今夜は帰れない。帰りたいのは山々だが。
深夜のコンビニには、店員の他は銃兎ともう一人しかいない。深く深くため息を吐きながら、棚を眺めた。カップ麺でいいか。
部下も手駒も全員揃って、なぜか今日一斉に報告書やら始末書やら顛末書やらを持ってきた。お前ら一気に出しやがってと怒鳴りたくなるのを堪えて――一部には八つ当たりさせてもらったが――、受け取ったのだった。事件も事案も何もかもが今日起きてしまったのであれば仕方ないことではある。被疑者や関係者に「今日は散々やったから明日にしてくれ」とは言えない。
「……勝手にカゴに入れないでもらえますか?」
そっとカゴに入ってきたおにぎりを睨むと、犯人はわざとらしくびっくりした顔をした。
「あれ、バレました?」
「バレバレです。私の隙を突きたいなら、もう少し気配を消しなさい」
「あはは、すみません巡査部長」
「あなたにそう呼ばれると気持ち悪いですね」
「えっ、巡査部長は巡査部長じゃないですか。他に何か?」
「……お前、わざとだろ」
「まあね! 銃兎くんが敬語で来るから、応戦してみた」
「するな」
ふふふ、と笑い声を上げる女性に、銃兎はため息をついた。
彼女は銃兎の同期で、数少ない警察学校時代からの知り合いだ。銃兎が刑事課に進み、彼女が会計課に進んだ後も、顔を合わせるとつい長話をしてしまうくらいには親しくしている。銃兎がいくら昇進しようと、全く態度を変えて――改めてすら――来ないところは彼女の愉快なポイントだ。嫌いではないけれど。
彼女がにこにこしながらカゴにパンを足す。奢らせる気満々だ。
「お前も残ってたのか」
「うん。でももう帰るところ。そしたら銃兎くんがいるなぁって思ったから、ついでだし晩ご飯買ってもらおうかなって」
「何のついでだよ。……お前、これで済ます気か?」
カゴに入れられたのは、おにぎりとパンが一つずつ。どう考えてもバランスが酷い。刑事課と会計課では仕事内容が違うとは言え、体が資本なのは同じなのに。
チキンの乗ったサラダを足してやると、彼女はえっ、と声を上げた。
「いいよ。高くなっちゃう」
「奢らせようとしてる奴が今更気にすることか? 多少はちゃんとしたメシを食う気になれ」
「……カップ麺食べようとしてる銃兎くんに言われたくない」
「話逸らすんじゃねぇ」
「いたっ」
ぺちんと額の辺りを叩くと、彼女は眉を下げた。カゴに入れられているのは、百円の塩むすびと百円のあんパン。微妙に遠慮するなら最初からカゴに入れるなとは思うが、そこが彼女らしさでもある。
「これは巡査部長出しの命令です。ちゃんと食べていただけますね?」
「うわ、職権乱用。……はーい、巡査部長の仰せのままにー」
不貞腐れた感じで返してから、彼女は小さく「ありがと」と呟いた。ちょっと嬉しそうなのは、見なかったことにしてやろう。
カゴから晩ご飯を取り出そうとしているのを止め、レジで会計を頼むと、彼女は戸惑ったように慌て始めた。なんだその反応。
「え、ほんとに奢ってくれるの?」
「別に大した金額じゃないだろ」
「それでも! え、ほんとに? ほんとにいいの?」
「いい。判ったらとっとと下がれ、店員が困ってる」
会計を分けた方がいいのかと困惑している店員に愛想笑いを送ると、向こうはこくこくと頷きながらレジ打ちを続けた。ふと見ると、隣のレジで彼女も何かを買っていた。何か思い出したのだろうか。
コンビニを出たが、時間が全く進んでいないような感じがした。外は入店した時と同じ、濃い闇に沈み込んでいる。
袋からカップ麺とサラダを取り出してから、袋を渡してやった。
「ほら」
「ごめん、ありがと。ほんとに奢らせちゃった」
「本気じゃなかったのか?」
「うーん……本気だったような本気じゃなかったような」
「金返してもらうぞ」
「ご馳走さまです!」
「宜しい」
九十度に腰を折った彼女に、重々しく返事してやってから、袋を押しつける。彼女はふにゃふにゃと表情を崩しながら、それを受け取ってくれた。
「ね、銃兎くんはさ、甘いのとしょっぱいのどっちがほしい?」
「は?」
「今」
「今」
復唱し、考える。意味が判らない。けれど、買った物から考えると。
「甘い物。買ってないからな」
「良し来た、へいパス!」
「は、うぉっ!」
銃兎に向かって投げられた何かをキャッチすると、じわりと手が温かくなる。感触的に中華まんだ。これが【甘いの】なら、あんまんか何かか。
「熱いもん投げてんじゃねぇ!」
「あははっ、銃兎くんなら取れると思って!」
「お前、普通に渡せねぇのか!」
「ごめんごめんっ! ……銃兎くん!」
彼女は銃兎から二メートルほど離れると、真っ赤になった頬を緩めて叫んだ。
「配属違うのに、いっつも話付き合ってくれてありがとうっ。ずっと言ってなかったんだけど、――実は、銃兎くんのことが好きです!」
「――は?」
「以上、甘いのでしたっ! 続き頑張ってねー!」
叫ぶだけ叫ぶと、彼女が軽やかに駆け出す。小さな背中が遠ざかっていく。なんだ、それ。なんで、なんだ、何なんだ。
「……待ちやがれ、言い逃げなんざさせるか!」
「えっ、ちょっ何で追ってくんの怖っ!」
「お前が逃げるからだろうが!」
「うわ、ホシの気持ち判っちゃった、知りたくなかったー!」
残業でめちゃくちゃにされた体が重い。疲労感がのしかかっている感覚がある。だけど、走る足が止められない。深夜テンションというやつだろうか。笑えない。
細い肩を掴み、腕の中へ閉じ込めてやると、彼女は上がった息で降参を告げた。勢いで抱きしめてしまったことを後悔しつつ、荒い息を整える。早く落ち着いてくれ、頼む。
整ったら、俺も好きだと伝えなければならないのだから。