「―――あなたは何故かくもつまらなそうに武器を振るうのですか」

戦勝の折に開かれた酒宴。立役者の呂布様は早々に席を外して、裏手に設けられた水亭へと移した。濃密な夜気が満ちる寒夜には、白ずむ月が煌々と照っている。手燭要らずの月光に導かれるまま訪えば、物寂しい雰囲気を漂わせるこぢんまりした水亭には彼の者が一人手酌をしていた。名も呼ばず、挨拶もせず、呼ばれても居ないのに現れて開口一番がそれでは、彼が顰蹙するのも頷ける。

「陳宮の妹か。何をしに来た」

「呂布様にお聞きしたいことがあり参った次第」

「興が冷める問答なら軍師共としていろ。邪魔だ」

「お答えくださりませんか」

元より望み半分諦め半分だったのだ、落胆することはなかった。彼が兄妹共々疎ましく思っているのは知っている。力任せに戦場を奔走したい呂布様、おのが野望を体現せんと暗躍する兄様。呂布様は自分が暴れられる場を整えてくれるただ一つで兄様を傍に置いているに過ぎず、兄様もまた己の野心のために彼の武を頼っているに過ぎない。両者の関係は天秤にかけられた石のようなもので、拮抗すれば問題ないが、近頃は呂布様の独断専行が度を越しているのを窘めたのもあって、関係はますます冷えている。瓦解するのも時間の問題か、と内心嘆息した。

「私はただ知りたいのです。呂布様が常、声高らかに叫ぶ武とやらに対峙した時に見せる翳りの理由を」

「……何が言いたい」

眉がぴくりと吊り、こめかみに青筋が浮かぶ。声を低くして遥か頭上より落とす眼光の鋭さは、さながら殺気を放つ獣のよう。今にも食らいつかんするようだ。

「そのままです。何故、何故にあなたはかくもつまらなそうなのか、と。戦場で自由に暴れ回っても尚、あなたは何処かつまらなそうだ。その理由をお聞かせいただければ、と」

「俺の後ろを回っておいて、よくそのような雑事に目が向くものだ」

「身内の影響やもしれませんね」

戦場では培った医術を携えて主に後詰を任されている。いつ出陣してもいいように彼らの英気を養い、負傷の手当をしているのだ。ゆえに空となった後詰に自分は不必要なので、彼らと共に出陣することもある。とは言っても戦場で救護などできようはずもなく、もっぱら伝令なのが実態。

「それで呂布様。お答えいただくことはできましょうか」

朱に染められた酒杯のふちをなぞる彼が、つい、と自分の方へ視線を滑らせる。

「作法も知らん無粋な女に答えてやる気はない」

と、冷たく一刀両断。

「…………失礼」

恭しく頭を下げ、彼の隣へと腰を沈める。卓に置かれてあった甕より酒を掬い、空となっていた彼の酒杯へとなみなみ注ぐ。鼻で嗤笑する彼の、やればできるのか、という悪態は言わずとも察せたが、啄いて怒らせるのは本意じゃないと黙ることにした。酒はどうやら銘酒のものらしく、香り立つ匂いに飲まずとも酩酊感を覚えた。木々のざわめきも人の喧騒もない静かな場所だ。腕を動かす都度上がる金属の音と酒を注ぐ水音だけが大きく聞こえた。何度目かの折、呂布様は音を発す。

「貴様も戦場に立つ身だろう。どう思った」

探せ、ということだろうか。よもや問いを投げ返されるとは考えもしてなかったので、思わず目を瞬かせた。酌する手が止まったのを煩わしそうに「おい」と一言で窘めると、そこでようやく我に返れた。戦場ではおそらく兄様よりも近く長く一緒に居る。縦横無尽に掻き乱して屍を積み上げる様を、自分は一つとして忘れたことはない。どんな大軍もどんな巧妙な罠も、彼が戟を一振すれば紙切れ同然のように散っていく。鬼神とはまさに言い得て妙だと感心した。

「呂布様の武は圧倒的、と。それにしか尽くせないほど他者を圧倒的に蹂躙いたす、と」

「当然だ。だがそれゆえに俺は探している」

「あなたほどの方が?」

驚きに目を丸くする。すると突然彼は腰を上げた。戦勝直後の酒宴なので鎧姿のままであり、金属が擦れ合い、重々しい音が立つ。

「呂布様!」

去ろうとする後背に堪らず立ち上がる。視線が肩越しに投げられる。

「―――見つかったら、呂布様の探し物を見つけ出した暁には、どうか私にもお見せいただきたい」

お願いします、と加えた私を彼は何も言わずに足を進めて暗がりの邸の中へ消えていった。立ち去る寸前に見せた笑み一つ、自分の心の中に残して。



―――徐州下邳国下邳県に設けられた下邳城。四方を川で囲まれた水城。物流を誇る反面、水攻めが効果的という戦術ではこの上ない弱点を晒しているこの場所。かつては劉備という仁君が治めていたゆえに、彼の者は迷わず本陣最奥までやって来るし、時の権力者たる曹操を味方につけた今、我々が白星を掴むなど万が一でもありえないこと。錚々たる面々を差し向かいに並べた光景を目の当たりにすれば、力を持たぬ兵士が散走するのは無理からぬこと。常飄々とした薄ら笑みを浮かべる兄様の額には玉の汗が滲んでいる。―――ああ、私たちは負ける。死ぬんだ。自分はといえば、兄様から出陣しなくていいとの命を受け、自室に居た。去っていく兄様の後背は小さく、徐々に小さくなっていって、曲がり角でついに消えてしまった。刺すように痛む胸を抑えて、最期に兄様の顔をもっとよく焼き付けておけばよかったと後悔した。それから程なくして馬の嘶きが聞こえ、馬蹄が地を揺らし、麻痺するくらいの剣戟が響いてきた。恐怖に啜り泣く侍女たちを宥めて隠れ道より逃がした。行かないのか、と特に長く連れ添った侍女に乞われたけれども、首を振って見送った。房にはとうとう自分だけとなる。榻に座して刻を待つ。そうしてどれほどの時間が過ぎたのか、仰いだ空は真っ赤に染まっていた。悪足掻きのように沈みゆく西日が蒼天を焼こうとしたが、結局は押し負かされてしまったようだ。房に駆け込んできた者たちの肩越しに見えた空はどっぷりと黒く塗り潰されていた。

「お前が陳宮の妹という―――」

「名前です」

先を借りて名乗る。男は静かにそうか、と呟いた。新緑の衣をひるがえし、鮮血に濡れそぼつ剣を下げた男―――劉玄徳。奪われたものを取り返しに来たといわんばかりの状況だ。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し。幸も不幸も隣り合わせなのだから軽々と感情を動かすものではない、と諭したのは誰だったか。死体のように生きろと言うのなら、確かにつまらぬだろう。ああ、全く以てつまらぬ。だからか。私があの方に強く焼かれて強く求めたのは。是も非もなく、あるのはただの暴。しかし一途だった。翳りを見つけてしまえるほどに純粋で、ひたすら純粋で。そして今になって気づく。あの方に魅了されていたのか、と。ひりつくこの熱こそ慕情なのだ、と。瞼をそっと伏せた時、かちゃりと剣の音がした。見てみれば、眼前の男が武器を握り直した音だった。

「お前の兄、陳宮は処された。張遼殿は曹操殿に降った」

「そうですか」

吐いた言葉は凪いでいた。わかっていたことだ。胸中に去来するものは今更ない。

「一つ、よろしいでしょうか」

「なんだ」

「最期に呂布様の下へお連れ願えませんか」

挙げた名前にくっと口を噤む彼。眉間を険しくさせて首を振った。

「呂布はもう……」

「存じております」

「では何故」

「見せる、とあの方が私にそう約したもので」

あの方は気分屋ですから私が迎えに行って差し上げねば。一つ、最期に一つ。あの方の顔を見られたらそれ以上は何も言いません。すべてそちらに従います。命も差し出します。決して異を唱えません。長い長い熟慮の末、彼は口を開く。

「―――わかった。しかし縄はつけさせてもらう」

苦汁を飲まされた顔で彼は連れ出してくれた。体の前で拘束された手をそのままに、先導する彼を追う。名を呼んで泣き崩れる者、気色ばむ者、絶望する者。荒廃して惨憺たる様相の中を掻き分けて彼の人の下へ辿り着く。潮と血とが混ざり合う悪臭放つその中に於いてもあの方は異彩を放つ。死して尚、強烈な存在感を保ち続けるお方。兄様が求めるのも頷ける。行きたい、この方の傍に。生きたかった、この方の傍で。晒された首を見て込み上げる感情には名を付けぬ。付けぬ方がいい。これはすべて先んじて冥土に居るこの方に伝えよう。

「劉備様、ありがとうございました。もう思い残すことはありません。どうぞ刑場へお連れください」

やはりこの人は甘い。敵として相対する者にそのような弱さは見せてはならない。常に飄々と構えていなければ。などと、彼より城を奪った私が言える義理もない。

「すまない、とは言わない」

「要りません。それはこの方も望まない。強ければ生き、弱ければ死ぬ。この方の持論に則れば、生き残ったあなた方は強者。死んだこの方は弱かった、それだけのこと」

「弱いなどそんなことは―――!」

「私は感謝すらしているのです、劉備様」

訳がわからないと困惑を浮かべた彼にやんわり微笑む。

「こんなにも満足気なこの方を見られるなんて、僥倖、僥倖に尽きます」

ささ、疾く処してくださりませ。この方の後を追わねばなりませんと。待つことをせぬ方ゆえ、急がねば置いて行かれてしまいます。今度は冥土の底でこの方と轡を並べとうございますの。