彼女には言えない、秘密の趣味がある。
「……」
アラームが鳴る五分前、銃兎はゆっくりと起き上がった。流れるようにアラームを解除して、邪魔が入らないことを確認してから、傍らで眠る彼女を見つめる。布団から片手を出すと、穏やかに寝息を立てている頬に触れ、柔らかさと温かさを手のひら全てで拾い上げていく。
ふ、と笑ってから、携帯を手に取った。カメラアプリを起動させると、シャッター音を立てることなく、幸せそうな寝顔が携帯に収められた。
「……起きてください、遅刻しますよ?」
「ん……、え、目覚まし、鳴りました……?」
「ええ、鳴りましたね」
「うそ、また!? なんでだろ……い、急ぎます!」
ばたばたと慌ただしく駆けていく背を見送り、銃兎も身支度を始めた。
今夜は、珍しく夜が深まる前に帰宅することができた。「ただいま帰りました」と挨拶すると、彼女の驚いたような「お、お帰りなさい!」が飛んできた。すぐにこちらへ来ない辺り、恐らく手が離せないのだろう。
ジャケットをハンガーへ掛け、手を洗ってからキッチンの方へ向かうと、彼女はコンロの前にいた。火が点いている。これでは来られなくても道理だ。急に帰ってきてペースを乱しているのはこちらなので、特段どうも思わなかった。
「お帰りなさい。今日早かったんですね」
「はい。諸々片付きましたので、偶にはと思いまして」
「ごめんなさい、ご飯まだできてなくて……」
「構いませんよ。何か手伝いましょうか?」
「えっと、じゃあテーブル拭いてきてください。布巾洗ってあるので」
「判りました」
視線を向けられた先にあった布巾を取り、言われた通りテーブルを拭く。大したことではない以上、あっという間に終わってしまい、銃兎はキッチンへ戻った。終わりました、と声をかけようとして、止まる。
彼女はテンポ良く調理を進めていく。幽かに何かしらのメロディーを口ずさむ声がする。どこか楽しそうなその光景に、銃兎はそっと微笑んだ。静かに携帯を取り出し、カメラアプリを起動する。
「銃兎さん」
「何ですか?」
まるで携帯をただ操作しているようにしながら、彼女へカメラを向ける。小細工の甲斐あってか、彼女は特に疑う様子もなく話を続けていた。――動画にするか。
「すっごくどうでもいい話していいですか?」
「すっごくどうでもいい、ですか? ふふっ、勿論どうぞ」
「ありがとうございます! ほんとにただの愚痴みたいなものなんですけど、」
そんな前置きをしてから、彼女は今日遭遇した面倒な客の話を始めた。聞いている分には愉快だし、彼女も最早ネタ扱いしているが、その瞬間は堪らなかっただろうと容易に判る。
「世の中、なんであんな人いるんでしょうね。タンスの角に小指ぶつければいいのに」
「おや、随分生ぬるい報復ですね」
「生ぬるいって……。銃兎さんの報復、めちゃくちゃ怖いんですけど……」
「どうかあなたは、私に報復されるようなことをなさらないでくださいね。言っておきますが、報復するのであれば容赦はしませんので」
「き、肝に銘じておきます……!」
「……ふふっ、冗談ですよ」
「冗談なら冗談に聞こえるトーンと顔でお願いします!」
「ふっ、くくっ……」
さながらコントのようなやり取りを終え、そっと録画停止をタップする。こうしてまた一つ、彼女の姿が記録されていく。
「銃兎さーん、お皿持っていってくださーい」
「はいはい」
置かれた皿を持つと、テーブルに並べた。カトラリーも用意してから、携帯の画像フォルダを開く。
微笑み、拗ねた表情、涙、寝顔。楽しかったやり取り、楽しそうにしている姿、慌てている様子。とにかく沢山の、彼女の一瞬が詰まっている。
「銃兎さん、座らないんですか?」
彼女に声をかけられ、自分が立ちっぱなしだったことに気づいた。何食わぬ顔で電源を切ると、銃兎は微笑んだ。
「いえ。それにしても、今日も美味しそうですね」
「ふふふ、そう言ってもらえると嬉しいです。……いただきます」
「いただきます」
美味しそうに料理を頬張る姿を見ながら、これも記録できないかと思案する。食事中に携帯を操作するのは憚られるし、作戦を立てておかなくては。
――そばで過ごす彼女の一瞬を切り取ること。これが銃兎の、秘密の趣味だ。