◇そばにおって

「忍足君おはよう、昨日はありがとう!」


二年の教室へ繋がる階段を上っていると聞こえてきた女の子の声。そちらの方へ顔をやると、髪の毛を巻いて薄くメイクもしていかにも女子という感じの可愛らしい人。その人の前には今から会いに行こうと思っていた謙也さん。


「おお、楽しかったな!俺で良ければいつでも誘ってや」


その後続く会話からどうやら二人は昨日どこかへ遊びに行ったらしく、誘ったのは女の子だという事がわかる。珍しく俺から日曜日どこか行こうって誘ったのに、用事あるからって断られたその理由はあの人か。

そのかわり今日の昼は一緒に食べようと言ってきたのは謙也さんからで「しゃーないから付き合ったりますわ」素っ気なく答えたものの内心嬉しくてこうやって自ら迎えにきたというのにこれだ。

少し、本当に少しだけ、三分くらいその場で待ってみたけど話が終わる様子はなくむしろ盛り上がりはじめていたので教室へ戻った。御飯をさっさと食べると、音楽室へ行きmp3をガンガンに鳴らして自分だけの世界に入り込む。

謙也さんとはそういう意味で付き合っていて誰にもにも言ってはいないけどきっとレギュラーの人達は気がついている。

キッカケはあの人の何気ない言葉だった。側から見たら俺と彼とは性格が正反対で、仲は悪く相性も悪いように見えるんだと思う。でもそれは周りから見た関係であって実際は学校で一番仲良いのは謙也さんで、休みの日も遊びに出かけたりお互いの家に行ったりするような仲なのだ。

その日も俺の部屋で音楽聴きながらゴロゴロと漫画や雑誌を見てあーだこーだ感想を言い合ったり、いつもと変わらない時間を過ごしていた。かけていた音楽が止まったので次は何をかけようかと選んでいたら、謙也さんが「ちょっと疲れたし休憩しようや」とベッドをぽんぽんと叩く。「人のベッドで寛ぎすぎやろ」と言えば「財前ん部屋って落ち着くねんなー」と俺のスペースを空けるために壁際へ寄った。

それでどうでもいい話で盛り上がって笑っていたら視線を感じて横をむくと、謙也さんがこっちを見て静かに微笑んでいたからなんだか恥ずかしくなって「なんすかジロジロ見よってからに」軽く足を蹴る。

「俺、財前とおる時間好きやねん」
「良かったすね」
「お前もやろ?いつも俺と会ってるやん」
「嫌いやないっすよ」
「はは、素直ちゃうなー」

彼の言う通り素直に物を言うことも感情を出すことも苦手で、でも彼はそれを気にすることもないし本当はどう思っているかとかわかってくれるので、一緒にいて楽だった。

それで俺の手をゆっくり握って「なあ、付き合ったらもっと楽しいと思わん?」と言ったのだ。まさか俺が「良いっすよ」って答えるとは思っていなかったんだと思う。自分でもなんであの時そう答えたのか不思議なくらいだ。ただ空気に流されただけって思っていたのは自分に言い聞かせていただけなのかもしれない。だって、今こんなにも感情が乱れている。


もし、あの時断ればこんな思いもせずにすんだのに。


誰かと付き合うというのは謙也さんが初めてで、それまで自分は付き合ってもドライなんやろなと思っていたのに実はやきもち妬きで束縛したいだなんて。


来年になれば謙也さんは卒業して、唯一一緒に過ごせる部活からもいなくなって、いつかは女の人を意識しだして結婚して子どももできて家庭を持つんだと考えると、今はせめて一番近くにいたいという欲が深くなっていく。

むしろなんで今女性に興味をもたへんねや、付き合ってるって思ってるんは俺だけなのか、冗談やったって言いだしにくいのか。思考はどんどん下がっていくばかりだ。


そんな事を考えていたら時間はあっという間に過ぎていて予鈴が鳴った。

教室へ戻るとドア付近の席の子が「あ、財前君、昼休み忍足先輩が探しとったで」と教えてくれて(なんや一緒に食べるん覚えてたんか)「おおきに」鞄に入れっぱなしの携帯をチェックすると四件の着信と二通のメールが入っていた。それはどれも謙也さんからだった。なんやねん楽しそうに女の人と話してたくせに、イライラがぶり返してしまい『忘れてましたわ』とだけ送信した。本当の事を、思ってる事を言えば重たいって思われそうでそう返すしかなかった。恋人ならいてるやろう場所くらいわかれやと思うのは漫画の読みすぎだろうか。『おかげで今ダッシュで飯詰め込んだわ!』とすぐに返事がくるあたりスピードスターやと思う。


放課後部室へ行くとすでに来ていた謙也さんが「お、財前!俺教室まで行ったんやで〜明日は一緒に食べようや!」と笑顔で言うのがムカついて「遠慮しときます」とそのまま自分のロッカーを開けて着替える。

「なに怒ってるん?」

そういうのはわかるくせに理由わからんとこが苛立たせる。

「別に、それよりも着替えたなら準備してきたらどうっすか」
「今日一緒に帰るからな、待っといてや」

それだけ言うとラケットを持ってさっさと出て行った。

拒否権なしか、今日は一緒におりたくない。
矛盾している、人生が例えばあと六十年あるとして謙也さんと一緒に過ごせる時間が卒業して少しまでとしたらあと一、二年しかない。六十年のうちの二年なんて数秒ともいえる程の短さだ。妬いている時間なんて勿体無いなんてわかってはいるのに、今しかないからこそもっと自分だけを見てほしい。ああ、くそっどないしたらええねん。

思わずロッカーの扉を思い切り閉めてしまった。
ガンと大きく響いた音に「おい財前、物にあたりなや」とユウジ先輩から声がかかる。
「すんません」素直に謝ると部長が「なんかあったんか?謙也も昼にぶつくさ言うとったで」と教えてくれた。

「別に、ていうか何で謙也さんがでてくるんすか」
「いやだって、付き合うてるんやし」

少し言いづらそうにする部長に俺は言ってのけた。

「はっしょーもない事言わんとってくださいよ」

そのままコートへ向かったが後ろで「あの2人別れたんか」とか「え、なに喧嘩してんのん」とかこそこそ話している声は聞こえていた。

もうほんまに付き合ってるんかわからへん、俺が教えてほしいくらいや。たった一人の存在がここまで揺らがすなんてきっとその程度なのかもしれない。


この日は一人になりたくて一番に出ようと思ったが既に着替え終えた謙也さんが俺を待っていた。

「1人で帰ろう思ってたやろ」
図星をつかれ黙っていると「考えてることはお見通しっちゅー話や」と得意げに言うもんだから「ほな今日俺の考えてたこと当ててみてくださいよ」ついつかかってしまう。わかるわけがない。


とりあえず帰ろうやと手をとられ歩き始めた。手を繋いで歩くなんて初めてや、家ではよく繋ぐけど。しばらくお互いに黙っていたが「ごめんな」と急に謝ってきた。

「何がっすか?」
「昼、一緒に食べられへんくて」
「別に俺が忘れてただけやし」
「嘘や」

ハッキリ言い切る彼に何も返せない。


「でも理由がわからへんねん、教えてくれへん?」
「・・・楽しそうやったから」
「なにが?」
「女の人と盛り上がってたから」

なんのことやと考えた素振りの後に「ああ、あいつか」と思い当たったようだ。


「財前・・・」
「なんすか」

掴んでいる手をぎゅっと強めこちらを見てくる。

「もしかして妬いた?」

ニヤニヤして聞いてくるものだから手を振りほどこうとするが、強く握られているためそれはかなわない。


「昨日なあの子と遊んだんやけどもう1人おってな、俺キューピッドしてん!」

いきなり、どやっと得意げな顔で言われて「は?」っとなる。

つまりは好きな人との仲を取りもつために3人で遊んで協力してその後の進展を聞きその後の計画などを話していたらしい。


しょーもなさすぎる・・・何に振り回されてたんや俺。


「いやーでもそんな妬いてくれるなんて嬉しいわあ」

本当に嬉しそうにニコニコと手をぶんぶんふりはじめる。


「白石らが帰り際、別れたんかって心配してたで。誤解させるような事言いなや〜みんな心配性やねんから」

その言葉に俺は思っている事を口にしてしまった。
さっきの謙也さんの言動で今付き合っているのは俺であるということに安心したせいかもしれない。

「付き合ってるいうても、謙也さんの卒業までの間だけやし、そんなちゃんとした恋愛でもないし誤解も何もないやないですか」

いつも帰りに寄る公園の前についた。謙也さんの足が止まる。「ベンチ、座ろうか」促されて座ると「あー」とか「うー」とか何か言いたそうにしている。

なんであんな事言うてしもたんやろか、言わなけりゃまだ付き合えたかもしれないのに。後悔しても遅くて彼が何を言ってくるのか心臓をバクバクさせながら待つしかない。

「財前は、俺が卒業したら別れるつもりなん?」
「会えなくなるし」
「そら今までみたいには会われへんくなるやろうけど休みの日は会えるやん」
「高校上がったら今まで以上に周りがほっとかないっすよ、それに大学行って仕事もしだしたら結婚かて考えるようになるし」

言いたくないのに聞かれるままに答えてしまう。いつもならきっと答えない。今この状況がお互いに緊張していて空気が張り詰めているせいだ。

「ちゃんとした恋愛やないっていうのは?」
「恋愛感情もって好きで付き合ってるわけやないでしょ男相手に」
「そうなん?財前は好きでもない男と自分の事好きでもない男と付き合ってるん?」
「それは謙也さんやろ。あの時かて流れで言うてみたらOKもらってしもたくらいやろ」

俺だけがほんまに好きで付き合ってるんやなんて知られたくなくて謙也さんに話をすり替える。それに気がついているのかいないのか彼は自分の気持ちを話はじめた。

「俺はあの時も言うたけど財前とおる時間が楽しくて好きやねん。財前が好きやから友達やなくて付き合いたいって言うたんやで?」
「そんな風に言うてなかったやないっすか」

ここでも素直にその言葉を受け入れられなかった。

「あー・・・俺が悪いな」
すっと立ち上がる彼に、ああ、終わったと思った。この状況で帰るなんて、顔を上げられない。彼がいなくなってから自分も帰ろう。そう思っていたら顔を両手で支えられ上へ向けられる。すると必然と謙也さんと向き合うかたちになるわけで真剣な目にそらすことができない。


「財前、お前が好きや。俺と付き合うてください。卒業しても働いてもおじいちゃんなってもずっとこうやって一緒におってください。」


そう言い切ると両手を顔からはなし手を差し伸べてきた。先程の言葉を何度も頭の中でリピートして心臓を落ち着かせる。彼の手を握って良いのだろうか、一緒におっても良いんやろうか。差し出されたままの手をじっと見つめた。顔を上げると真剣な顔のまま俺を見ている。その顔にはうっすら汗が滲んでいて(この人も今緊張してんねや)とわかったら安心してしまった。


「まあ、しゃーないっすわ」


そう握り返すと、そのまま強く引っ張られ抱きしめられた。

「不安にさせてごめん、大好きやで」


「俺も好きです」

そっと背中に手をまわして聞こえるか聞こえないかくらいの声。それでも彼はちゃんと聞きとってくれる。


「ありがとう」