ご飯のあと、お茶を淹れてから戻ると、和倉がベランダの窓から夜空を見上げていた。「お茶持ってきました」と渡してから、隣で同じように空を眺めながらお茶をすする。
「……すっかり寒くなってきましたね。天体観測にはいい時期です」
「うわうわうわ、ほんとっすね!」
 ぱちぱちとまばたきながら、道後は歓声を上げた。満天とまではいかないが、いくつかの星々が小さく瞬いている。澄んだ空気は星の冷たさを際立たせ、確かに星を見るのにいい時期だ。
「ほら、オリオン座も見えますよ」
「え、どれっすか?」
「あれです。砂時計みたいな形をしているでしょう?」
「どれっすか? これ?」
「違います。もう少し右です」
「この辺っすか?」
「うーん……」
 和倉が指してくれているが、いまいちよく判らなかった。ここか、じゃあここかと次々に指を差していくが、どうやらどれも違うらしい。
 少し考え込むような仕草をした和倉が、急にすとんと腰を下ろした。急激に低くなった頭の位置から空を眺め、小さく頷くと「大丈夫そうですね」と呟いた。
「一六くん」
 優しく手招きされて近寄っていくと、和倉が自分の前を手で示した。前に座れということのようだ。首を傾げながらも背を向けるように座ると、持っていた湯呑みが取り上げられて、テーブルの上に置かれる。え、と戸惑う間もなく、からっぽにされた手をそっと掬われ、口から上ずった声が出た。
「な、なな七緒先輩っ!?」
「ほら、指を差してください」
 道後の肩に顎を乗せると、和倉が耳元で囁いた。導かれるままに人差し指を伸ばすと、和倉の手に包まれた右手が、夜空を滑っていく。
 やがて、ある星を差した位置で止まった。
「ここに三つの星が並んでいるのが判りますか?」
「は、はい」
「そこからまず上に……、ここと、ここに一つずつ。次に下に、ここと、……そう、そこに一つずつですね。それをなぞっていけば……」
 三つ星から離れた二人分の手は、一つひとつの星を見えない線で結んでいく。最初の星へ戻ってきた時、道後は思わず「うわぁ……」と声を上げた。
「砂時計、みたいだ……」
「ふふっ、そうでしょう?」
 心做しか嬉しそうな声が鼓膜をくすぐった。
 やっと判ったオリオン座を目で結び直していると、「ねぇ一六くん」と後ろから抱きしめられた。
「な、何ですか?」
「折角教えてあげたんですから、何か見返りがほしいところですね」
「えっ!? 有料だったんですか!?」
「当たり前でしょう。まさか無償だと?」
「いや寧ろまさか有料とは……えっとえっとえっと……!」
 大急ぎで記憶を辿り、現在の財政状況を思い出す。……ダメだ、給料日前だから財政難だった。
「次の給料日まで待ってください!」
「え」
 戸惑うような声を零したあと、和倉がため息をつきながらぎゅぅっと絞めてきた。
「い、痛い痛い痛い!」
「……今、君が持ってるものでいいんですけど」
「お、俺が今持ってるもの!? 今持ってるもの、持ってる、もの……」
 今、道後が和倉に渡せるモノ。
 じわじわと耳から頬、首が暑くなってきて、つい俯いてしまった。下がった視界に和倉の腕が入ってきて、結局体温は限界まで上がり切った。
「まさか……っていやいやいや、自惚れすぎだろ俺……」
「……自惚れてください」
「……ほんと、ですか」
「ほんと、です」
 だって、本当にこんなこと?
 道後が少しだけ首を回すと、すぐ後ろの和倉の髪に頬が当たった。そのくらいの距離だから、ピントは一切合っていないけれど、ぼやけた視界ながらも和倉が目を閉じたことだけは判った。
 小さく薄く息をついてから、道後はそっと唇を重ねた。
 唇を離すと、閉じられた目が開く。
「……もう一回」
「……はい」
 言われるがままに、もう一度重ねる。離れたそばから「もう一回」とねだられて、もう一度。

「――もっと」
「は、い……」

 彼の熱に誘い込まれるように柔らかな唇を食み、舌先を絡めた。いつもは甘いはずなのに、今は少しだけ渋く感じる。
 息継ぎの為に唇を離すと、和倉が幽かに眉をひそめた。
「……渋い」
「多分お茶じゃないっすか? ほら、俺も七緒先輩もさっきまで飲んでましたし、……っ!?」
 とん、と肩を押されて、体が傾ぐ。床に激突する前に手を差し入れてくれたおかげで、頭を打つことはなかったけれども、床に倒されたことには変わりない。
「な、なお、せんぱい?」
「……甘くなるまで、やめてあげません」
「え、あ、っ」
 道後に跨るように乗ると、和倉はいじわるっぽく微笑んだ。二度、三度と繰り返されるキスにくらくらする。
 ――衣服を乱されていく最中、背後の星空が少しだけ映る。たった一瞬だったのに、オリオン座がどこにあるのかすぐに判った。

 多分もう二度と、この星座は忘れられない。