「今日、誕生日ですよね。おめでとうございます」
たっぷり数十秒後。
「え、えぇー!? 七緒先輩っ、俺の誕生日知ってたんですか!?」
道後は驚愕の表情を浮かべた。
「何で知らないと思ってたんですか」
「あ、ありがとうございます! 七緒先輩に祝ってもらえて、俺嬉しいです!」
うわうわうわ、とテンションが上がっているところに、和倉はトドメを刺すように付け足す。
「そういうわけですから、プレゼントをと」
「ぷ、プレゼントまで!?」
「……君の誕生日、ハードル低すぎて拍子抜けです」
何やら呆れた様子でため息をついてから、和倉は改めて言った。
「……そう思っていたんですけど。考えれば考えるほど、何か違うような気がして、結局決められませんでした。すみません」
「いえいえいえ! 七緒先輩が俺の為に何か考えてくれたってだけで嬉しすぎてヤバいです! どうしよう、俺明日爆発するかも……!」
「明日死ぬ宣言やめてもらえますか。……というか、本題がまだなんですが」
「本題?」
どうやら話の腰を折ってしまっていたらしい。道後が聞く姿勢を取ると、和倉は小さく息を吐いてから言った。
「何も、決められなかったので。少々ベタではありますが、【僕】をプレゼントしようと思います」
「…………」
「何でも一つ、君の言うことを聞いてあげます。それを以て、プレゼントということにしてください」
「…………」
一瞬どころの騒ぎではない。本当にもう随分の間、自分が何を提示されているのか判らなかった。思考は段々とよく判らない方向へ行き、宇宙の始まりを見た頃、やっと現実に帰って来られた。
「……え、ちょいちょいちょい、待ってください、もう一回いいですか? 俺、何か都合いい夢見てるのかも」
「夢じゃないです。……何か一つ、君の言うことを何でも聞いてあげます。二言はありません」
「な、な、何でも……! な、なら俺っ、七緒先輩とお風呂入りたいです!」
今度は和倉が止まった。
「……大胆ですね」
漸く絞り出した、というような言葉に、道後は自分のお願いがどう取られたのかが判った。真っ赤になりながら、音が出そうなくらい手を振る。
「ち、ちがっ、違うんです! 別にそういう意味じゃ、いや全然、勿論、まっったくそういう意味でもいいんですけど、でもそうじゃなくて、そういうことじゃなくて、俺は純粋に、素直にお風呂に入りた……って、違うんです〜!」
「うーん、とりあえず落ち着きましょうか」
ぽん、と肩を叩かれ、ひとまず深呼吸をした。息を吸い込みすぎて大いにむせたが、とりあえず酸素は補給できた、ような気はする。
「七緒先輩って、髪長いじゃないですか」
「まあ確かに。どちらかと言えば」
「俺、髪長かったことないんで、一回長い髪洗ってみたいなーって思って。で、で、で! そういう意味で言いました!」
「そうでしたか。……判りました、そんなことでいいならお付き合いしますよ」
「マジっすか!」
やったやったと喜んでいる間に、和倉が風呂を沸かしに行った。それに気づくと、道後の方も着替えを用意する。タオルと、部屋着と下着と。最早迷わずにぽんぽんと用意できた。前は何がどこにあるか判らなかったし、そもそも和倉の下着やタオルに勝手に触っていいんだろうかとか色々考えてしまって、何もできなかったのに。
大分この家にも馴染んだのかなぁ、と思うと嬉しくなる。
「七緒せんぱーい、着替え……って、あれ?」
きょろきょろと見回したが、和倉の姿がない。持ってきた着替えを風呂場横の洗面所に置くと、リビングに戻る。何となく無音が寂しくて、テレビを点けた。ぱっと光った画面から、大勢の笑い声がしているのを聞きながら、道後は少しだけ膝を抱えた。
「七緒先輩、どこ行ったんだろ……まさか誘拐!? 盗まれた!?」
「僕は美術品か何かですか?」
「な、七緒先輩!」
探していた声が上からして、道後は膝から顔を上げた。楽しそうに笑ってから、和倉は「すみません、少し買いたいものがあって」と髪を撫でてくれた。
不意にピーッ、ピーッと甲高い電子音がして、二人して風呂場の方を見た。用意は整ったようだ。
「では入りましょうか」
「はっ、はい!」
「ふふっ、言い出したのは一六くんなのに、何をそんなに緊張しているんですか。今更恥ずかしがることなんてありませんよ、」
ここで言葉を止めると、和倉は道後の耳元へと吐息混じりに囁く。
「……もっと凄いこと、してるでしょう?」
「ひゃっ……」
耳から全身へ熱が抜けていく。漏れた声は思ったよりも高く、可愛らしい雰囲気だった。女の子みたい、と余計に恥ずかしさが増す。
「ほら、早くしないと置いていきますよ」
からかって満足したのか、和倉はさっさと風呂場へ行ってしまった。抜けかかった腰で何とか立ち上がると、「待ってください、七緒先輩!」と追いかけた。
和倉の家の風呂場は、一人用にしては広めだ。かつて物件を探していた時、どうせなら狭い風呂より広い風呂でのんびりしたい、と選んだそうだ。そのおかげで、今こうして二人で風呂に入れるのだから、ナイス判断!と握手でもしに行きたい気分になる。色々な意味で無理だけど。
何やかんやで和倉より先に風呂場へ入ると、風呂用の椅子を置き、ばっと手で差した。
「どうぞ! 座ってください!」
「おや、いいんですか? では、お願いします」
「はいっ、頑張ります! ……目ぇ瞑っててくださいっ」
和倉が目を閉じたのを確認してから、シャワーでお湯をかけた。髪全体がぐっしょりと濡れたら、いよいよシャンプーを取った。いつもどうしてるっけ、なんてことを思いながら、恐々と髪に触れた。
――やわらかい。
何度となく触れた髪だが、濡れた状態で触るのは初めてだ。しっとりとしていても尚判る柔らかさは、道後の髪にはないものだった。思わず夢中になって混ぜっ返していると、和倉が「一六くん」と呼んだ。
「……少し痛いです」
「わっ、す、すいません!」
「いいですか、シャンプーは爪を立てず、指の腹で優しくマッサージするように洗ってください。その方が髪も地肌も痛みませんから」
「指のはら……?」
はて、と疑問に思っているのが伝わったようで、和倉は苦笑しながら「手を出してください」と促した。言われた通り、とは言っても、前に和倉がいるので、耳の辺りから腕を突き出して手の平を向けた。もし目に当てれば、目隠しをしているような形だ。
和倉の指先が、つつ、と指を滑り、指紋をくるくるとなぞった。そわっと何かが背筋を奔る。
「ここを指の腹、と呼ぶんですが……くすぐったかったですか?」
「ちょ、ちょっと、だけ……」
「ふふっ、では、それを踏まえてお願いしますね」
「うっす!」
爪は立てずに、指の腹で、優しく。
ぶつぶつと呟きながら、道後はのんびりとシャンプーを進めていく。短い髪よりも、ずっと多く泡が出てきて楽しい。ふと思い立って、髪を真ん中の方へ集める。そのまま、そっと掴んで、上へ伸ばす。
「……かーめーはーめー、」
「波ー、って何してるんですか、ヒトの髪で」
「す、すいません出来心です!」
「でしょうね。……君の髪じゃできなそうですし、不問にしてあげます」
「ありがとうございます! じゃあ、満足したんで流しますね!」
「それは良かったですね」
「はいっ!」
何となく半笑いだったのだが、道後は気づかなかった。もう一度目を瞑ってもらってから、シャンプーを流した。流し残しがないように、と丁寧に流してから、お湯を止める。
「終わりました! 七緒先輩っ、ありがとうございました!」
「いえいえ、僕は楽できましたし、お互いさまです。では、今度は僕の番ですね」
「……へ?」
完全にこれで終わりのつもりだったのだが、あれよあれよという間に椅子に座らされ、和倉が背後に立った。
「って、えぇっ!? お、俺はいいです、自分でやります!」
「僕は髪がこんなに短かったことがないので、短い髪ってどんな感じかなって気になるんですよねぇ。僕の髪を洗わせてあげたんですから、一六くんだって洗わせてくれますよね?」
「いやいやいや、俺の髪なんて洗っても面白くないですって!」
「僕の髪は面白かったみたいな言い草ですね。髪が面白いって、何だかそこはかとなく悪口っぽく聞こえるのはなぜでしょう」
「悪口じゃな、ぶっ」
ばしゃり、とお湯が降ってきて、慌てて口を噤む。きゅ、とシャワーが止まったところで再度抗議しようかとも思ったが、振り返った表情が殊の外楽しそうすぎて、何も言えなくなった。大人しく前を向く。
「……やっと観念しましたか?」
「えっと……はい」
「ふふっ、じっとしててくださいね♪」
まるで鼻歌でも歌い出すんじゃないかと思うくらい、上機嫌に和倉はシャンプーし出した。七緒先輩楽しそうだし、まいっか――なんて考えられていたのは、ものの数秒のことだった。
あれ、何かおかしいぞ。
なぜかそんな考えが過ぎって、内心首を傾げる。一体【何を】おかしいと思ったんだろう、と、疑問が浮かんできた時、頭からぶわりと【何か】が駆け下りてきた。
「……ぁっ!?」
「いい反応ですね。……ここ、気持ちいいですか?」
和倉の指が、地肌を滑っていく。耳の裏側やうなじ、生え際を優しく擦られ、何とも言えない感覚が次々に湧き上がって。あれ、俺シャンプーされてるだけだよな、別に何もされてないよな、あれ、と混乱するほどの快感だ。
「あ……、…………きもちい、です……」
「……随分目がとろんとしてますけど、そんなにいいですか?」
「…………はい……」
「ふふっ、やった甲斐がありました」
いたずらが成功した子供のような表情を浮かべると、和倉はシャワーを捻った。泡が全部流れる頃には、あの狂おしいほどの快感も鳴りを潜めていた。
「……七緒先輩マジやべー……」
はぁー……とため息をついていると、和倉がくすくすと笑った。
「君が弱すぎるだけでは?」
「いやいやいやマジで……、マジでマジでヤバかったです……」
「そうですか? 折角なので、一六くんに体も洗ってもらおうと思っていたんですが、やめた方がいいですか?」
体を、洗う。和倉の体を、道後が。
視線はゆっくりと和倉の首を這っていき、腕、胸と、段々視線が下がっていく。爪先まで下がった視線が、ぐんっと急に上がって、首を傾げる和倉の目を射抜いた。
「背中だけにしてください後生なんで!」
「どうして範囲縮小に後生かけられなきゃいけないんですか」
拡大ならともかく、と言いながら、渋々といった面持ちで和倉は再度椅子に座ってくれた。自分より広くて滑らかな背中を、傷つけないようにそぅっと擦る。
ここが道後が道後たる所以なのだが、やっているうちに段々落ち着いてきた。ずっと前、父親の背中を洗ってあげた時のことを思い出し、ついつい笑顔になる。ばしゃんとお湯をかけ、「終わりました!」と声をかける頃には、もういつもの調子に戻っていた。
「ありがとうございます。い、」
「俺はいいんで! 色々マジでヤバいんで!」
反射的に先手を打つと、「えぇー」と不満げな声を上げていた。予想的中だったようだ。
大人しく、というのも違う気がするが、和倉は大人しく自分の体を洗ってから、湯船に浸かった。道後もあとから体を洗うと、どうしようかと視線を彷徨わせた。
正直に言えば、一緒に入りたい。でも、いくら風呂が多少広かろうと、道後が小柄であろうと、男二人で向き合うには浴槽が狭い。また今度黒玉湯行けばいっか、と自分を納得させると、和倉に声をかけた。
「じゃあ、俺、先出てます」
「……え、出ちゃうんですか?」
急に寂しそうになった声音に、あ、これやな予感するな、と察する。道後は、まあ和倉が絡めばほぼほぼ何だって弱いのだが、和倉のこの声に特に弱い。
「一緒に入りませんか?」
「そ、それは俺も入りたいっすけど、でもでもでも、狭いし」
「狭くてもいいと思いますけど」
「ほら、えっと、足とか! ぶつかったら痛いっすよね?」
「僕の前に一六くんが背を向けるように入れば、ぶつかりませんよ」
「えーっと……えーっと……」
「……そんなに嫌ですか?」
しゅん、と眉を下げた和倉に、【百万ズルい】を押したくなったが、生憎そんなボタンはない。
「じゃ、じゃあ……お邪魔、します……」
早々に白旗を出すと、至極楽しそうに「どうぞ♪」と前を指された。
ちゃぷり、とお湯に沈めば、和倉の気配をはっきりと感じた。見えるのは足と腕くらいなものだが、全身が包まれているような感じがする。本当の意味で道後を包んでいるのは、お湯だと判っているけれど。
「……耳、赤いですけど何考えてるんですか?」
「ひゃっ!」
今更だが、風呂場だから声が反響している。和倉のとろけそうな声音が益々甘くなって、耳の中から侵食していくようだ。
まずい、のぼせる。
「ななおせんぱい……おれ、もうだめです……」
「ダーメ。ちゃんと肩まで浸かって、百数えてくださいね……?」
「ひゃ、ひゃくも……?」
「百です。……ほら、いーち、にーい?」
「さ……さーん、しーい……」
「ふふっ、頑張れ頑張れ……」
「ううっ……、ろーく、しーち……」
もう倒れそうだったが、道後はどうにかこうにか百まで数え切った。途中、数が増えたような気もしたが、とにかく数え切ったわけだ。ぱちぱちと楽しげな拍手が響く。
「よくできました」
「も、もういいっすか……」
「んー、ちょっと待っててくださいね」
「えっ、まだ……?」
どんな顔をしていたのか判らなかったけれど、道後の顔を見た和倉は、ちょっとだけ申し訳なさそうな顔をしていた。
「頑張った一六くんに、ご褒美をあげますから」
ご褒美って何だろう、と考えている間に和倉は素早く風呂場を出た。ちょっと、と言った通り、一分と経たないうちに戻ってきた。
「一六くん、あーん」
「……あー……ん」
もうあまり考える力が残ってなかった道後は、とても素直に口を開けた。
途端に、チョコレートとバニラの甘さと冷たさが、すぅっと寄り添った。
「うまっ!」
「あ、元気になりましたね。ふふっ、お風呂場で食べるアイスって、何でこんなに美味しいんでしょうね」
「……もしかして、さっき買ってきたのってアイスだったんですか?」
「正解です。折角なら、ちょっとだけ特別なことがしたいなと思って」
再び道後の後ろに戻ってくると、和倉もピックに刺さったアイスを口に入れた。六個入りのアイスを交互に食べているうちに、道後に力が戻ってきた。食べさせてもらっているのは恥ずかしいが、誕生日だし、ということにする。
「あぁ、最後の一個です。一六くん、ほしいですか?」
「食べたいです!」
「ほら、あーん」
「あー……」
極々素直に口を開けていると、和倉は意地悪そうに微笑んでから「なんてね」と自分の口に入れてしまった。
「えぇー!?」
がっくりと項垂れていると、ぐいと上を向かされた。何で、と思う間もなく、唇が合わさった。
あまくてつめたいのが、口の中に広がる。
「……美味しいですか?」
「わかんないです……」
「そうですか。残念ですねぇ」
あんまり残念そうではない口調でそう言うと、和倉は湯船から出て道後の腕を引いた。力が上手く入らない体がお湯から引き上げられ、外気に晒される。
「このまま置いていくとのぼせて沈んじゃいそうですし、もう出ましょうか」
「は、はい……」
ふやけた頭で返事をして、どうにか風呂を出る。ほわほわのタオルに包まっても、まだ胸がそわそわして、心臓が少しだけやかましく喚いた。