば、仕事の合図のように感じるらしく、また差し入れ楽しみにしていてと笑いながら去っていく。


「ンマー、…この時間にくるのはやめろ」
「え、なんで」

 年々治安が悪くなる一方のウォーターセブンには当然毎日夜が訪れる。夕陽が沈みかけるような時間に顔を出したら、帰る時には当然日が暮れてしまう。そんな時間に今日は味付け変えてみたんだよ夕飯の一品にどうぞ、と顔を出した姿があった。差し入れられた料理を食べながらの忠告に、なんで今までもあったよ?と訴えてくる目に向かって言う事は、女一人で危ねぇだろ以外の言葉しかない。ただその一言が口に出せずに睨むだけとなった。

「ほらアイスバーグ送ってやんな」
「あ、だ、大丈夫ですココロさん。そのご迷惑おかけしてごめんなさい」
「遅い時くらいは甘えなさい。あなたが居ると華やぐのだから」

 差し入れに対して、見送られる事が対価に合わないと訴えている。どうやら迷惑をかけたと感じているのであろう、狼狽える姿の腕をとった。
 そこからは青臭くてどうしようもない話だった。触れる腕は細っこくて、柔らかく知らない欲を掻き立てられる気がして頭をふった。送ってくるとの一言と共に橋の下を後にした。隣を歩き、人目を気にしながら迷路のような路地裏を進む姿は当然のように慣れているようであった。分かってるんだ、この女だって治安の良くない街での行動なんて。

「ウチここ、コーヒーくらいは出せるよ」

 路地にいたままだと変な輩に目をつけられるからとにかく入ってくれとおれの腕を引っ張って、家の中に連れ込まれる形になった。そして頑丈そうな鍵をかけた、いつもこうして帰宅していたのだろう。小綺麗にしているらしい狭い部屋は物が少なく、サイドボードにのる写真たては伏せられていた。いつの間にか家族の話をしなくなっていたその理由を聞くこともなかった。湯を沸かそうとするナマエを呼べば躊躇なく振り返る姿に手を伸ばせば直ぐに触れられる距離であった。

「…頼む、少しは警戒してくれ」
「は、はい…」

 半分唇を噛むように絞り出した声。掴んだ腕を離すが、離した瞬間に溢れそうな感情に戸惑う。背中まで伸びた髪が低めにまとめられている紐を解きたいとか、このままその腰を引き寄せたいだとか、それは昼間真面目に働いていた事から考えると正反対の情欲でしかない。先程伝えなかった、日が暮れたあとは危ねぇだろうという理由を今伝えた形になってしまった。散々子供が来る場所じゃねェと追い払っていたくせに、そう言ったら最後、女として見ている事がバレてしまった。顔を真っ赤にしたままの姿を引き寄せれば、簡単に腕の中におさまってしまう。

「…逃げねェのか」
「ど、どこに…」
「そりゃ…そうだな…」

 戸惑い一つ飲み込んで、眼を潤ませて戸惑う姿に顔を寄せれば不器用にぎゅっと目をつぶる女の唇に自身の唇を当てる行為をする。興味がないと思っていたくせに自身の理性の脆さが露呈してしまう。ガサついた唇に対して柔らかいその唇を追い求めていけば、自然と口内に舌が伸びていた。視線の先を焼き付けるように、歯列をなぞり、好き勝手に舌を絡ませあった。

「あ、のその…初めてなんだけど」
「あぁ、おれもだ」

 息を乱れさせながら戸惑いを口にする。こちらだってトムさんのところで散々船作りに勤しんでいたわけで、こういう欲求なんて面倒くさいものであった。だからこそ今、目の前の眉を寄せて困った顔をする女にまさかその欲を露わにされるとも思わなかった。

「ンマー…嫌だったら言ってくれ…」

 嫌と言われても止まる気はあるのかないのか分からないセリフを吐き捨て、その身体に手を伸ばせば戸惑いつつも両手が背中に回された。魔がさした廃れた街の一角、狭い部屋の中での行為は、息づかいさえが部屋に響きそうな勢いであった。終着地点であったのは少しの体重移動で軋むベット、その上で汚れたままの服を脱ぎ捨てた。そして打算的でもない色褪せたTシャツを捲り上げ、白い腹に手を本能のままに手を這わせればくすぐったいと顔を背ける姿があった。くすぐったさだけじゃないと感じるのはこちらの欲なのかどうか。アンバランスさを感じる身体と反応がこちらの欲をこれでもかというほどに煽るのだ。柔らかい膨らみに触れ、身体の中心を高めそうな知らない声をあげる場所を弄りあう。そして未知の部分を二人で探り合って陳腐な言葉で煽りあった。無垢な部分を暴くような興奮なんてその時だけだろう事は確かで、何もかもが新しくて初めて見つけたおもちゃのようであった。

 そんな無断の朝帰りを咎められないほどに恥ずかしいものはない。トムズワーカーズは寝食を共にしているわけで、泊まる場所なんて他にどこにあるのかという話だ。完全に若いやらかしだと気付いたのは、朝目が覚めて知らない温もりが身体にまとわりついている時だった訳だ。ココロさんに作ってもらっただろう食事の件をすいませんと謝れば、簡単に許された。そしてトムさんは豪快に笑っているだけであった。散々騒いだのはフランキーで、ナマエに何したんだ!!と歳が離れても勘付くものがあるらしく、真っ赤にしながらも何回も口にしていた。ただそれの方が生温かい目で見守られるより断然マシであった。
 そこから数年間、数ヶ月に一回ほどは太陽が傾いた微妙な時間に差し入れをする。その後どうなるかを分かっているくせに真っ赤な顔をした状態での差し入れでおれを送り狼にさせる。その場にいた者に全てを察されるこの上なく恥ずかしい状態を毎度起こしてくれる。そういう時は暗黙の了解になりつつある朝帰りを毎度の事にフランキーは、てめェは問題過ぎる代われと散々文句を言う。そんな若い逢瀬が途絶えたのは海列車が開通してからであった。



「…そんな事もあったと、懐かしく思ってだな」
「…十年振りにそちらから顔を見せたと思えば、どう考えてもセクハラです」
「ンマー…セクハラだな」

 洗い終わった多数の皿を拭いたかと思えば、客が居なくなった店のテーブルを念入りに拭いている。はい、グラス上げてと言われそれに従いグラスを上げれば、置いてあったスペースを拭く手は働く女の手であった。

「困った顔は相変わらずだな」
「っ、…あのね、わざわざこの年齢の女捕まえないで若い子口説いてください」
「つれねェな。未だに男寄りついてるだろ」
「物好きはどこにもいるものよ」

 未だ独身のままのナマエ、そんな彼女が海列車が通り始めてからいつの間にか開いた店は老舗のように繁盛している。しかし顔を出すのは初めてであった。理由なんて生死に関わる案件を抱えていたというもの以外にない。ため息混じりに年季が入りつつあるエプロンを紐を解き外す姿がある。

「はぁ…なんで今なのよ」
「分かるだろうが」
「…。私もう胸もお尻も垂れ始めたかもしれない」
「奇遇だな、おれも腹の脂肪が増え始めた」
「嘘も大概にして、現役でしょう」

 この前も寝る間を惜しんで船作ってたじゃないと呆れる姿はあの当時は見なかった姿だ。先日のフランキーの門出も見守っていただろう事は想像だけでも分かる。あの当時のように眺めていたくせに、ココロのバーさん経由で差し入れをしてきた事くらいおれもフランキーも気付いてた。差し入れを食べつつ、ケッ、青臭ェままだなとフランキーが一言揶揄した。積み重ねてきた過去を蔑ろになんて出来る事なく、今更に声をかけているのに気付いているのかいないのか。本当昔から自分勝手よね、と呆れる姿は哀愁すら感じる。閑散とした店の椅子は座り心地が良くて居座りそうであった。