仕事の話だという二人の兄に諭され、退出を促された。不服を示す私に師兄様は「後で肉まんを一つくれてやる」と言い、昭兄様は「終わったら一緒に町に行こう」と言い、扱いは完全に聞き分け悪い子供のそれである。我慢ならず踵を返した時、聞き馴染みある名前が耳朶を掠めた。
「鍾会が明日来る。その準備を―――」
「士季様がいらっしゃるの!?」
くるっと振り返って訊ねると、二人の兄たちは私を見て沈黙した。亀裂が走ったみたいに不自然に黙り込むものだから、異変を肌で感じ取り不安が露わになる。口を開いたのはどこか緊張を帯びた様子の昭兄様だった。
「あいつと会ったことがあんのか?」
「士季様のことですか?はい!お会いしたことありますよ。以前、師兄様に用事があるとかでいらしたのですが、房まで案内しました」
「……そんな話は鍾会から聞いていないぞ」
師兄様が低い声で言う。何か気に障っただろうかと昭兄様と顔を見合せたが、昭兄様もいつもの親しみある雰囲気はなく、表情を硬くさせている。困惑する私に、昭兄様は苦笑してみせた。
「名前はあいつをどう思う?」
昭兄様が訊ねる。出し抜けな問いかけに目を丸くするも、少し考えてから答えた。
「とても聡明な方だと思います。戦場での活躍や、士季様がこれまで見聞きしたことなどを親切に教えてくれて、良くしてもらってます」
これはまだ誰にも言っていないことだが、士季様とは夜間に度々秘密裏に会っている。人の目がつかない場所を教え、そこで日々のたわいないことを語らうのだ。たまに花を貰ったり渡したりすることもある。いつも自分に自信を持ち、それでいて鼻にかけない。私はそんな士季様を好ましく思っていた。
「師兄様のことも昭兄様のこともお褒めになってましたよ。よかったですね!」
「それは絶対取り入ろうとして―――」
「昭」
「はいはい。わかってますよ、兄上」
「……昭兄様?」
昭兄様へ向けた視線を、名前が呼ばれたことで師兄様へと移ろう。それほど顔色がころころ変わる人ではないが、今はどんな時よりもいっそう顔を硬くさせ、高いところから見下ろす双眸は厳しい色を孕んでいた。肉まんを食べた時もこうまで怒らなかったのに。優しい兄だとわかっていても、こういう場面の師兄様はちょっと怖い。反論しても、倍の理屈で説き伏せられてしまうから。
「お前はあの男が好きか?」
柳眉を均一に整え、私を見据えたままその唇から放たれた言葉に、私は思わずぽかんと口を開いてしまった。ぱちぱちと瞬くことしかできなくて、返答など頭から抜け落ち茫然と見上げる。そんな私に「どうなんだ」と追い打ちをかける師兄様。我に返った自分から出たのは、なんとも間の抜けた音だった。横から割って入ったのは昭兄様だ。
「聞くにしても、もうちょっと聞きようってもんが……」
「朦朧な言い方になんの意味がある。こういうことは明確にした方が後々動きやすくなろう」
「それはまあ、そうなんですけど」
「ならお前は下がっていろ、昭」
素気無い言い方されて昭兄様は口を噤んだ。両親亡き後の司馬家は師兄様が当主。それでなくとも昭兄様も私も、昔から師兄様には言葉で勝った試しがない。いつも学で黙らされてきた。それでもこういう時こそは助けてほしいと縋ってしまうのは昭兄様なのだが、彼は私に「すまん」と視線で謝る。それは降参の意を示しているようなもの。私はとうとう一人で、この機嫌が悪い師兄様を相手しなければいけなくなってしまった。元姫が居ればまた違ったかもしれないのに。
「別にす、好きとは……」
「はっきり言え」
「そっ、そういう気持ちで慕っているわけではありませんっ……!」
「字名で呼ぶ間柄であるのにか」
「……だって士季様が字名で呼んでよいとおっしゃってくれたので……」
「その気もない相手に取り付く島を与えるなと昔から教えてきただろう」
「島って……。私はただ、士季様と話をしているだけで……」
「だが嫁ぎたいわけでもないんだろう」
「そんなことは言ってないじゃないですか!―――あ」
言った後、咄嗟に口を手で塞ぐ。やってしまった、という空気は徐々に師兄様の剣呑が濃くなった空気に呑まれ、昭兄様に至ってもやはりどこか私を責めているふうであった。師兄様も昭兄様も、昔から私が誰かと関わろうとすることにいい顔をしない人たちだから内緒にしていたのに、師兄様にあんなふうに言われてついこぼしてしまった。自分でもはっきり自覚していなかったのに、あんなふうに言われてああ返したというのは、つまりそういうことなんだろう。それでも、最悪な形で自覚してしまったことは変わりない。
「―――お前の気持ちはわかった」
「兄様……?」
「明日は一日房から出るな」
「師兄様……!」
「まあまあ。言い方がきついだけで、兄上もお前のこと考えて言ってるんだ。明日一日だけ辛抱してくれ」
「昭兄様まで……。酷いです、兄様たちなんて知りませんっ。大嫌い……!」
堪らず言い放ち、房を駆け出した。後ろでこの世の終わりを目の当たりにしたように、愕然とする二人に気づかずに。