見上げた時計が十一時台なのを見て「今日は早く終わったな」と考える辺り、自分の限界さを感じる。何とか帰れる安堵を吐く息に溶かしつつ、独歩は足早に職場を出た。終電まで本数は多少あるが、ぼんやりしていれば一瞬で終電だ。残念ながら経験則である。
 いつもよりは少し多くて、でもやっぱり少ない人々を抜け、改札を潜る。
「――そっち剥がしたか?」
「あ、今からです」
「……」
 普段よりも疲れた面持ちの駅員たちが、壁一面に貼られたポスターを剥がしている。何の気なしに見たそれには、今日の日付と【花火大会】の文字が踊っていた――のも一瞬で、あっという間に折り畳んだ紙になってしまったけれど。
「今日、花火大会だったのか……」
 すっかり忘れていたし、意識していなかったが、そうらしい。道理でいつもより仕事を押し付けていく奴が多かったわけだ。大方恋人や友人と遊びに行く予定だったのだろう。しかしなぜ独歩ばかりに押し付けるのか。暇そうだからか。確かに予定も約束もないが、だからっててめーらの仕事何でも引き受けられる程暇じゃねぇんだよ!
 と、突っぱねることができたら、どれだけ楽だったか。
「……ははっ。花火、最後に見たの何年前だ……?」
 あまりにも花火から遠のいてしまった為に、羨ましさすら感じない。そもそも花火がそんなに好きじゃないのもある。花火大会とは一二三に手を引かれて――なんて生易しいものじゃない、千切る気だったに違いない――、無理やり連れて行かれるところだったのだ、ずっと。なぜ毎年毎年付き合ってやっていたのか。
 ぼんやりしそうになった頬を叩くと、前の人に続いて電車に乗り込んだ。テキトーに端を陣取り、念の為携帯を操作する。メッセージ、四件。
「せっ!」
 んせい、は何とか飲み込んだが、飛び出した一文字に胡乱な視線が刺さった。思わぬ人物――寂雷の名に驚きすぎた。
 見ちゃいないだろうが辺りに頭を下げてから、麻天狼のグループメッセージを展開する。いくらか早い時間に送られてきていたらしく、既読は独歩の分が一つだけだ。先頭に添付された写真を開く、と。
「……。花火、だ……」
 ややぶれているが、花火なのは判った。小さなブーケのように、花火がいくつか集まっている写真だ。
《こんばんは》
 《患者さんに教えてもらってね、屋上からみんなで見たんだ
  意外と見えるものだね》
「先生も今日は夜勤だったのか。何か労いを……、いやもう寝てらっしゃるかもしれない。メッセージなんか送って起こしてしまったら……、ただでさえ普段からご迷惑をおかけしているというのに、その上更に安眠まで妨害することに……!」
 ああと頭を抱えそうになったが、既のところでメッセージが四件だったことを思い出した。写真と挨拶と説明で三件。もう一つはなんだろう。
 そっとスクロールすれば、最後のメッセージが表示される。
《花火なんて久しぶりに見たけれど、中々楽しかったよ
 今度は二人とも行けたらいいな》
「……!」
 じわり、と胸の中に温かい感情が溢れて、それに押し出されるように一つ思い出した。
 花火大会が好きじゃなかった。ごった返す人混みは暑く湿気っているし、打ち上げ音はうるさくて辛い。それでも、一二三に連れ出されるまま、何度も花火を見たのは――。

『独歩! 見ろよ、すげー!』
『……あぁ。すごい、な……!』

 ――二人で見るのが、楽しかったから。

《ぜひご一緒したいです》
 こんなに簡単な理由を忘れてしまうなんて、時の流れも社会人の荒波も恐ろしいものだ。ぽん、と表示されたメッセージを眺め、そっと微笑む。
 待て、これ送ったの誰だ?
「……、俺だ……! しまった、つい勢いで、送信取り消しするか!? いやでも通知自体は行ってるだろうし、今消したところで……無意味……!」
 いくらガラガラとは言え、それなりに視線が刺さってくるのだが、最早それどころではない。このやらかしをどうすべきかまだ決められていないのだから。
「どうしよう……、どうすれば……、これだから俺はいつもいつもこうなんだ……!」
 最寄り駅まであと二つ。乗り過ごすと終電に突入する羽目になるのだが、さて。