――眠れない時は、無理に眠ろうとしないことが肝要だという。
 そんなわけで、通算十度目の寝返りを打った恋人がベッドから出ていくのはある意味必然だった。それを追いかけるのも、また。
「乱数まで起きなくていいのに」
「いいの、ボクも夜更かししたい気分なんだもん。ね、何する?」
「そうだなぁ……、なに、しようかな……」
 言葉を探しながら呟くような声に、乱数はああ、と目を細めた。基本的にばしっと「あれする」「これする」と決められる彼女がこういう返答を寄越すのは、大抵何か心配事がある時だ。とは言え「何かあった?」と聞いても「何もない」と返されてしまうのは経験として知っている。
「ねぇねぇ、チョコ食べない?」
「……チョコ?」
 ぱちり、瞼が動く。うんっ、と頷くと、乱数はテーブルに積んでいた箱からチョコレートの入った紙袋を取り出した。
「それ、乱数宛てでしょ? 流石にもらえないよ」
「えー? 捨てちゃうより良くなーい? それに、もう帝統にも幻太郎にもあげちゃったあとだもんっ。今更言いっこなし!」
「うー……。……見知らぬおねーさん、捨てられるよりマシだと思って許してください……!」
「あははっ☆ このおねーさんならだいじょぶだよ、『食べ切れなかったら誰かと分けて』って言ってたくらいだし」
「えぇ……? ……ってか、誰からもらったか覚えてるの? この量を?」
 彼女の視線が歩くような速度で動く。大きな箱たちに詰め込まれた可愛くて賑やかでキラキラした誕生日プレゼントの山を見つめ、乱数は「もっちろん!」と返した。
「一つ一つが大事なプレゼントだからねっ。次会った時には、ちゃーんと一人ずつ『ありがとっ♡』ってお礼もするよん」
「マメだねぇ……、尊敬する」
「えへへっ、もっともーっと褒めたまへ〜☆」
 ぴょこんと抱きつくと、彼女はそっと笑ってから抱きしめてくれた。髪を撫でる手が優しくて、ついうとうとしそうになる。そうだ、チョコレート。チョコレートを食べさせなければ。
 お礼代わりに頬にキスしてから、乱数はチョコレートを開封した。一つずつ色や形の違う粒は見るからに高そうで、彼女は小さくときめきと戸惑いが混ざった声を上げた。器用なことだ。
 つやつやと光る一粒を摘み、彼女の口元へ差し出すと、明らかにきょとんとした顔をされた。
「ふっふっふー。ね、あーんして?」
「えっ」
「ボクが食べさせたげるっ。ほーら、早く早く♪」
「だ、大丈夫、自分で食べれるよ!?」
「知ってるよ?」
「じゃあいいで、ふぐっ」
「時間切れ〜! 強制執行〜☆」
 よく喋る口目掛けてチョコレートを押し込み、乱数はいたずらっぽく微笑んだ。頬を赤くしながら納得してなさげにチョコレートを咀嚼する彼女を眺める。
「んぐ……ん……、えっめっちゃ美味しい」
「ほんと? はい、もう一個どーぞっ」
「めちゃくちゃ食べさせてくるじゃん……」
「だってこっちの方が楽しいでしょ?」
「楽しい……? 緊張の間違いじゃ……、あ、ありがとう……、んん……美味しいのがタチ悪い……」
 一度やられたことで諦めがついたのか、彼女は特に本気で逆らうことなく口を開けてくれた。合間に自分の口にも一粒放る。優しく噛み砕くと、中からとろりとキャラメルが溶けた。強くて濃くて、甘い、甘い味。
「……乱数」
「なぁに?」
「………………ん」
「……ん?」
 ずい、と差し出されたチョコレートに、可愛らしく首を傾げてみせた。何となく判るけれど、判らないフリ。
「その……、あー…………く、口、開けて」
「惜しい、あと一文字!」
「いや絶対判ってるよねこれ!? もういいっ、私が食べる!」
 顔を真っ赤にした彼女は、持っていたチョコレートを自らの口に入れてしまった。惜しかったのに、本当に。「あーん」が恥ずかしいなんて、可愛いことだ。
「――それ、ちょーだい」
「は……、っ……!」
 乱数は彼女の腕を引くと、唇を柔く重ねた。動揺して薄く開いた口へ舌先を滑り込ませ、大分砕けて溶けかかっているチョコレートを味わう。この粒は中にアーモンドのプラリネが入っていたらしいと知って、凝っていると感心した。
 小さなひと欠片が消えるまで堪能して、最後にちゅっと口づけると、彼女を至近距離で見つめた。少しばかり上がった息と涙目で無言の抗議をされ、乱数は軽く笑った。
「ごちそうさまでしたっ☆」
「……」
「怒った?」
「……もう寝る」
「えぇー! もう寝ちゃうのー? もうちょっと遊ぼうよぉ」
「寝れなくても寝るの!」
「『眠れない時は無理に寝ないようにするのが肝要』なんでしょー」
「………………うう」
 逃げ道を塞ぐと、彼女は耳まで赤くなって蹲った。余程恥ずかしくなったらしい。もっと凄いことだってしているはずなのに、いつまで経っても初々しい。
「からかいすぎちゃった? ごめーんねっ?」
「……まだ、どきどきしてる……」
「えへへっ。可愛い」
「……」
 蹲る彼女を起こし、そっと抱きしめた。触れた背中からやんわりと最高速の鼓動を感じて、愛おしさでめちゃくちゃになりそうになる。可愛い、かわいい、可愛い。
「このまま寝れなかったら乱数の所為だ……」
「そうだねっ。ボクがキミにどきどきしすぎちゃうちゅーしちゃった所為だもんね」
「反省の色ゼロすぎない?」
「後悔も反省もしてない!」
「ダメだこれ」
 はあ、とため息が聞こえてきたと思ったら、ぎゅっと抱きつかれた。顔は見えないけれど、何となく照れでふやけた顔をしているのだろうなと判る。ぐりぐりと押し付けられる頭を一つ、二つ撫でてから、乱数はゆっくりと彼女へ視線を向けた。
「だーいすきっ」
「……私も、だいすき」
「聞いちゃった聞いちゃった〜! ねね、もう一回! おかわり!」
「……だ、だい……す……くん元気?」
「えー!? ここで帝統の話するのナシ!」
 いやいやするように首を振って抵抗する彼女に、「ねーえ、もう一回!」と粘ってみる。優しくて甘い彼女が折れるのは、きっとすぐのこと。