沈黙を裂いて落ちたひと

 この世界には失礼な奴らがいる。散歩だと言えば、ふざけんなと騒ぐ奴らだ。船から降りれば、頭上から散々な言い草が降り注ぐ。

「コイツ連れてきゃ良いんだろ」
「へ…」

 戸惑い見上げてくる顔、昨日の記憶がねェとは言わせねェ。その日同じように船を降りたナマエの細ェ腕を掴めば、燃え盛るコックがいた。それを半分無視して島の方へと歩き出せば、背後からは"ナマエちゃーーーーん!!"と言う情けねェ叫び声がこだましていた。
 待ってゾロ、ゾロが先頭とか絶対よく分からなくなるやつじゃん!と半分叫ぶように背後から小走りについてくるナマエがいる。振り返る事なく進む先の気候は晴天、グランドラインの中でも比較的まともな島らしいと昨日降りた奴らが言っていた。おかげで自警団のような組織もあり昨日は見つかったと笑いつつ逃げ帰ってきていた。

「昨夜ウイスキー飲み干したから、それは買うからね。あとナミ達が言っていた景色も見たいの」
「…あぁ」
「あと服とか下着も買いたいし」

 あっけらかんと指折りに口にするどうでもいい希望はこちら側としたら右耳から左耳へ素通りするようなものだ。ちょっと聞いてる?と眉をひそめた表情に、聞いてると伝えれば、絶対聞いていないでしょと不満を露わにする姿がある。じゃぁどう言えば良いって話だ、これだかこいつは分からねェ。
 船付き場に向く海岸線には外向きのような店がズラリと並んでいる。そこで良いだろと言えば、こういう店は島外の客を相手にしてるから、いいお値段してる事がある、そんな所で酒を買ったら絶対にナミに怒られるからと恐怖で顔を強張らせていた。

「耳元で騒ぐな」
「はー、もう…、ナミから聞いた東の方の街に行こうよ、大きなマーケットがあるらしいの」
「あぁ」
「いやゾロそっちは西だからね」

 真顔で、ハイ行くよと足を進める方へと歩き出す。真顔、その顔が昨日午後の微睡の中で酷く歪んでいた事を知っている。目の前に広がる光景、そして忘れてくれと半裸でせがまれた。何も見てねェ、それ以外いう事はねェだろとその場を去ろうとすれば縋りつかれた。あろう事かスルーされる方が死ぬだの大袈裟な事を言い半泣きになりつつある奴を放ってはおけなかった。


 そんなナマエという女。そもそもだ、酒があるないに関わらず、気ままに人の周りをうろちょろして、何が楽しいんだか知らねェがフラリとゾロ何してんの?と寝ているところに突進、絡んでくる奴である。腹を押さえつつ見りゃわかんだろうが、と荒く言えば、え、だってゾロ目ぇ閉じてても起きてる時多いじゃんと平気で言い返してくる時には参った記憶。戦闘時は常に裏方のように敵の裏に周り情報操作やら戦場把握に奔走する姿がある。当然に酒が入っていねェ時はそこそこまともな奴ではあった。
 二年ぶりの再会時には、大真面目な顔をして"ゾロ、私二年間禁酒したの。依存していないと分かったよね"とクソほどどうでも良い報告を耳打ちで言ってきたもんだ。
 辛かった、ほんとうに辛かった、何がってそんな悠長に呑める生活じゃなかったんだってぇ!と叫びつつある夜は呑んでいた。ウルセェというのにも関わらずこちらに抱きつくようにだ。そして肩につくと直ぐに切ってしまうと言っていた髪もいつの間にか伸びていた。ほら、私もやりゃ出来んの、と得意げに鼻で笑っていて、そんなナマエの二年間を当然に知らない。

「ほら、触ってみていいよ、これが乙女の髪」
「どこのどいつだ」
「ここですぅーー」

 己に好きに身を任せてきて寝こけるような酒に呑まれる女の髪など。ただその髪を無理やり触らさせられて、その髪の手触りがあまりにも縁遠いものであった事、スルリと指の間を抜けていくような感覚に無性のざわつきがあった。ね、良いでしょ?と目の前で無防備に口角をあげる唇を前にして呆れる様に目を閉じた。
 知らない二年間を互いに触れたことはねェ。ただその間に伸びた髪のように、変わりゆくものはある。とある夜、今夜は不寝番だからと三杯で終わらすと言いつつ、酔ってやっぱりよろしくと言った女。一緒に居ると現れる女であり、コイツがおれをなんだと思っているのかは分からねェ。そしてそういうものは変わらねェもんらしい。

「だいじょうぶ、ゾロ一人にはさせないから」
「そうかよ」
「だから私も見張る…」

 右手にかけ布、左手に酒を握りしめて見張り場所に現れる奴など碌な奴じゃねェ。似たような夜を何度かやらかしすナマエはグラスを掲げ、これはいつもの安い酒、これで身体は浄化できる、リセット出来るといつもの酒になっていたらしいが、結局は割り方が云々と言い訳しつつおれの身体に寄りかかったまま寝ていた。
 停泊中の夜の海、サニー号の見張り場所には静かな波の音と時々獰猛そうな海王類の低い鳴き声が響く。そして自身も見張ると言った張本人がおれの身体にもたれかかる様に寝こける姿がある。安い酒が云々言っていた喧しい女もこうも静かになると調子が…、いや崩れはしねェなと思いつつ、肩周りにかかるいつか触わった髪に指を伸ばせばさらりと指の間を抜けていく。
 瞬間静かにガチャリと扉が開いた音、その髪から手を離した。足音、気配、この見張り場所に向かってくる音はブルックだと分かる。

「ヨホホ、それでも見張り少し代わりましょうか?と言いにきたんですが、どうやらナマエさん座ったまま眠られてますね」
「あぁ、このままで良い」
「昔、ナマエさん酔った時におっしゃっていましたが、ゾロさんのところが一番深く眠れるそうですね」
「…どうだかな」
「お二人は…、いえ野暮が過ぎますね」

 もし疲れるようならばいつでも声かけてくださいと言いつつ去っていく骨身の体を有するブルック、知ったような言葉を残しつつ消えていった。余計な世話を…と新たな酒瓶の栓を開けた。のちに思えば酒の追加でも求めりゃ良かったと思ったが今更ではあった。

「ったく…」

 仲間が船にいる間は起こそうと思って起こさねェと起きねェという事は経験上知っている。呑気に人に寄りかかって寝こける女の身体におもむろに手を伸ばした。持ち上げて片手を膝裏に、そしてもう片手を腰と背中に、身体の正面で横に抱きかかえた方が楽だ。クソコックが見たら発狂違いねェだろう体勢ではあるがずっと寄りかかられるよりマシだ。ガキだガキ、ガキのお守り、そう半分抱き抱える様にし直せば、頭部がダラリと流れる為に仕方なしに胸元の方へと寄りかからせる。意識のない身体、いつもは重いから抱えて逃げるのはやめてくれと鈍足なくせに騒ぐ奴、当然これくれェは重くもなんでもねェ重量だ。こいつが引っ掴んできた布生地を身体にかけてやりゃァ、変わらず静かに寝息を立て続けている。人の気も知らねェでだ。
 眠りについた無駄に温かな体温が腕やら胡座をかいた脚やら、触れる胸元に熱をうつしてくる。マシだと思ったはずが寄りかかられるよりも体勢が固定されちまって不具合しかねェ、このまま海へ放り出してやろうかと頭を過ぎるくせに己の手は腕の中にいるナマエを放り出す事はしなかった。
 めんどくせェ、ひたすらにめんどくせェ感覚が身に纏って離れない。腕にもたれ掛かるようにある顔、その伏せた目も影作りそうな睫毛も、そして邪魔だろと思うくらいの肉付きすらが面白くもなんともねェ。酒を入れたっつー身体も酒臭さはねェ、むしろ女特有のまどろっこしい甘めの香りが腕の中にある。邪魔でしかない情念、ナマエの身体を腕で支えつつ腰から鞘のままの刀に手を伸ばし一本外す。腕の中にいるコイツに触れていると雑念しか入らねェ、刀を握っていた方がいいと鞘のまま手にしつつ、その晩何度目になるか分からない息を吐いた。


「ぞろぉ…だから起こしてくれたって良いのに…。あー……つら、身体痛…やっぱ甲板で寝るのキツいわ、いや本当ごめん、もう呑まないわ」

 朝日が昇りそうな時間、甲板へと静かに身体を下ろした瞬間に起きるナマエ。水平線に沈んでいる太陽が昇る気配、その弱い朝日を浴びつつ開口一番、よく心にもない言葉をすらすら吐けると尊敬する。一晩中身体を抱えていたこちらの身の事を何も知りもしねェ癖にだ。あっけらかんに、大丈夫?何もなかった?と首を傾げつつ言う本人にすりゃ不寝番の内容を問いているのだろう、けれどこちらとしては、何もないとは言えねェものはあった。

「何もなかった」
「そっかありがとー、次のゾロの日は代わるから安心して、大船に乗ったつもりでさ」
「泥船の間違いだろうが」
「いやいや、素面ならこれでも真面目だからね」

 何、朝起きて爽快さ出してやがんだ本気で馬鹿だろ。人の事を無欲の枕としか認識しねェ女は、今日の朝ごはんはなんだろうと鼻歌すら混じっている。

「はー、とりあえず顔洗ってこよ」
「てめェは頭から水かぶれ」
「なんでよ、風邪ひくから」
「風邪ひくわけねェだろ」
「急に辛辣、いやいつもだっけ」
「知るか」

 感情が処理範囲超える、それはおめでたい性格を醸し出しているコイツが昔言った事だ。視線を外しつつ、こう…船に四六時中過ごす、だからこそ皆に仲間以上の感情を考え始めると眠れなくなると口にしていた。言葉にならないような息を深く長く吐きながら、処理能力…そもそも器の容量がそもそも少ないのかなと消えそうな声で溢し、速攻で眠りやがった事を覚えている。
 この船に乗り合わせた当初は、私が足を引っ張っているだの、事態の悪化は私が上手くやっていないせいだの眉間に皺を寄せ、やたら自身へと刃を向けるような厄介な奴だった。不甲斐ないと泣き、自責の念に纏わりつかれているような女だった癖に、今じゃ別の意味で厄介な女になっちまっている事実がある。

 
「ゾロと一緒なら安心だね」

 昨日到着した島、遠目からも崖沿いまで家が並ぶ景色はその島の豊かさが見てとれた。ルフィ含めウソップにクソコック達が街への消えていった後に、そう呑気に言い放っていた。辺りには、おれの返しを代弁するかのように間の抜けた海鳥の囀りが虚しく響く。

「…おれだけで充分だろ、おまえも街いきゃ良かったろ」
「いや、先遣隊の面々の話を聞いてから上陸したいし」
「ビビりか」
「そりゃ皆に比べりゃそうでしょ。あ、ゾロ、サンジくん居ないから昼作ってあげる。ちゃんと許可もらったの。で、何食べたい?」
「あぁ?腹痛くならねェもん」
「え?ゾロなら別に痛くなっても大丈夫でしょ」
「口に入るもん」
「おーけ、それなら得意」

 目の前に立てられた親指をへし折ってやろうかという意識に駆られた。正気に満ち、満面の笑みで溌剌と言い放つ得意という言葉。いや得意じゃねェだろ、一度てめェに胃を殺しかけられてんだと過去を思い出した。
 太陽が真上に上がり、船の上を漂うよく分からない芳ばしい香り、アイツは何をしたと眉を寄せた。しばらくの後にゾロご飯作ったと甲板で寝ていたところに持ってきたものは一応口に入りそうなものだった。

「今日あっつー、もう良いか、良いよね、このまま外で食べよ」
「これは、炒めしか?」
「そんな感じ」
「てめェのは」
「サンジくん特製ナマエちゃん専用舟番弁当」
「…」

 口に入れつつ食えなくはねェ、と言えば腕あがったんだよと貧弱な腕を見せつけてくる。そして、ほれ見ろ、やれ見ろと豪華な弁当を見せ、島着いたからって残りの材料で作ったらしいけどさすがサンジくんと絶賛し、何度も美味いと言う。傍ら、ナマエが作ったよく焦げが強めの炒めしを食わされる。死にゃしねェが腑に落ちねぇ事は確かであった。
 
 午後の微睡の中、一極集中的に鍛えていたせいであった。不意に五感で何かを感じ取る。そういやァ、独り言を呟いているような時もある小うるさいナマエの姿がしばらく見えねェと気付いた。外部の他者の意識などなかった筈だと、仕方なしに気配を辿っちまったのが負けであり勝ちでもありだった。
 気配が残る船内で辿り着いた部屋、声かけと同時に無遠慮に開けた扉、ノックをしろと散々言われた事をその瞬間思い出した。名前を呼ばれた気もした、がそんな些細な記憶は目の前の光景で脳内から全てが消える。扉の向こうには服を乱したナマエの姿があった。

「なんでもねェ」
「ま、まって!!!」

 目があった瞬間、とりあえずその場は離れた方が良いと判断してやったにも関わらず引き留めてくるような女がいた。そして涙目になりつつ、見た、見てねェのやり取りをさせてくる姿を見下ろした。どうしろってんだ、こいつは一体何を考えてるという苛立ちが産まれてならない。衣服が散らばるような部屋、辛うじて下着姿のナマエが腕にしがみついてくる。この場に現れたのがおれだという事、引き留めるっつーなら他の誰でもよかったんじゃねェか?という意識が頭を過ぎるとどこか腹立たしさしかねェ。手伝ってくれ、スルーの方がキツい!と言う呆れるくれェに抜けがある女の要望通りに手を貸す事になってしまった。
 この女にも欲という部分がある、知らない声をあげ、髪を乱し、荒く熱い息を部屋にばら撒く事を知るほどに腹を括った筈が込み上げるものがある。己の身体とは違う、熱の籠った中に指をやりゃァ、身を捩りつつ名前を何度も呼んでくる姿があった。何がどうなっているとか考える時間もねェ、そしてよく分からねェ湿地帯。貸した手で身体を揺らす姿があって、こちらが揺すぶられねェ訳がねェんだ。右の瞼を閉じれば、指に纏わりつく肉感と身を預けてくる柔らかな軀があまりにも生々しいことこの上ない。

「え、…ゾロって勃つの?」

 抜けた問いかけだ。僅かに振り返った頭、肩口から見える光景は散々であった。愚かでいて、そして弱々しい目線、その視線と合えば何かが千切れるものもある。こちとら健全な人間であり男だ、こいつはおれを聖人君子とでも思ってんのか?と据え膳もいいところ過ぎた。急遽、厄介だと思う感情に名を付けたが、わりかし間違っちゃいねェ筈だろう。こんな面倒な女、もう良いだろ食っちまってと宣言すりゃ、島へ出ているやつらの帰船の気配で結局お預けを食らう事になった。
 

 この島の一等地と呼ばれるような治安の良い地区は海寄りだという。少し奥まれば庶民的な地区であり人に溢れかえる場所であった。人混みにのまれそうになるナマエの腕を渋々引き寄せれば、はぐれるかと思ったと目尻を下げて安堵をみせていた。そして路地の端により、壁に寄りかかりつつ目の前の人並みを見やる。脇道の先には治安悪ィ顔した男らもたむろしているようであり、表と裏との差が露わだった。隣ではナマエがこれはゾロがはぐれたら絶対見つからないわと失礼に笑いつつ手元のメモだかに目を落としている。その手元のメモを目に留めれば、びっしりと書き込みがされていた。暗躍するような女であることの示しのような暗号めいた記号が並ぶメモはおそらくコイツしか読めねェんだろう。

「あっちの方にはロビンさんが言っていた考古学博物館、何とか遺跡だかで発掘されたものだかが保管され…」
「興味ねェ」
「で、そっちの道をいけば広場に繋がっていて、古本屋街で珍しい医学書やら本やらがあって面白いってチョッパーが…」
「興味ねェな」
「その広場の向こうには、この島の名所らしい教会があって、どっかの巨匠が設計したっていう回廊の造形がスーパーにイイって、フランキーの兄貴が…」
「神には祈らねェ」
「…海岸沿いはサンジくんが調達してきた新鮮な魚介類売ってるような市場が…」
「行きたくねェ」
「この先の路地がナミがスリをスリ返したっていうスラム街が広がる…」
「行きてェのか?」
「いや別に…」

 手元のメモのような紙を見つつだが、今日はいつも以上に多弁。不必要なまでによく喋る、まるで喋らない空間を恐れてるみてェに、そして触れて欲しくないものがあるみてェにだ。ただその触れて欲しくねェもんには心当たりはある。

「で、逃げは終わったか?」
「え」

 この期に及んで目の前のナマエは周章狼狽する有様をみせる。アホコックみてェな、はたまたフランキーのようなキザなセリフなど思いつくわけはねェ。考えてみりゃァ、そもそも言うつもりもねェなと気付きつつ帯刀する馴染みの三本の柄巻に手をかける。

「散歩も満足したろ。そろそろ食わせろ」
「…ッ、っとに、」

 手にしていたメモが手の中で潰れていき、昨日のように耳まで赤くなり始めてる顔を庇おうとしている。何を言うかを戸惑う姿は見もの、何しろ瞳孔の暗い色には己が映っているだけだ。気付いた、わりかしこれは気分がいい、自ずと口角が上がるのが分かった。

「ッ、骨は残してよね」

 昨日の事でしょ!?覚えてるに決まってる、言われなくたってそのつもりだからと強い目をする女の腕を引けば、せめて宿屋がありそうな方面は私が案内してあげるからと頭を抱えていた。