「今日はカレー作るぞ」
ババン、と効果音でもつきそうなくらいに、はっきりと由布院が宣言すると、有基は当然といった様子で「うっす!」と返した。
今日は鬼怒川の誕生日だ。
普段何かと、というより何もかもを世話になっている身として、何かプレゼントをしたいと思っていた。その矢先に上手く回ってきた食事当番だ。珍しくガッツポーズを決めた由布院に、「大丈夫? 熱あるの?」と聞いてきた鬼怒川を絶対に見返してやる。というのは、完全に後付けだ。普段が普段なことは、自分が一番よく判っている。
「まず何カレーにするかだが、」
「何でもカレー! 何でもカレーがいいっす! 前アツシ先輩と作ったやつ!」
「確かにあのカマボコカレーは美味かった。……でもな、ユモト。今日、俺たちは忘れちゃならないことがある」
ここで言葉を止めると、由布院はキッと眼光を鋭く閃かせた。
「アツシは、カレーはチキン派だ!」
「な、なんだってー!」
なぜか熱い展開になりかかったが、ふと我に返った。有基もまた然りだ。なぜだろう。何か、ノリだ。
「チキンカレー好きなんすか?」
「ああ。その証拠に、あいつはCoCoKaRaでチキン煮込みをトッピングする。あれで嫌いとか普通とかだったら、訳が判らないレベルでだ」
「そうだったんすか! 知らなかったっす!」
知らなかったってことはねぇだろ、そう言おうとして、ふと思い当たる節があった。もしかすると、これでは知らなくても当然かもしれない。
「……そういうわけで、今日はチキンカレーだ。判ったか?」
「うっす! なら早速、サプライズカレー作り、開始っす!」
「おぉ……何だそのこっ恥ずかしいカレー……」
「え、でもアツシ先輩知らないっすよね? 煙ちゃん先輩がカレー作ること」
じゃあサプライズっす!とうきうきした様子の有基に向かって、口を開く。まあ、そうだけど。何つーか、文章にされると何か。
「まあ、いいか」
結局こうなった。
というか、あの微妙なニュアンスを上手く伝えるのが面倒くさくなった。
有基がじゃがいもの皮をむいている間に、玉ねぎと人参の処理を終わらせ、鍋ににんにくとオリーブオイルを突っ込んだ。有基はじゃがいもを持ってくると、目を丸くした。
「煙ちゃん先輩、すげー早いっすね! あんちゃんみたいっす!」
「あ? 別に大したことねぇだろ。じゃがいも切るから、玉ねぎ炒めとけ」
「了解っす!」
有基がコンロに立つと、ちらと目線をやってから、じゃがいもを少し大きめに切った。
由布院は料理をしないが、できないわけではない。持ち前の器用さもあって、何でも上手くこなす。それに、鬼怒川「シェフ」の助手を随分務めてきたのだ。できないことはない、やらないけど。
野菜がしんなりしてきたところで、大振りに切った鶏肉を投入。色が変わったところで水とコンソメを入れようとした時、有基が小さく声を上げた。由布院に木べらを渡すと、携帯へ走っていく。
「箱根有基っす! ……アツシ先輩? え、そうなんすか!?」
驚いた声に、嫌な予感が湧き上がる。
「煙ちゃん先輩、アツシ先輩今日ごはんいらないって、」
「アツシ――!!」
思わず台所へ頽れると、有基が慌てて駆け寄ってきた。「煙ちゃん先輩お腹痛いんすか、頭痛いっすか!?」と大騒ぎしている。頭なら痛い。
有基に携帯を渡してもらうと、電話の向こうで鬼怒川も慌てていた。
『どうしたの煙ちゃん! 具合悪いの!? ユモト、もし不味そうだったら救急車、』
「別に悪くねぇけど何で今日に限ってメシいらねぇんだよアツシ!」
『うわっ、びっくりした』
ノンブレスで言い切ってしまった。いや、そんなことはどうでもいい。それよか、今は鬼怒川が夕飯をいらないと言っていることの方が問題だ。
『今日、レポートの発表会あるって言っただろ。で、それが長引きそうだから、夕飯外で食べてこようと思って。っていうか、一応前もって言ってるのに何で怒られてんだよ』
尤もである。普段の由布院だったら、まだ夕飯作りに着手している時間ではない。十分間に合う時間だ。
ただ、今日は、今日だけはダメだ。
「終わんのいつ」
『え……。10時頃』
「10時……か」
判っている。
別に鬼怒川だって好きで遅くなるわけではないことも、待たせるのを申し訳ないと思ったからこその判断だということも。
急に黙り込んだ由布院に、鬼怒川が戸惑っているのが気配で判った。何か言わねぇと、と重い口を開こうとした時、有基が携帯を奪った。
「アツシ先輩! 俺、寂しいからアツシ先輩に早く帰ってきてほしいっす!」
「マジか」
子供が親の帰りを待つような言葉に、完全に虚をつかれる。本当に、こいつは。
ふと袖を引かれる。ん、と目線をずらすと、蔵王が立っていた。ずい、とスマホを見せられる。
【鬼怒川先輩、今日帰ってこないんすか?】
帰ってこないわけではない。いや、と首を振ると、再びスマホを見せてきた。
【遅くなるって感じすか】
頷くと、ちょっとだけ悩むような表情を浮かべた。隣を見ると、鳴子は何事かを打ち込んでいた。蔵王の持つスマホが震える。いそいそとメッセージを確認すると、蔵王は嬉しそうに画面を見せてきた。
【私たちは何時まででも待ちますよ。折角の鬼怒川先輩のお誕生日です、祝わない手はないでしょう】
【つーわけですから、俺たちケーキ買ってきます!】
蔵王が敬礼してみせると、鳴子は少し呆れたような顔をしてから、一度頷いた。
頼んだ。唇の動きでそう伝えると、二人は連れ立って家を出た。
丁度その頃、有基は電話を切った。
「アツシ先輩、発表早めてもらうって言ってたっす!」
「流石母さん、子供に激甘だな」
「?」
「何でもねぇよ、なら急いで作っちまわねぇと」
くつくつと煮えるチキンカレーは、完成まであと僅かだ。
有基が「知らなかった」と口にした時、最初はそんなわけないと思った。でも、それから気づいてしまった。
鬼怒川は「外でカレーを食べる時は」チキンカレーを選択する。でも、家では一緒に当番の奴に「今日は何カレーにする?」と聞いて、選ばれたものを作っていた。つまり、外でカレーを食べている場面に遭遇していなければ、知り得ることはできない。
折角の誕生日くらい、本当に好きなカレーにしたっていいだろ。
妙なところで遠慮がちな親友へ向けて、小さく息を吐くと、とりあえずもやしを入れようとした有基の手を、そっと掴んだ。
例え日付を越えたって、「おめでとう」と言うまではいつまでも今日で、誕生日だ。
意味も判らず急かされた鬼怒川を、とびきり驚かせてやろう。「煙ちゃんが?」なんて失礼なことを言うかもしれないけれど許す。有基も一緒だと知ったら、「頑張ったねユモト」と名指しで褒めそうな気がするから、そこはばっちり拗ねてやる。
誕生日を祝いたい全員で待っててやるから、早く帰ってこい、と思った。
因みに、今日誕生日なことを失念していた主役が到着するのは20時ちょうど、本来の終了予定時刻の、実に二時間も前である。