モブ兵視点




元親様の配下に最近加わった名前という女将は、何処か浮世離れした雰囲気をまとっている。静かな物腰か華奢な体躯には似合わない苛烈な戦ぶりか、そのどちらか。何故自分が彼女にかような感想を抱くかという起因は定かではないが、けれどたった一つ言えることは、かの女将はおのが主である元親様には胸襟を開いているように見える。元親様もそんな彼女を拒むことなく悠々受け入れ、時には月が真上に上がる時分に酒を酌み交わすことも。誰もが彼女の出自を知らず、元親様もそれを気にする素振りを見せない。元々他人の世評に無頓着な方だ、らしいと言えばらしい。それでも一度だけ、不安はないのかと訊ねた折には、ないとうっすら笑みを浮かべて両断した。どうやら二人の間には他者の与り知らぬ固い関係があるらしい。以降というもの、彼女への関心は深まる一途であった。日が昇る時分では町へ下りて手当り次第に依頼を請け負い、日が沈むと城の一角に与えられた私室へ籠る。戦があれば毎度のごとく出陣し、戦場を駆ける風のごとく敵を薙ぎ払う。必要以上に口を開かず、他者との馴れ合いをしない。厭世的というにはお人好しな部分が否めないが、かといって世辞でも人好きする気性であるとも言えない。水面のようだ、と思った。他者の影響によって動く体。陽光も月光もそのまま跳ね返す物腰。向き合う者をありのままに映し返す澄んだ水面だ、と。決して自ら波音立てないその水面に映されたのはあまりにも突然のことだった。―――その戦で自分は敵拠点の制圧を任されていた。先んじて敵地に入り込んでいた間者がもたらした裏道を辿り、無防備な状態の兵糧庫を火攻めする。夜襲ともあって進行自体は簡単とはいかないまでも、やること自体には難はない。独断専行を自重して周囲に細心の注意を払えば行うことは容易い任務だ。だが、結論から述べればそれは罠だった。敵は孤立無援の土地に設けた兵糧庫が攻められることを承知の上であえて危険に晒し、自分たちという魚を釣ったのだ。事を成すまで明かりらしい明かりなど持っていなかったというのに、兵糧庫を守備する奴らは待ってたといわんばかりに陣形を成し、夜襲する自分たちをことごとく討ち取っていく。混乱に呑まれた我が軍に抵抗などできるはずもなく、逃げ惑う兵士たちを勇んで追っては易々と斬り捨てていく。その光景を、長たる自分は呆然と眺めることしかできなかったが、そんな自分はまさに好餌でしかなくて。あわや首を飛ばされる寸前というところで、空気は動いた。暗がりの夜気を裂く一閃の切先。粘つく水音が頬を掠め、嗅ぎなれた鉄錆の匂いが遅れて広がる。地面に落ちた重々しい音が敵の死を本能的に知らせる。立ち竦む自分の視界がさながら光源を得たかのように途端澄み渡り、そこで動く人影を捉えた。さながら羽搏く鳥のごとく。さながら捕食者を誑かす鹿のごとく。軽やかに、艶やかに、剣先が舞う。何処からか火が灯され、肌の上を仄かな明かりが滑る。眼光を煌めかせる双眸が一瞬赤に染って見え、心臓が震える。しかしよくよく見ればなんてことはない。味方の援軍だったのだ。敵を斬り捨てていく単身の周囲を、部下らしい数名の兵士が交戦する。血が飛び交い、金属音が劈くその最中、血に濡れたと錯覚した双眸と交差する。用意周到だった何十人もの敵を撫で斬りにして尚、その水面にさざなみはない。落ち着いた、というより凍った水面だ。穏やかとすら形容できる静かさで。宴席で舞を披露した妓女の薄手の肩巾を想起した。軽やかに敵の間を駆け抜ける彼女はまさに鳥の両翼のごとし。心臓を打ち鳴らす猛りは歓喜だ。破裂せんばかりの歓喜に喉を震わせ、次の瞬間には全身に熱を浴びていた。柄を握る手が熱く、体はそれ以上に熱く、思考は溶かされて何も考えられない。最善の戦術など無意味だ。斬って、斬って、すべてを斬り尽くして。そうしてやっとあの美しき鳥は翼を閉じてこちらを映してくれる。―――ああ、そうか。胸を貫く一つの天啓。命を危機に晒している状況下で脳裏に蘇るは我が主人との一度きりの会話。三味線を携えて浮かぶ月に音色を奏でていた主人は、自分にたった一言、不安はないとだけ言い放った。己の目で確かめ、不確定要素は孕んでいまいと断じたのか、と当時の自分は納得した。しかし違うのだ。そんな理屈的で普遍的なもので、我が主人は彼女を手元に置いていないのだ。そんなものを突き抜けた何かに強く揺さぶられたゆえに、かの鳥を引き入れたのだ。水面に波が立つ。淡く、微かで、繊細な波が。ゆるりと持ち上げられた口唇が何か呟く。音は届かぬけれども、かの鳥が自分を待っている。求めている。そう判断すればそれだけで足りるのだった。今すぐ参ろう。すべてを殺し尽くして成り上がった屍の上に降り立つあなたは、まこと何より艶やかだろうから。