何の変哲もない、所謂普通と呼ばれるような。
真っ白なクリームをまとい、瑞々しい苺を乗せられたまるいケーキは幸せの象徴のようだった。
偶々通りかかったケーキ屋のショーケースを眺めていた時、そう思った。並べられたどんなケーキよりも、シンプルなホールケーキが銃兎の目を引いたのは、多分そういう考えが過ぎった所為だ。
そう言えば大人になってから、あまりホールケーキを食べた覚えがない。一人で食べること自体は可能だが、そこまでして食べたいとも思わないから別にいいけれど。
――彼女がいれば食べられるだろうか。ふと、そんなことをちらりと考えた。
彼女は甘い物を好んでいて、どこかへ食事に行った際にはデザートを欠かさない。甘い物を頬張っている時の幸せそうな表情を思い出し、胸の奥から甘やかな気持ちが湧いてきた。今日は家に来ると言っていたから、買って帰るのもいいかもしれない。
《美味しそうなケーキを見つけたので、買って帰ります。ケーキ、お好きですよね?》
帰宅連絡も兼ねてそう送ると、すぐに既読になった、のだが。
《ダメです!》
「……は?」
返ってきた言葉は想定外のものだった。ダメって、どういうことだろう。いらないという意味ではと推測できるが、好きか嫌いかの問いにダメってなんだ。
《いらないんですか? あなたが?》
確認を込めて聞いてしまった。前述の通り、彼女は甘い物が好きだ。食事に行った際にはデザートを欠かさないし、家で甘いお菓子をつまむこともある。嫌いなわけがない。好きかどうかを聞いたのは繋ぎというか、念押しというか、なんかそういうもので、まさか断られるとは思っていなかった。
《今日はいらないです》
《どこか具合でも悪いんですか?》
《悪くないですけど、今日はいいんです》
《珍しいこともあったものですね。いつもなら飛びつくのに》
《飛びついてはないです! とにかく、今日は何も買わないですぐ帰ってきてください!》
メッセージを眺めながら、やけに【今日】を強調するなと考える。今日、何かあったか?
「……あぁ。そういうことか」
画面の端に表示された数字を見て、やっと気づいた。年を取れば取るほど特別さが薄れるから、すっかり忘れていた。
《判りました。すぐ帰ります》
殊勝に返したら、《お願いします!》と何だか嬉しそうな言葉が飛んできた。
急げるだけ急いで帰ってくると、奥から「お帰りなさい」と彼女が出てきた。やけにそわそわした、いかにも何かを隠しているような様子でつい笑いたくなったが、ここはぐっと堪えていつも通りを装う。
「ただいま帰りました」
「はいっ。……あの、銃兎さん。ちょっとだけ目を瞑っててくれませんか?」
「目を。……ええ、判りました」
大人しく目を瞑ると、そっと手を引かれた。転ばないようになのか、いつもよりもゆっくりのペースで進んでいく。
ある程度進んたところで、彼女は足を止めた。
「……もう目を開けていいですよ」
「はい。……っ」
予想はしていた。
けれど、実際に目にするのとそれは全く違うもので。
テーブルの上に、いつもより少し豪華なご飯が乗っている。隣に置かれているのは、以前気になっていると口にしたワインだろうか。――それから。
真っ白で、苺が乗った、まんまるのケーキ。
「お誕生日おめでとうございますっ、銃兎さん!」
「……」
「プレゼントも、一応ご用意しました。気に入ってもらえたらいいんですけど……。あっ、でもその前にご飯とケーキ、」
言葉を最後まで待てず、銃兎は彼女を背中から抱きしめた。驚いたような小さな悲鳴のあと、優しく腕をぽんぽんと撫でられる。
「……もう一度」
「え?」
「もう一度、祝ってください。あなたからの言葉がほしい」
「……はい」
腕を解くと、彼女は真っ直ぐに銃兎を見上げた。
ご馳走も、プレゼントも、言葉も、想いも、何もかもが銃兎の為で、どんな日よりもずっと特別で、温かくて。
幸せと愛しさを噛みしめる度に、失うことへの苦みも感じた。また失くしてしまうかもしれないと考えることは恐ろしくて、けれどとても重要で。
「銃兎さん。お誕生日、おめでとうございます」
この笑顔を絶対に手放さない。奪わせやしない。そう、再度誓う為に。
「ありがとうございます」
込み上げてくる感情をどうにか抑えて、今度は正面から抱きしめたら、彼女は嬉しそうに背中へ腕を回してくれた。