目に映るもの全てが敵だった。住処と仲間を奪われ、実験体として利用され自慢だった紅の炎さえも失ってしまった。

人間に悪い感情は持ってはいなかった、それは自分の種族が人間のパートナーになり共に歩む役割を担うことが多いからだと聞かされていて、誇らしく思うことはあっても決して憎むことなどなかった。

…だが、人間によって何もかもを奪われた。やがて憎しみに変わり自分を失くすことにそう時間はかからなかっただろう。


『俺は人間を許さない、お前も同じ人間だろう!?信用なんかするかよ…隙を見せれば殺す、燃やしてやる…!!』



愚かだった、その言葉を、殺意を向けるべき相手では決してないはずの彼女に向けてしまった。彼女は助けてくれたのだ、瀕死の俺を助けようとしてくれた…だというのに心にも無い事をぶつけた当時の俺は愚かだった。

「いいよ、その時は君の好きにして。でも私は君を信じる、絶対に。」


その時の彼女の笑顔が脳裏に焼き付いて忘れることが出来ない、悲しみを堪えながらそれでも優しく笑う彼女の笑顔が……。



ーーーーー



「…最悪だ、夢見が悪いにも程があるぞ。」


今朝夢を見た、それも随分前の過去の記憶の夢だ。零と出会ったばかりの頃の、今となっては思い出すだけでも頭の痛くなる過去の自分。

零は助けてくれた、感謝こそすれば敵意を向ける理由など当然ありはしない。今の自分ならばそう断言できるが、当時の自分にはそんな余裕もなかっただろう。人間に絶望し心を閉ざした自分に救いの手を差し伸べられようとも偽善だと悪態をつけ、何も見えていなかった当時の自分には…。


「…蒼炎″か、変わってしまったもんだ。」


手の平に宿す炎は紅き炎ではなく、蒼く揺らめく炎。生まれつき蒼い炎ではなく、はじめこそは真っ赤な自慢の真紅の炎だった。けれど人間の手でそれは変わり果ててしまった。

紅と蒼の混じったどっちつかずの中途半端な炎、ひとつ進化してからは完全な蒼炎に変化した。自慢だった真紅の炎を失った絶望感から炎を扱うことさえ喪失した時期もあった。忌々しい、こんな炎は俺の炎じゃないと自暴自棄にもなった……だが。


「あ、いたいた。お待たせしちゃったかな火焔?」


駆けてくる足音と聞き慣れた声、間違えるはずもないただ一人だけ唯一人間に忠義を誓うと決めたマスターである彼女、零だとすぐにわかった。

「別に待った程じゃねぇさ、それよりあまり走るなよ?転けて怪我したなんて洒落にならないからな。」

「むっ、火焔は私を何だと思って……えぇぇぇッ!!?」


異議があるとばかりにむっと頬を膨らませて近付こうとすると、案の定地面の小石に躓き零は悲鳴をあげながら体制を崩した。

…あー、言わんこっちゃない。だから忠告してやったのに。


「ばーか、ほらな?俺の言ったとおりだろ?」

「ううっ、何で火焔はそんなにも笑顔なのかな!?」

「楽しいから。せっかく親切心で忠告してやったのにわざわざ実行するマスターがあまりに愉快で笑える。っははは!楽しいなぁ零?」

「楽しくないッ!!」


躓いた彼女が地面に転げ落ちてしまわないように支えてやると一瞬にして真っ赤に顔が染まるのを見て思わず吹き出して笑った。

彼女にとっては非常にバツが悪いのだろうが、気にすることなく笑う俺はきっと間違いなく彼女の反感を買っているんだろう。

それでも詫びれるつもりはない、忠告したのはこっちで率直に実践してしまったのは零自身ではあるのだから責められる言われはない…ただ、それがとてもとても面白いから揶揄う分には大目に見て欲しいものだ。


「もう意地悪なんだから…、それじゃあ行こうか。」


買い物に一緒に行こうと今朝誘ってきたのは零だった。
零の言葉に異論は無く断る理由など当然なかった為、こうして零と共に待ち合わせをしていた。

買い物に行くなら俺ではなくとも白漣を頼れば良いのではないかと当初は思っていた。面倒そうに眉を顰めこそはするだろうが白漣が零の誘いを断ることはまずないはずだ、その事を聞けば少し…いやかなり距離がある場所だから飛行できる俺に頼みたいと零は返答した。

なんでもホウエン地方のミナモデパートだそうだ。それを考えれば白漣だと難しいだろうと納得した、だとすれば消去法で飛行できる俺か飛翔を頼るざるを得ない。

真遥も飛行できるといえば可能ではあるが長距離移動にはおそらく不向きだ。…とはいえ、飛翔なら零が誘えば100%の確率で肯定する、あぁ間違いなく零ガチ勢のあの鳥野郎なら即答ものだろうよ。

それでも零は俺を誘った、「火焔に付き合って欲しいんだ、駄目?」…と言われてしまえば嫌とは言えない。同時に飛翔の奴には様を見ろとほんの少しだけ誇らしい。


『ほら、気を付けて乗れよ。』


本来の姿リザードン″に戻ると零に背中に乗るようにと促すと零はある一点を集中させて見ていた。

「やっぱり綺麗だね火焔の蒼炎は。料理をする時の火も青いけどその炎とも違う、空の蒼みたいに澄み渡った綺麗な炎で私は好きだな。」

『ッ…早く乗れよ、それと炎に触るなよ。』

「わかってるよ、でもたとえ火焔の蒼炎に触ってしまっても火傷なんてしないでしょ?火焔の蒼炎はそういう優しい炎だもの、傷つけたりしない。」


優しい炎だと彼女は言う。

彼女の言う通りこの蒼炎は信頼している者″であれば仮に炎に触れてしまったとしても温かみを感じることはあっても火傷することはない。…そういう炎に変質″したのだ。

かつてこの炎は今より激しく烈火の如く触れるもの全て憎悪で焼き尽くすほどの攻撃的な漆黒に近い青の炎だった。
それが変わったのは、そのきっかけは他の誰でもない零だ。

忌み嫌っていた炎だったが今となってはこの蒼炎を誇らしいとも思う。在り方は以前ほど攻撃的な炎ではなく、沈静で対極を見極め誰かを守る為の蒼炎である為以前ほどの威力はないがそれでもこっちの方が好ましい。

思えば俺は何の為に炎を扱っていたのか?組織に捕まる以前の紅の炎を誇りに思っていた俺はその炎を誇示する為に扱っていたのか?…いいや違う、仲間を守る為にその為に振るう紅の炎だからこそ誇りだったのだ。

進化してから一時的とはいえ炎を扱えない時期があった、それは思えば当然な話だ。仲間を守る為の炎だったのにいつしか己の憎悪の為に振るう、そんな誤った炎の扱い方をしていればいずれ扱えなくなるのは当然…炎に拒絶されるのは当たり前のこと。

忘れていたんだ、憎悪など知らず仲間を守る為の誇りだった炎を、いつか旅立つ子どもの最初のパートナーに選ばれたのならそのマスターに寄り添い力を尽くすことの喜びを何より望んでいたことを。


『しっかり掴まってろよ?』


それを思い出させてくれたのは他でもない零だ、だから今の俺は彼女には感謝しかないのだ。




ーーーーー


「やっぱり広いねぇ、知尋さんがホウエン地方のミナモデパートはいいところだから一度行ってごらんって言ってたけどうん!いいところだね!火焔行きたいとこない?」

「俺?お前が行きたいって言い出したんだろ、零の行きたいとこじゃなくていいのかよ?」

「いいのいいの!ほら時間たくさんあるんだしまずは火焔の行きたいとこ行こう!あ、拒否権はないよー?」

「ねぇのかよ!?…はー、じゃああっち。」


ミナモデパートに着くと零は目を輝かせて辺りを見渡した。
かなりの広さで品揃えも豊富であることは容易に伺えた。

何処へ行くのかと聞く前に零は先ずは俺が行きたいところへ行くのだと何しに来たんだと思ったが、仕方なく適当に場所を示した。

するとそこは菓子売り場だったらしく、まぁ見て回る分には退屈はしないだろう。輝來への土産にもなるだろうし零と共に菓子売り場へ入った。


最初は適当に見て回って零が気に入るものがあれば良いかと軽い気持ちだった……、そうはじめはな。



「……。」

「火焔いいもの見つけた?」

「あ、あぁ…まぁ、興味深くはあるな。」

「へぇ?火焔の好きなお菓子だったりする?それは?」

「カカオ豆。」

「ふぅん、そっかカカオ豆かぁ。……カカオ豆!?」

「あぁカカオ豆だ。普段使ってるのはカロス産なんだがこれはアローラ産らしくてな、アローラは気候が豊かで良いカカオ豆だと評判高い…」

「ちょっと待って火焔、カカオ豆って何?」

「?何ってカカオ豆はチョコレートの原料だろ?」

「そーじゃなくて!あ、あれ?まさかとは思うけど火焔の大好きなホットチョコレートって…。」

「カカオ豆からチョコレートにしてホットチョコレート作ってるけど何か問題あるか?」

「まさかのカカオ豆からホットチョコレート作っていただと…!?しかもお菓子売り場にカカオ豆って売ってるもなんだ…。」


手に取ったものははじめて目にするアローラ地方産のカカオ豆だ。

国内産のカカオ豆なら割とすぐに手に入るし、最近ではカロス産も手に入って使っているがアローラ産のカカオ豆ははじめて目にした。
見るのははじめてだが噂では良いカカオ豆だと良い評判を聞いている。

しかし何故か零は信じられないものを見るような目でこちらを見てくる。
…あぁそうか、そういえば零の前ではすでにチョコレートとなっている状態からホットチョコレート作っていたからカカオ豆からチョコレートにするところは見せていなかった。

「ホットチョコレート好きとは思ってたけどまさかカカオ豆から……。どうやって作ってるの?」

「そりゃあまぁ…、カカオ豆焙煎したり手間がかかるから手順は省略するが今度見せてやってもいいぞ?」

「よし!じゃあ見たいからカカオ豆買おう!!」

「はあ!?ちょっと待て!買おうって俺は珍しいから見てただけでコレ結構するぞ!」

「5桁いったりする?」

「い、いや…せいぜい4桁だと思うが。」

「じゃあ大丈夫だよ、それくらいなら大丈夫。私も火焔がカカオ豆から作るところ見てみたいから、ね?」

「…それなら仕方ねぇな、お前が見たいって言うなら。」

「ありがとう、せっかくだから輝來達にも買っていこ?彩花も茶請けが切れてきたって言ってたから。」

微笑む零の笑顔は心底優しく、零に見たいと言われてしまえば拒否することも出来ずこういう時のお前は本当にずるい。

自分の為だと言いながら結局は俺の為になることをやるのだからずるい以外の何が当て嵌まると言うのだろう。


全く、俺のマスターには敵わないな。




ーーーーー




「…ねぇ火焔、何かあった?今朝の火焔、少しだけ何か思い詰めたように見えたんだけれど。」



菓子売り場を後にして零の隣を歩いていると不意に零は言葉を紡いだ。

それは俺からしたら思いもよらない言葉だった。零は他人の様子を察知するのに敏感であることは零の手持ちになってからそれはよく知っている。

自分のことに対しては疎いのに誰かのことになると敏感で、だからこそ零に悟られないように振る舞ってきたつもりだった。


「お見通しか。…夢を見た、昔の夢だ。」

「夢?悪い夢だったの?」

「さぁ?悪い夢と片付けていいかは疑問だな。ただわだかまりが残っているんだよ、酷い事言っただろ?昔、出会ったばかりの頃お前に信用出来ないだの、殺すだのと…。」


今となっては零にそんな言葉をぶつけることなど有り得ない、それは分かりきっていることだ。

あれはどう考えても八つ当たりでしかなかった、あの時真っ先に当時の俺に敵意を剥き出したのは飛翔だ。それは間違いではない、俺があいつの立場でも同じことをしたと断言出来るからだ。

今では昔ほど陰険ではないにしろ、それなりにあいつとは和解している。
…とはいえ、元々あいつとは反りが合わないのは事実だから仲が良いとは決して言えない。

ただ、心残りがある。過去は消えない、言ってしまった言葉も消えない…心にわだかまりとして残って消えてくれない。


「…なんだ、そんなことか。馬鹿だねそんなこと火焔が気にすることないのに。」

「なっ…!そんなことってお前なぁ。あの時お前傷ついてただろそれを…。」

「そんなことだよ。だって今の火焔は違うでしょ?それとも今でも信用してくれてない?私を殺したい?」

「違う!!俺は零だから信用出来る、お前を守りたいんだ…!お前を傷つけたりしない!俺は昔とは違う……ッ!」

「そう、だね。」

「零…?」


不意に手に触れる感触があった。
それは零の手だ、彼女が俺の手を取りそっと包み込んだ。


「火焔は昔とは違う、でもそれは火焔だけじゃない人間だってそう同じ人間なんていないんだから。」

「零…。」

「それにね、火焔は傷つけたって言うけどそうじゃないよ。傷ついていたのは火焔で今は立ち直ってる…ならそれで十分。だからこの話はお終い。」

「お前…。」

「それに私は前の火焔も好きだったんだよ?ツンデレ火焔気に入ってたのに立派な常識人デレになっちゃって寂しいなぁ。…でも名前で呼んでくれるようになったのは嬉しいかな、前はお前とかてめぇとかだったんだし?」

「…何だそれ、ッはははは!!」


本当何だよそれ…、俺なりに向き合わないといけないってお前に詫びないといけないって思ってたことをそんなことって片付けるのかよ。

名前…そうだったな、まともに名前で呼ぶようになったのはこの姿になってからだったな。

ははは、そんなことだったんだな。
思い詰めるなんて俺らしくもねぇ、そうだこいつはそういうやつだったじゃない、何があってもポジティブで明るくて信頼できる唯ひとりのマスター。

あーくそ、そもそもツンデレ言うな、ばーか。


「零!時間はたくさんあるんだろ?じゃあ俺に付き合ってくれよ、行こうぜ?」



彼女の手を取り俺は他も見て回ろうとその手を引いた。

零は一瞬驚いた表情を浮かべたがすぐにいつもの優しい微笑みを浮かべ俺にひとつだけ問うた。




今、火焔は楽しい?″




その言葉に答える言葉なんて知れている、わざわざ言うまでもないだろうがきっと言葉にしないと伝わらないのだろうから一言だけ。




「楽しいよ、お前が救ってくれたから俺は笑っていられる。」






(お、美味しい…!)
(当然だ俺が淹れたホットチョコレートなんだからな!あの味覚音痴鳥野郎じゃあるまいしお前に不味いもの飲ませるわけねぇよ。)
(本当にカカオ豆からチョコレート作ってたー!火焔おかわり!!)
(…ってペース早いよな、マスターよぉ)







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