眩暈、泳いで、遠い空
その島は賑やかな街が広がっているらしい。建物は他の島との交流も昔はあり、その影響のせいか比較的カラフルな配色と個性的な形をしているという。西の海岸沿いが絶景ポイントで段々になる建物が見事な景色を生み出しているという。狭い小路には商店が立ち並び、そこが生活の場だとの事。ただし人気のない裏路地は治安が悪くて、観光客はスリに遭いやすいらしいから気を付けた方が良いらしい。ま、私の方が上だったわとどこか得意げにスリから更にスッたらしいナミが札をヒラヒラと指先で泳がせていた。ロビンさんもロビンさんで、その光景を穏やかに見つめつつ難しそうな本のページを捲っている。
「明日は舟番任せなさい」
「じゃぁ出てみようかな」
スリからスッてきたお金を前にご機嫌姿の彼女が放つ言葉に素直に頷いた。平然とした、そんないつもと変わりないやり取りをした。
ただ、街に繰り出すとなると芋づる式に思い出してしまう事がある。もちろん原因は私自身。寄港地であるこの島での船の留守番をした際になんとも恥ずかしい痴態をゾロに見せた上に手伝わせたような事である。同性である彼女達の前では特に恥ずかしい、というかどういう事なの?と問い詰められるような事になってしまうだろうし、そもそも仲間内にそんな生々しい部分を出したくはない。
黙っているとじわりじわりと約半日前の事が思い浮かび始めてしまう。触れるだけで、いや触れられるだけで途方もない焦燥感が溢れてしまうことを知った。私もゾロはサラリとした信用おける関係性だと思っていた、けれども私が抱く気持ちは自身の予想より拗らせかけていたようでもあった。だって、そういうものじゃん。いやだってゾロだよ?可愛い、綺麗だと言われる女性達にお世辞を言うわけでもない、むしろ的確な事サラッと厳し目のことすら言ってしまうくらいの男じゃん。なのに、と思うと言葉が出なくなってしまう。
「あーーーーーー……」
「何?酒足りないの?」
「私を何だと思ってるの」
すいません、この部屋でちょっとやましい事をやらかしましたという事を告げることは絶対に出来ない。今もう心の中で土下座してるだけで許していただきたい。ナミ達に、ちょっと外で寝酒呑んで頭冷やしてくると伝えつつその部屋を後にする。今夜は正面から向き合えるような気がしない、一人になりたいと思ってもなかなかそうはいかない。船というのはそれが良くもあり悪くもありだ。船を歩けば、おやナマエさんこの時間に珍しいですね、というブルックに出会う。彼は夜が似合う、いや本人はホラーは苦手との事だが、そんな彼に少し寝酒をと笑えば、そういう夜もありますよねと分かっているようにヨホホと笑う姿があった。
サンジくんを見つけに行くのは簡単だ。今ここでサンジくーん!と叫べば颯爽と現れてくれそうだからだ。ただ当然そんな事はしない。お酒の調達くらい自身で行いますともとアクアリウムの世界が広がる食堂に入る。油断していると冷蔵庫の中を全てを空にしそうな船長さんもお酒には手を出さない。そのためお酒は比較的自由に近い、ただ油断しているとお酒の方を空にしていくような緑の頭もいるけれどだ。夜のアクアリウムのようなダイニングで一杯も捨てがたいけれど今日は外にしようかと戸棚からお気に入りのウイスキーを掴む。そして口の広いグラス、氷…と拝借して夜風が沁みる甲板へ出た。
今日の夕食も美味しかったなぁ、と名残惜しげに思い出した。そんなディナーは、この島特産の魚介類のブイヤベースだとかサンジくんは言っていた。島の周りを歩けば湾の豊饒が手に取るように分かるという。一つ一つの店を覗くように、その島、季節を自身で確かめるその姿は一流そのもの。普段の柔らかで女性には特に甘い彼の、食材や調理に向ける真剣な眼差しはつい惚れ惚れしてしまうのは当然の事だろう。そして市場や店で選択した素材を活かして作る料理は当然のごとく絶品だ。そうして今夜も魚介類の旨味が凝縮したようなスープに舌鼓をうったのだ。あぁ、白ワインを呑みながら摘んだ揚げたての魚介のフリットも最高に良かった。名残惜しく最後の一つを口の中への運んだ後に、是非また作って欲しいと願望のままに希望を伝えれば、ハート乱舞でもちろん喜んで作るよ〜とくるくる回ってくれた。
この世界にしてはまだ穏やかな寄港地でもあったこの島はナミに言わせればログが貯まるまでは数日との事。久々のんびり出来そうな島で良かったと芝生の甲板に一度寝そべった。芝生は天然の絨毯、寝転べば船の上なのに大地の温もりが感じられる。上を見上げれば夜空を少し遮る大きな帆とみかんの木、このサニー号に植樹されているみかんの木はナミにとって大事な思い出だと聞く。ウォータセブンにてメリー号から受け継ぎ植樹されたその木も今やまた一回りも大きくなっている。食べるという一点においては誰の追従を許さない船長、そして他の船員もこのみかんには手を出さない、それだけでも仲間を想うようなどこか温かくなる木でもある。月夜の晩にそんな事を思うのも悪くないでしょう、いやまだ酔っていませんけどと思いつつ、拝借したグラスに手酌で注ぐ。そして一口飲んでから、息を吐きつつ口元を手で隠す。そうして半日前のことを思い出した。
ゾロは私のやらかした事を当たり前に何も言わない。知ってる、そんなことを言うようなタイプじゃないというのはずっと知っていた事だ。夕食時には目が合う事は一回だけだった。過去一度たりともそんな事を数えた事も意識をした事もなかったはずのに目が合うそれだけを今日だけは気にしてしまった。その魚介類、細かい殻とかついてないですか?という勢いで胃袋へと収めていき、サンジおかわりーー!と盛大な要求を行う船長、その傍らで晩酌に近い食事をしていたゾロ。
食事というよりも酒のアテにしたような食事光景が広がっていた。大エビの殻をザックリと剥いて頭の方からガブリと丸齧り、がっしりとした歯が一瞬見えて消える。歯の一本一本ですらしっかり面積をとったような強そうな歯はよくゾロによく似合う。珍しく口を開けて楽しげに笑う時は綺麗に並んだ大きな歯が見える、それだけで私までつられて嬉しくなってしまったりもする。そう、実は大口で笑う姿が似合うのにそういった姿はあまり見せてはくれない。そんな大きな奥歯まで含めてもぐもぐとエビをすり潰して頬張って口内に残ったらしい殻だかは皿に吐き捨てる。そして酒を瓶ごとあおり、どこかご満悦そうな姿は決してお上品な訳ではない。ゾロの所作にお上品さを求めるのはお門違いも甚だしいだろう。ねぇゾロその指はいつ洗うの?ブイヤベースでコーティングされてない?美味しそうじゃん?な手先を気にする男でもないし、けれど気になったらしい親指だけは赤い舌先でぺろり舐めるくらい。クソコック、これもうねェのか?とおかわりの要求をして渋々目の前に出された追加の品に喜ぶ姿があった。今夜だけは妙にどこか獰猛さの見え隠れするような食事光景だと感じてしまった。
反省、反省とばかりにどこか邪な頭の中を夜空の下でリセットだ。夜の明かりなど月や星、そして街の明かり、ただその中だけでも手の中に収まる氷が静かに反射していた。
「なに一人で楽しんでんだ」
「あ、え、…ぞろ…」
ふらりと現れたのは側に居て欲しい、欲しくない相手。いや今これでもあなたの事で悩んでるんですけどという気持ちを押しやった。夜の甲板の上にいつもの着流しのような姿のままのゾロが佇んでいて、そして隣に、一人分の距離を空けて芝生の上に同じようにドカリと座る。
「よこせ」
「いや、全部ラッパ飲みしてくれんじゃん」
「それあと少しだろうが」
「えぇ…」
渋々自身のグラスの中になみなみと注いだ。寝酒としては多めだとは思いつつも、このままこのウイスキーは簡単に飲み干されてしまうのだからしょうがないのだ。きっとグラスの中は琥珀色に染まっていっている筈だけれど今はただ静かな透明な湖面だ。
「ん。これ美味しかったのに」
「明日買え」
「…そうだね。って飲み干したゾロが買ってよ」
「大半を呑んだのはそっちだろうが」
突き出したように渡したウイスキー、グラスもないゾロはそのまま口付けで呑むのだろう。せめてもう少し芳醇な香りを味わってくれと言いたいところだ。そんな残りをとられたこちらの文句も、明日という単語を出されてしまうとどこか敏感になってしまう。妙な緊張感がある左半身を有する私の見つめる先は手元のグラス。半日前のやましい出来事を思い出すと身体がおかしくなるような気がしてしまう。
ゾロのウイスキーを持つ手は、二人だけの日中に軽く私の身体を触った手。ゾロさー…半日前の事どぉ思ってんのぉ?と絡み酒のようなもんで問いてみたいと思うけれど、そんな話をするには酒が足りな過ぎる。寝巻きのようなラフな格好、羽織ってきた長めのカーディガンの袖をギュッと握った。
「…今夜見張り?」
「あぁ」
会話ってどうしてたっけ、ぜんっぜん思いつかない、いや自分気持ち悪、ゾロとの会話なんていつも何も考えてなどいないのだ。ペラペラとゾロー?何してんのー?と酒飲む姿に寄りかかれば、見りゃ分かるだろって呆れられて…そして、私がダラダラと喋る一日の出来事を聞いてくれているのが常だ。あれ、もうそもそも会話になってなくない?いやいや、ちゃんと相槌は打っていてくれた筈だと思い直す。刀三本の帯刀しつつ座る姿は様になる。そうしてラッパ飲みをするようなもんでもない酒瓶を空に向かって仰いでから、きゅぽん、と瓶口から口を離す音が聞こえた。いやウイスキーはその飲み方しないからと言いたいのに腕で口周りに溢れたらしい雫を豪快に拭う姿をみて、あぁ好きだなって思ってしまった。
「…まって、やっぱ私の事好む理由なくない?」
「何の待っただ」
「それでも冷静になったの」
「おまえ、冷静になれたのか?」
「いや失礼過ぎる。もうさ、…これでも日中やらかしたって思ってるし、何?蚊に刺された感じで忘れて欲しいの」
ゾロ、巻き込まれてのスケベ事故じゃん、と言いつつ曲げた膝を抱えつつ密かに口を尖らせた。恥ずかしいけれども今更清楚ぶる方が恥ずかしい、人間の欲の一つだと言うならそれまでだ。そして本来ならばご迷惑おかけする予定でもなかった。あの時は何も考えられなくなってしまったけれど、今は気を落ち着かせて反省をしている。抱えた山折りの膝、少し目だけで隣に座るゾロを眺めれば、開いていた目と合った気がした。その時、不意に私の後から来た時のゾロの座る位置がいつも同じ側という事に今気付いた。私にとっては単にお酒を奪いにくるようなそんなよくある光景にしか感じていなかった。下手したら今日もそうだった筈、でも少し違う空気があったから今気付いてしまった。
ゾロが口にしたくだらない私の姿。以前、今夜見張りだから三杯で終わらすと宣言して、結局見張りを変わってくれと絡んだ事だ。
「やっば、これ強過ぎたの。割り方間違えた、アハハ」
「弱えのに呑むな。あとそれ五杯は呑んでんだろ」
「弱くはないのよ、ゾロやナミが異常。五杯?あれそうだっけ?考えたんだけどさー、三以降の数字ってもういらないよね。美味しいでよくない?」
「なら三杯で留めるいうんじゃねぇよ」
「それ言っちゃうのナシでしょ。あーーーー……うぇ…、ぞろ見張り変わってぇ。あ、だいじょーぶ!ゾロだけにはさせない。もちろん私も一緒にみはる」
「いらねェやつが居ても無駄だろうが」
ゾロが呆れたため息をついたのは当然。しかしその日の夜の見張りは私だったのにも関わらずゾロは付き合ってくれた。おまえが見張るんだろうがというゾロに対して、背伸びをしつつゾロの硬い太ももを枕として横になった。そして少ししたら起こしてくれ、ちゃんと交代すると言いながら寝転んで、起きたら時はまさかの朝でそして違う太腿を枕にしていた事がある。やたら逞しい太腿は枕には不向きだったなぁという失礼な事を思いつつ起きたものだった。
ひょんな事からこの船に乗る私。これでも大規模な事態の時には工作員として情報収集などの暗躍に奔走する。はたして私の存在の意義とは?と考えた夜もあるけれど、彼等には不必要であった。特にこの男は、下手な卑下は嫌う。だからって過度な期待も持てはしないのも確かだ。ほのかな気持ちも私側からすれば、良いじゃん仲間として上手くやれればという気持ちが前提にあった。そんな隠し切りたい気持ちも今夜はどこか熱を孕む。
「あ?理由なんて必要か?」
「っ、そーいうのさぁーーー…なぁんも考えてないでしょゾロって」
私を好む理由に対しての返答なのはすぐに気付いた。そもそも繊細な機微を拾ってくれるような男ではない事は知っている。ただいつも同じ側に座る男の姿が記憶にあって、例え私が後から来て、ゾロ隣失礼するねと適当に座っても、追加の酒を取りに行ったゾロが私の左側に腰を下ろしていた。ゾロの視界範囲をようやく気付いてしまった、そうやっていつも見守っていてくれていたの?なんて自惚れもいいところだ。
どこか悔し紛れに芝生の上に置いあったグラスを手に取る。そして寝酒にしては勢いよく残りの数口分を一気に呑んだ。
「…飲み過ぎたら、明日つれェぞ」
「ぁ、あす…?」
どこか間抜けなおうむ返しだった。低く響く声が入り込んだような日中の熱帯びた行為を思い出してしまう。太く逞しい指、私が体重を預けきってもびくともしない胸板、そしてようやく最後に気付いた固くなった男の部分。純な反応なぞ今更にしたくない、それでも経験値が違うからさぁという自身の考えに反して頭の中を巡り巡る生々しい想像。胸元から覗く厳しい鍛錬を繰り返し鍛えられた身体、筋肉の筋が何本も走る身体、だから前はだけ過ぎなんだってと今の姿ですら無性に生々しくなってしまう。閉じられていない方の鋭い目から投げかけられる視線、その中に隠されているような感情がある気がしてしまってならない。
「っ、これくらいは飲み過ぎにならないから」
「へぇ?そりゃ楽しみだ」
何を?ねぇ一体どこまで本気なの?と問いたくなる、くいっと上げたわずかな口角。寄せては引いてく波のように、どこまでも捕まえにくい、海の男に惚れてはダメだと聞いていた筈なのにいつの間にか深海に引き摺り込まれている。完全に手遅れなのだと気付いてしまったそんな今夜の空は星が無数に散らばる澄んだ空気をしている。明日の天気はナミによれば晴れだと言う、けれど雨が降って欲しいと思っている。雨宿りの口実ならば…、なんてどこまでも予防線を張りたくなってしまう臆病者、それでもまだ足りないのだ。