――意識の覚醒と共に、匂いを感知する。チョコレートとマシュマロの溶ける、甘い匂い。嗚呼、帰ってきたのかと思いながら、銃兎はベッドから体を起こした。
「お帰りなさい、ご苦労さまです」
「銃兎さん。おはようございます、お疲れさまです」
 オーブントースターから振り返り、彼女は少しだけ眠たそうな目で微笑んだ。トースターの中では、食パンに乗せられたマシュマロがじわじわと色を変え始めていた。
 夜勤のある職に就いている彼女は帰ってくると、大抵こうして甘いトーストを作る。マーガリンと砂糖をたっぷり使う日もあれば、カリカリに焼いた食パンにジャムをこれでもかと塗る日もある。ここ最近はスモアにハマっていて、スモア風に仕上げていることが多い。
 ついこの前、理鶯のベースキャンプで振る舞われたスモアをいたく気に入ったらしく、ことある事に「あれまた食べたいなぁ」と言っているが、それにはゲテモノとの戦いを乗り越えなければいけないことを理解していないのだろうか。……いや、多分それを含めて楽しみなのだろう。料理の数々を驚きつつも平然と食べてのけた彼女のことだから。
 あの日のショッキングな皿の上を頭から振り払うと、彼女の様子を伺う。濃い茶色に焼けたトーストを取り出し、ご機嫌に頬張る姿は子供そのもので、きっと幼少期もこんな感じだったのでは、と容易に想像できた。今度アルバムか何かを見せてもらいたいものだ、多分断られそうだけども。
 目をきゅっと細め、嬉しそうにトーストを食べている彼女が、トーストを銃兎に差し出した。「ありがとうございます」と微笑んでから、一口食べる。こうして完成品を一口だけ分けてもらうのが至福のひとときだったりするのだが、それは秘密だ。甘い甘い味が、口に広がる。
「美味しいですね」
「はい! 今日はちょっとだけチョコを増やしたんですよ、いつもより甘々です!」
「ふふ、なるほど」
 今日のトーストの出来栄えを楽しそうに話す彼女を見つめ、笑う。胸に溜まった澱のようなものが、彼女から滲む優しい色に押し流されていく感じがする。暖かくて、愛おしい時間。
 大事なものを作ることに対して不安がなかったわけではないし、純真なものを汚すことへの恐怖だってあったけれど、自らの内側へ入れてしまった以上は守り抜くつもりで――否。
 守り抜くと、決めた。
「ごちそうさまでした」
「よかったですね、口をチョコレートでべたべたにしても気づかないくらい美味しかったようで」
「えっ!?」
 そんな、子供みたいな、嘘、と色々な言葉を口走りながら口周りを指で拭っている手を引くと、そっとキスを落とした。
「!」
「……次から気をつけてくださいね」
「は、はい……」
 一瞬で真っ赤になった彼女が、何度も何度も頷く。居た堪れない様子で俯く彼女の視界の外で密かに舐めた唇は、甘ったるいチョコレートの味がした。