髪にはいくつもの簪が挿され、細い音を立てて飾りが揺れる。白い顔を彩る朱の紅が頬と唇に血色を与え、体を覆う絢爛な赤い衣はさながら華燭の儀を行う花嫁のよう。袖から突き出た細い指が胸の上で絡み合い、微動だにしない。飾り立てた名前のなんと美しいことか。褒める言葉を知れどもついぞ声にすることはなかった。
「―――公達殿」
「……文若殿」
部屋の戸口から現れた荀ケは、彼女の傍に侍る荀攸に声をかける。荀家の邸の一室、そこは二人の古き友人である名前の私室だった。厄介になる理由がない、と言って固辞する名前を二人がかりで説き伏せ、決定打となったのが彼ら三人の君主である曹操からの「我が至宝を守ってくれ」という、暗に二人の提案を飲めという言葉だった。これに渋々了承した名前は身一つで彼らの邸に居を構えた。時には友人として、時には志を同じくする仲間として、時には魏の尖兵として。両王一后などと揶揄する者も居たが、名門の出である彼らの世評を憂う名前を安堵させるほどに、互いの信頼は厚かった。
「殿より言付かってきました」
「曹操殿は何と」
「静かに弔ってほしい、と」
君主の伝言に荀攸は軽く瞠目し、一拍置いてふっと肩の力を緩めてみせた。
「曹操殿にはすべて見通されていましたか」
呟くように言った荀攸の言葉に、荀ケは同調を見せる。
「そのようです。せっかくだからと数日隠るようにも仰せつかりました」
「そうですか。すみません、すべて一任してしまって」
「いえ。こちらこそ彼女のことを任せっきりで失礼しました。公達殿、少し休まれてはどうでしょう」
「俺は平気です」
顔を背けた先には牀の上で眠る彼女が居る。近くにまで歩み寄った荀ケも、同様に名前を見下ろした。思い出の一番古いものと照らし合わせすっかり大人になった名前の姿に、双方どちらも言葉を出せずにいた。名前は市井の生まれであり、戦火に焼かれた郷里を出てきたのを荀家が拾って、三人の関係は始まった。初めは下女として働いていた名前だったが、剣の腕が並外れて優れていたために二人の付き人として宛てがわれた。数々のしきたりに縁遠い生活を送っていた名前は荀ケと荀攸に広い視野をもたらし、折り目正しく生きる二人に市井の取るに足らないことを教えた。二人もまた、学問や礼儀といったものを名前に教えた。互いを補う関係のまま育ち、荀攸が董卓に就いた時もそれは変わらず、荀ケによって荀攸と名前が曹操に推挙され重用されて以降はますます親密になり、荀攸と荀ケは知恵で、彼女は剣で主君を支えようと、契りを交わした。―――そんな名前の死は、二人から影を引き剥がしたに等しかった。
「立派に己の務めを果たした彼女を、私は誇らしく思っています」
「文若殿」
名前は張繍の招待を受けた曹操に伴い、宛城に向かって発った。宛城にて叛乱あり、との報せは瞬く間に城内に波及し、急ぎ発っていった郭嘉と夏侯惇らは無事曹操を連れ戻ったが、典韋と名前は事切れていた。典韋は降ってくる矢を受けて、名前は敵の剣を受けて。囮を買って出たとの言通り、名前の体は血や泥でまみれていた。指先が感じたのは名前の冷たさと死物と化した硬さだった。
「…………そう思う傍らで、どうしても消えないわだかまりがあるのです」
荀ケが苦し紛れに呟く。吐露したその言葉こそ、彼の胸中を占める本意なんだろうと荀攸は思った。
「伝えていないことがありましたのに」
荀攸は沈黙を貫いた。だが荀ケはそれが否定でなく同意であることを知っている。名前と長く付き合ってきた二人は、互いに恋慕の情を向けていた。口にしなかったのは、関係の均衡を崩すことを名前が望んでいないと知っているため。ゆえに良き理解者として、同志として、旧友として居ようと決したのだ。日が隠れたような暗く重い空気が包む中、荀攸は密かに願った。名前の安眠を。荀ケは悔やんだ。無理やりにでも留めて置かなかったことを。
憎ませてもくれない
「140文字で書くお題ったー」様より引用