左近視点




人は誰しも自己本位な一面を持つものだ。善し悪しはともかくとして、それがなければ命は成り立たない。むしろそれがあるゆえに自己の成立ができると言ってもいい。だからこそ彼女を一目見た時から、胸中の端に危機感を抱き続けてきた。

「―――もし倒れてしまうなら、それでもいいんです。私は最期まであの方の傍に居たいんです」

真っ直ぐな目をして断言する姿に、危機感が確信へと変わる。彼女は己の命を物の数に含めていない。主のためなら進んで差し出す人間だ。他の武将との差異は、それが己の本分であるかどうか。中には彼女同様、主のために身命を賭す者も居るが、ああいった人間は総じてそれが「自己本位な箇所」だ。だが、彼女のは違う。これは自己本位ではなく、自分を喪失している者だ。与えられた使命を本望だと考え、それ以外に目を遣らぬ者だ。

「死ぬとなってもですかい?」

「覚悟の上です」

腹を斬る覚悟と命をぞんざいに扱うとは、似て非なるものを彼女は理解しているかどうか。おそらく気にしたことすらないと見える。脳裏に浮かぶ殿の後ろ姿に頭を抱える。これじゃあなたの気持ちはいつまでも届きませんよ。

「あんたにはもっと別の生き方があるでしょう」

「別の生き方、ですか?」

「そ。たとえば何処ぞの家に入るとかね」

「ええと……?」

てんでわからないといった顔を見せる彼女。ふっと笑みをこぼして説明してやる。

「鈍いお人だ。嫁ぐという意味ですよ」

「ああ……。自分に、どなたかに嫁げるほどの価値も器量もありませんよ」

静かに伏せた目蓋。浮かべた笑みは穏やかとさえ映る。推察するに、おそらく幼い頃からこの言動が馴染む生き方をしてきたんだろう。器用とは世辞でも言えない気性だ、親しい者や口に蓋をする年齢でない者からは、心無い言葉を浴びせ続けられてもおかしくない。ただ、それでも望む者が居ることを伝えたくなった。

「貰い手は居そうだがねぇ。たとえば、―――殿とか」

彼女とは別の意味で器用とは言えない一人の男を想起する。内政や戦事には長けていても、口だけは筋金入りの不器用だ。その捻れ具合は、見ているこちらが助け舟を出してしまうほど。だがそれも意味はないらしい。驚きに丸まった目が細められ、ころころと楽しそうに笑う。どうやら冗談として通じたようだ。

「やはり通じませんか」

「流石にわかります。―――でもありがとうございます」

「礼を言われるようなことはしちゃいませんがね」

「いえ。左近殿にはいつも助けられてます。先の戦でも左近殿の助太刀がなければ、私は今頃斬られてました」

「あんたに倒れられたら困るお方が居るんでね」

「そう……なんですか?」

「そうですよ」

不思議そうに首を傾げる彼女に挨拶をし、部屋を出る。向かったのは殿の私室。端的な返事を貰ってから入ると、机に向かい合い、筆を走らせている背中があった。両脇には積まれた書物たちがあり、部屋の隅には完成されたであろう巻物が整頓して重ねられている。一見小綺麗な様相を呈しているが、その実、自身に必要な最低限の調度品のみを置いている。しかしその大半が生活よりも職務に必要な物に偏っているので、殿の気性が窺えて嘆息したくなった。

「どうした」

いつまでも切り出さずに居るからだろう。殿の方から問いを投げ、こちらを瞥見した。後ろ手で襖を閉めると腰を下ろす。

「―――あれは早晩死にますよ」

こちらに向けられた顔がこわばり、筆を滑らせていた腕がぴたりと止まる。怪訝そうに、あるいは不快そうに顰蹙した殿は低い声で問いを重ねる。

「どういうことだ」

「おや。殿にしては珍しく勘が鈍っておられる」

「左近」

「おっと。では簡潔的に言わせてもらいますが、―――いつまでこの関係を変えないおつもりで?ただ冷たく接して閉じ込めておけば彼女は死なぬと、あなたはほんとうに考えているんですかい?」

彼が名前を特別視しているのはすぐに悟った。俺と同じ立場にて仕えているものの、世評の落差は著しい。女の身というのも拍車をかけていて、それはおそらく彼女自身も自覚している。それでも尚、剣を手放さないのは何故か。いや、手放せないんだろう。突き刺した剣に縋りついている細腕を引き剥がせば、あれは必ずや自害を選ぶ。長年の生き方でそうまで歪んでしまっている。俺でもわかること、殿が知らぬはずがない。だからこそ、なのだろう。周囲から冷水かけられようと謗られようと、想い人とすれ違おうと、殿は彼女に剣を握らせて傍に置き続ける。しかし歪みは年月を重ねるほど更に歪むだけであり、整うことはない。

「―――ではどうしろと言うんだ」

長い長い沈黙の末。絞り出した声は、らしくもなく細い。明らかに迷いが見て取れる。

「手を取ればよろしいでしょう。彼女なら受け入れてくれますよ」

「………………それでは足りぬ」

筆を握る手が力む。苛立ちと歯痒さと、一抹の寂しさを堪えるような顔だった。

「あいつを留め置くには言葉などでは到底足りん。そんなものを受け入れる奴ならとうの昔に……」

言葉尻は勢いを失い、か細く消える。肩まで伸びる茶色の髪から垣間見える横顔。それは誰の目にも寂寞を抱えたふうに映るだろう。

「……ままなりませんな。お互い」

ふうと深く息をつく。返事はなかった。