「―――姜維殿は駿馬のようですね」

昼下がりの執務室。暇を持て余していた私は、通りかかった姜維殿の手伝いを買って出た。手渡された竹簡を丸め、所定の棚に入れていく。静謐だった室内で唐突に吐き出した言葉に、背後から困惑を感じ取った。

「初めて言われました」

「麒麟児を馬と呼ぶ方は居ないでしょう」

「私はそんな大それた者ではありません。麒麟と評するならばそれは丞相こそ当てはまるでしょう」

丞相。蜀の政務から軍事に至るまでの決定権を握る人、諸葛孔明殿。臥龍と評され、その賢才たるや国内に留まらず国外にも轟いている。その様はさながら昇龍のごとく。彼に師事している姜維殿は龍の子と評され、蜀に降った当初とは一転して絶大な信頼を寄せられている。

「そうですねえ。私も姜維殿に麒麟は似合わないと思います」

「名前殿……?」

何気なく落としたつもりだったが、思いのほか声が硬くなってしまった。不穏な空気を肌で感じ取ったんだろう彼は、困惑を乗せた声色で私の名前を呼ぶ。

「ご存知ですか、姜維殿。麒麟とは羽虫に至るすべての殺生を厭う生き物なんですよ」

「……そう言われていますね」

「分不相応だと思いません?」

一本の竹簡を手に取り、棚へ入れていく。一つ、また一つと片していくにつれて腕が軽くなっていく。やがてすべてしまい終えると、背後を振り返った。竹簡を几に広げて筆を持つ彼と視線が交差する。

「―――次こそ魏に勝利しましょうね。姜維殿」

にこりと笑ってみせ、返事を待たずに退出した。姜維という人間の持つ才を称え、一様に麒麟児と口にする。耳にするだけで腸が煮えくり返ったし、同調を求められた時はいっそ口汚く罵ってやりたかった。何が仁だ、何が民の平和だ。蜀は魏と比べるべくもないほどの小国なのに、一向に豊かにならず国力は養われない。理由など明白だ。なのにそれに蓋をして誉めそやす奴らには辟易する。仁徳だ、平和だを口上するならただちに北伐などやめてほしい。麒麟児などとんでもない。彼は、地平線の彼方へ駆けることしかできない憐れで愚かな駿馬だ。