今日の馬超はおかしい。胎に子を宿してからというもの、輪をかけて過保護になったが、今日は特別おかしい。というのも、起床からずっとべったりなのだ。休みまで取っており、食事を手ずから食べさせてくるほど。重労働は侍女に投げろとは日々の言だが、ここまでじゃなかった。何かあったんだろうかと厨房へ消えていった隙に侍女へ訊ねれば、返ってきたのは生暖かい微笑みのみ。
「一体なんなのかしら……」
動かず待ってろ、と言いつけられては部屋に引っ込むこともできず。手持ち無沙汰を慰める手縫いも今日は禁止された。身重といえど体は丈夫な方なので心配し過ぎる必要もないのだが、彼にとっては武器を持たずに戦で手柄を挙げると言ってるように聞こえるのだろう。とはいえ、食べさせてもらう、着替えさせてもらう、沐浴だって彼がした。これは明らかに行き過ぎている。
「よし。抗議しよ」
厨房へ向かうにつれて囁き声が聞こえてきた。
「―――だから、――で、ここ―――よ」
「ああ――、こう―――のか?」
小さすぎて内容が拾えない。徐々に歩幅が狭くなり、踵が自ずと浮く。ほぼ爪先で音を立てぬよう歩き、厨房の入口付近から顔を覗かせる。そこには我が夫と下女の姿があった。
「お前のと比べてかなり不格好になってしまった」
「いいのですよ。夫人ならきっとお喜びになられます」
「しかしだな……」
「何してるの?」
顔を出せば、こちらに向けられていた背中が翻る。猛将と謳われる巨漢は驚愕を露わにして、鋭く尖った目は限界にまで見開かれている。
「な、何故お前がここにっ……!?」
「厨房に行く孟起が気になって」
「何もするなと言ったはずだ!」
「だって暇だもん」
「し、しかし、ここは名前には危うすぎる!疾く戻らんか」
「失敬な。これでも元庶民なんだから勝手場くらい慣れてるよ」
「う、ううむ……」
「そんなことより二人して何してたの?」
「それ以上はいかん!!!」
一歩前に出る彼。頑なに背後のそれを明かそうとしない様子に、今朝からの行動も相まって、抑えていた感情が溢れ出た。
「孟起に隠し事は合わないでしょ!観念して見せなさい!」
「お、俺とて隠し事くらいできる!」
「できない」
「できる!」
「できない」
「お前、俺をなんだと……」
「正直者の旦那様ですけど?」
ぐぬぬと押し黙った隙を見計らい、えいっと回り込む。声を上げられたが時既に遅し。彼の背後にあった物が白日の下に晒される。
「―――胡餅?」
自分の知るそれとはえらくかけ離れた形をしているが、胡餅とわかる程度の物に仕上がっている。もくもくと湯気をくゆらすのを見るに、今しがたできた物なんだろう。焼きたての良い香りが鼻をくすぐり、食欲が煽られた。
「これ作ったのって孟起?」
「…………………………、ああ」
渋い顔で、たっぷり間を置いてから首肯する。
「どうしたの急に。今まで厨房に立つことしなかったじゃない」
炊事等は自分たちの仕事なので彼に触らせることをしなかったし、彼もさして興味を表すことをしなかった。馬岱に聞いても細々したことは得意じゃないと評されている彼が、今日は自ら胡餅を手掛ける。驚かない方が無理というもの。
「……糖蜜は身につくと医者が言っていたのでな」
「それで作ってくれたの?」
「ああ」
「私のために?」
「お前以外に誰が居るのだ」
むっとした顔で返され、ついつい呆けてしまった。だって夢にも思わなかったんだもの。だが、夫の気遣いが徐々に心に染みてきてじんわりと暖かくなる。知らずのうちに笑みがこぼれた。所々焦げて硬くなった胡餅を噛むと、口の中で粘りのある蜜が広がる。何処か心配そうに見つめる彼に向かって笑ってみせた。
「美味しいよ。ありがとう」
「……そうか」
安堵した様子に胸がくすぐられた心地になる。そしてこれは後で聞いたことだが、何故自分に隠したのかと訊ねたところ、一抹の気恥しさがあったかららしい。上手くいって初めて私に披露するつもりだったんだとか。家中の下女たちに聞いて回ったと知って、あの生暖かい微笑みの真意を悟った。