途中から現代へ変わります。転生パロ





―――ある日、俺は姐上に訊ねた。

姐上あねうえはあの男のどこが良くて嫁いだんです?」

悪意を含めた問いかけに姐上はさっと顔色を変え、窘めるように俺の名前を呼んだ。人を悪し様に言うことを甚く嫌う気性と知っている自分は、叱られることも見越した上でわざとそれを口にした。なので当然反省などするはずもなく、むしろ内心の不機嫌を露わにした俺を見て、姐上の方が眉を下げた。

「人をそのように言っては駄目よ、孝直」

「俺はただ聞いているだけですよ、姐上。ご自分の夫を貶めたくないならあなたが上げればいい。そうでしょう?」

口唇に僅かの笑みを浮かべて言ってやれば、今度は押し黙った。図星なのか反論を探しているのか。おそらく後者だろう。この期に及んで不満のひとつも口にせず、諾々と受け入れようとする姿に、こちらが辟易とする。

「―――簪を」

ふいに放った声に顔を上げる。

「私が随分昔に好きだとたった一声漏らしたその簪を、彼は覚えていてくれたの」

溢れ出ようとするものを薄皮一枚で堪えんとする語気だった。静かながらに懐かしむその声と姿に、口の中で舌打ちをする。

「髪飾りなど俺がいくらでも贈ります」

俺と同じ色をした髪で異質な輝きを放つ髪飾り。俺と彼女との間に割入るようでなんとも不快にさせた。できれば今すぐにでも捨ててやりたいくらいだが、彼女はそれを許さない。俺が壊すことも自ら手放すことも。

「優しい優しい私の弟」

柔らかく微笑んで俺の頭頂部を撫でる。幼い子供を相手する手つきだ。

「ありがとう」

それは一体何への感謝なのか。姐上は知らない。彼女への煮え滾る慕情も、一途に愛情を向けられていながら他の女へ繰り出すあの男への憎悪も、露ひとつ知らない。彼女に映る自分は、手を引かれて諾々と教えを飲み込んでいた幼い弟に過ぎない。胸中が熱いもので満たされていく。俺が焦がれるほどに欲したものを一身に受けておきながらぞんざいに扱う男。そんな男に献身的に尽くす姐上。到底看過できるものではないが、あの男を殺せば姐上は間違いなく心を壊す。ままならないことは生きてくれば多々出くわす。だが、これほどまでに苦心することはない。悲しげに笑う姐上をあと何度見続けなければいけないだろうか。たまに思う。俺が一人の男であれば、と。肉親とは無縁のただの男であったならば、自分の妻にできた。こんな見るに堪えない顔をさせることもなかった。何度も何度も夢にまで見る願いを噛み潰して、柔らかな手つきを受け入れた。こんな気持ちを彼女が喜ぶはずないとわかっているからだ。




―――進展は諦めていた。彼女が自分を男として見ることなどないとわかっていた。その上で終生傍に居られれば、それに甘んじる覚悟はできていた。だが、現実は残酷にも俺から手掌の宝を奪っていった。流行病に呆気なく逝ってしまったのだ。だから彼女を見つけた時、らしくもなく駆け、驚きの声をあげた彼女も周囲の目も構わず抱き締めた。そして今。困惑を浮かべる彼女の手を引き、人目のつかない場所に居る。眼下には、困惑に混じって後ろめたさをちらつかせている彼女。

「あ、あの、孝直……?どうして―――」

「それはこちらが聞きたいですね。何故俺の顔を見て踵を返したんです?」

「それは…………」

目を左右に泳がし、言葉尻を濁す。その風体からは後ろめたさを感じて腹の底を撫ぜられ、不快感が込み上げてきた。こちらが彼女を見つけた時、胸に去来したのは身を震わすほどの歓喜。昔よりも格段に暮らしやすくなった現世でただ一人待ちわびたその人なのだ、これがどうして落ち着いていられよう。らしくなく喜び勇んだ俺を拒んだのは誰あろう彼女本人。怒りさえ湧いてくる。

「……孝直が」

おずおずと口を開く。

「孝直が知らない女性と親しげに話していたから……」

「それで?」

「邪魔しては駄目かと思って……」

「何を馬鹿なことを。あんなのはただの社交辞令ですよ。付きまとわれても面倒なので適当に相手していただけです」

「そんな言い方をしては駄目よ、孝直」

たどたどしい物腰の中でも厳しい色を僅かに乗せる。彼女にとってはなんてことのない言葉だったろうが、自分にとってはどんな宝にも勝るものに映った。彼女は変わっていない、その確信は大いに胸を打ち震わせた。

「姐上はあなたに大切な人ができたと喜んでいるのに」

「…………大切な女性など、とうの昔に居ますよ」

「ほんとう?」

ぱっと目を輝かせる様に、喉の奥でくつりと笑う。まさに雀が小躍りするが如き愛らしさだ。何も知らず、これから起こることも予想しえず。道心に篤い彼女だ、言えば紅潮して叱咤する姿が目に見える。だが、構わない。今生で会えるとは思ってもみなかったのだ。来世で会う確約などない今、たとえあったとしても、みすみす逃してやるほど聖人君子ではない。他人の教えに殉じて得たいものを逃すなど愚鈍がすること。細く柔らかい左手を掬い上げる。血など枯れているにも関わらず、彼女はきょとんとしたまま見上げるばかり。未だ俺を実弟と捉えていることは明白。だがそれも今日まで。

「―――あなたですよ、姐上」

痕もなく綺麗な薬指に歯を突き立ててやれば、呆けていた彼女のか細い悲鳴が短く上がった。現世では永遠を縛るために指輪を贈るという。ならそれを贈ろう。褪せた簪などではない、真心を込めた純真な指輪を。