何というか、意外だ。仕事帰りのCoCoKaRaカレーの店内で、由布院は小さくまばたいた。
 それは相手―鬼怒川も同じようで、大きな瞳を、更に大きく見開いていた。
「鬼怒川さん、カレー好きなんですか?」
「うん、結構。今日は激辛カレーの日だから、急いで来たんだ」
「俺もです」
 いつもの席に座ると、意図せずして鬼怒川の一つ隣になった。
 鬼怒川は同期だが、現在は上司でもある。自分にも他人にも厳しい、【あの】草津から高評価を得ている、という稀有な人物だ。由布院はあまり話したことがなく、詳しい人となりは知らないが、僅かな印象は決して悪くなかった。
「由布院も、辛いカレーいける口なんだ?」
「それなりには。時々無性に食いたくなるんですよ、ここの激辛カレー」
「判る。俺も激辛の日は、早く切り上げられるようにしたりとか」
「あぁ、俺もやりますよ。でも、何か意外です。鬼怒川さん、カレーのイメージなかったんで」
「そう? 錦ちゃんがカレー好きじゃないから、一人の時以外は食べないからかなぁ」
 うーん、と鬼怒川が首を傾げた時、激辛カレーが二人のところに来た。
 激辛カレーがメニューに登場するのは月に一度、【激辛カレーチャレンジ】の日のみだ。制限時間が設けられており、時間内に食べ切ると半額という企画だが、中々本気で辛いものだから、達成者はそう多くないらしい。しかし、由布院からしてみれば、学生の頃から何度も食べてきた味だ。無論、辛くないわけではないが、完食できなかったことはない。
お座なりに「いただきます」と挨拶してから、黙々とカレーを食べ始めた。程なくして完食すると、鬼怒川の様子を窺った。
 慣れているのは鬼怒川も同じなのか、由布院より少し遅いくらいのペースで、カレーを食べている。この感じだと、今までにも遭遇していそうなものだが、上手くすれ違ってきてしまったのだろう。
鬼怒川のコップが空になっているのに気づき、こっそりと水を注ぎ足してから返すと、特に意味もなく見守ることにした。視線が気にならない程度に、少しだけ。
「あとちょっとです!」
「うんっ、ありがとう由布院!」
 ちらりと視界に映った鬼怒川は、面映ゆそうに微笑んでいた。
「……っし、完食!」
「おめでとうございます、鬼怒川さん」
「ありがとう。……あのさ。その、鬼怒川さん、じゃなくていいよ。同期なんだし。敬語もいらない」
「え、でも、上司ですし」
「あ、えっと、プライベートの時はってこと!」
「……判った。なら、何て呼んだらいい?」
「っ、じゃあ―」
 鬼怒川が何か言葉を、音を発しようとした瞬間、机上の携帯が鳴った。弾かれたように携帯を取ると、すぐに応対する。
「はい。どうかした……って、え、本当? 判った、すぐ戻る」
 電話を切ると、大急ぎで荷物をまとめ、鬼怒川が立ち上がった。
「ごめん、呼び出されちゃった。激辛いける人と食べられて嬉しかったよ。じゃあ、また!」
「あ、はい。お疲れさまです」
 言葉遣いは、あっという間に戻っていた。
半ば呆然としていたが、ふと伝票がなくなっていることに気づいた。
「……はぁ」
 一人残された店内で、由布院は机に突っ伏した。


 帰宅し、ネクタイを緩めた正にその時、チャイムの音と共に「お届けものですー」という声が聞こえてきた。
 サインをしてから箱を受け取ってから、何か頼んでたっけ?と脳内で確認する。時往々にして、何かを頼んでいても忘れていることがあるから、その辺りは慣れたものだ。
「……んん?」
 依頼人名を見たが、何も書かれていない。 中身を見たら判るかも、と開けてみることにした。
「……はぁ……?」
 余計判らなくなった。
 中身は、随分と可愛らしい、二頭身程度の人形だった。真っ白なフリルがふんだんにあしらわれた、所謂王子様のような格好をしていたが、なぜかハゲている。こんなに王子っぽいのに、なぜ髪は生やしてもらえなかったのか、甚だ疑問だ。
 独り身の由布院だが、別段寂しく思ったことはないし、ぬいぐるみで癒そうなんて考えたことだって勿論ない。従って、こんなぬいぐるみを頼むわけもなく、多分届け違いだとは思うのだが。
「まぁ名前は合ってんだよな……」
 由布院煙様、と書かれた宛名を軽く指で突く。誰かのイタズラだろうか、それにしては、何のメリットもない気がする。ちょっと変だなとは思うが、別に精神的ダメージを食らっているわけでもないし。
 くるくると箱を回転させてながら、眺め倒してみる。もしかしたら何かヒントでもあるかと思ったのだが、ただぬいぐるみの説明やら付属品やらの説明が書かれているだけだ。その中で、一つの文が目に止まった。
「……『あなただけの名前をつけてあげよう』?」
 ぬいぐるみを買ったことがないからよく知らないが、多分こういう物の常套句なんだろう。
 名前か、と口の中で呟くと、箱の窓に貼られたフィルム越しに、ぬいぐるみを見つめてみる。不意に、ある名前が過ぎって、知らず知らずのうちに唇から零れた。
「…………『アツシ』」
 瞬間、後悔した。いやいや、何で呼んだこともない下の名前つけたのよ、俺。
 小さくため息を吐いてから、早々と寝支度を始めた。明日も当然早いし、これ以上悩むのも面倒だった。
確か送り付けの品物は二週間以内なら返品できたはずだから、次の休みでも間に合うはずだ。お金はどこからも取られていないようだから、そう焦ることもないと、楽観的に考えて。


 目覚まし時計が鳴っている。判る、判っているのだが、布団が由布院を離してくれないのが悪い。
「おーい、起きてー。遅刻しちゃうよ」
「……んん……、もうちょっと布団と仲良くさせてくれ……」
「ダメだよ、今日も仕事だろ」
 柔い声と共に、体がほんの少し揺すられる。
 ……あれ、おかしくね? 俺、一人暮らしだよな?
脳が一瞬でクリアになって、由布院は跳ね起きた。
「あ、やっと起きた。おはよう、煙ちゃん」
「……はぁ?」
 由布院に跨って、まあ足が余りにも短く、正確には跨がれていないのだが、とにかく跨っていたのは、昨日のぬいぐるみだった。ただ、昨日とは明らかに様子が違う。
「……お前、昨日ハゲてたよな?」
「失礼だな。あれは初期設定なの」
 顔のパーツは全く動いていないのに、むくれたのがなぜか判った。
 昨日は不毛の地だったはずの頭部に、髪が生えている。所々がぴょこぴょこと跳ねている、青い髪だ。つぶらな瞳にはメガネをかけており、鬼怒川を思い出した。
 というか寧ろ、鬼怒川熱史そのものだ。数割増で可愛らしい感じだが。
「で、何これ、俺まだ寝てんの」
「寝てない。俺がちゃんと起こしたでしょ。現実だよ、煙ちゃん」
 どことなく鬼怒川に似た優しい声音に、【煙ちゃん】なんて呼ばれると何となく恥ずかしい。
「っていうか、何で煙ちゃん?」
「俺がそう呼びたいから、かな。それより説明するから、ちゃんと聞いててね?」
「……おう」
 何だかなぁとは思ったが、特に口には出さずに頷く。それを見ると、ぬいぐるみ―アツシは由布院に手を差し出した。いや、もしかしたら指を差していたのかもしれないが。
「俺はぬいぐるみの姿をしてるけど、歴とした縁結びの神様見習いなんだ。今日から煙ちゃんの傍について、【運命の人】との縁を結んでみせるよ」