今日はいい感じだな。
そんなことを考えつつ、鬼怒川が揚がった「それ」をキッチンペーパーを敷いたトレーに置いていると、有基が飛び込んできた。もう夕方だというのに、相変わらずの元気さである。
「アツシせんぱーい!」
「あ、お帰り、ユモ、」
「トリックオアもふもふっす!」
「……えっ?」
「だから、トリックオアもふもふっす!!」
唐突すぎる言葉に、鬼怒川は一瞬完全に思考を停止していた。いや、唐突なのはいつも通りなのだが。
トリックオアもふもふって、どっちに転んでも何かされるってことじゃ?
そこに辿り着いた時、鬼怒川は漸く我に返った。
「えっと……ユモト、それだとお菓子あげ損なんだけど、ユモト的にはどっちを優先したいの? イタズラ? それとも、もふもふ?」
「もふもふ!」
「そっか、なら『もふもふオアトリート』の方がいいと思うよ」
何だかおかしなアドバイスなのだが、それをツッコんでくれる人物は、残念ながらここにはいない。
「あ、だからさっき煙ちゃん先輩に言ったら、何かすげー微妙な顔してたんすね」
「言ったんだ……。それで、煙ちゃんお菓子持ってたの?」
「持ってたっす。かぼちゃチョコ!」
有基が嬉しそうに見せてくれたかぼちゃチョコを、しげしげと見つめる。珍しいこともあるものだ、と裏を返したら「限定品」と小さく書かれていた。これから察するに、会社で配られたお土産を、有基に横流ししただけなのだろう。
まあ煙ちゃんがお菓子持ち歩いてるイメージとかないしな、と納得してから有基に返した。
「じゃあ、改めてもふもふオアトリートっす!」
「うーん……、それならそれ、ひとつどうぞ」
鬼怒川が「それ」を指すと、有基もずっと気になっていたようで、鼻をくんくんと近づけた。
香ばしいキツネ色に揚がった、小判状の「それ」を手に取ると、じわっと熱さと共に油が滲んだ。
ふーふーと申し訳程度に冷ましてからかぶりつく。
「! かぼちゃコロッケ!」
「ピンポーン!」
少し熱そうにしながらも、にこにことコロッケを頬張る有基に、思わず口角が上がる。こうも美味しそうに食べてもらえると、作った甲斐があるというものだ。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした。残りは今日の夕飯に出すから、もう少し待ってて」
「うっす!」
ちょっと名残惜しそうにコロッケを見た有基に、小さく笑みを零していると、玄関から「ただいまー」と声がした。
「リュウ先輩っす! リュウ先輩、もふもふオアトリートっす!」
「はあ!? いやいや、いきなりどーしたユモト」
入ってくるなり飛び付いてきたものだから、面食らった様子で蔵王が鬼怒川を見た。説明求む、という感じだろうが、残念ながらこちらも何でこんなことを言い出したのか全く心当たりがない。
なぜなら、今日は。
「まだハロウィン早ぇだろ!」
ハロウィンまで、あと二週間強はある日だから。
一瞬きょとんとした顔をした有基だったが、ああと納得したように頷いた。
「今日、友達ともうすぐハロウィンだなーって話になって。で、今日トリックオア〜ってやったら、何人くらいお菓子持ってるか調べようってことになったんす」
「相変わらずユモトの大学ぶっ飛んでるね……」
「で、色んな人のとこにトリックオアもふもふ!って言って回ったんすけど、やっぱりあんまりお菓子持ってなかったから……、もふもふし放題だったっす!」
「ユモト的にはお菓子ない方が幸せか……」
「いや、あってもなくても幸せっていう、一番幸せなやつっすよこれ」
鬼怒川と蔵王は顔を寄せ合って、ひそひそ言葉を交わした。今日を思い返しているのか、きらきらと上を向いていた有基は気づいていないようだった。
「で、リュウ先輩はもふもふさせてくれるっすか!?」
「させねーな」
「飴っす!」
数少ないであろうお菓子を手に、有基は嬉しそうに辺りを歩き回った。
「流石リュウ、すぐお菓子出てきたね」
「飴は基本っすよ。ちょっと疲れてそうな女とか、甘い物がほしそうな女に渡してやるとイチコロっすから!」
「うん、そんなことだろうと思った」
いつもなら女性を喜ばせるそれが、今日は有基も喜ばせたようだ。飴ひとつなのに、やったやったと飛び跳ねる有基に、蔵王がそっと後ろを向いた。
「……鬼怒川先輩。うちの後輩、ほんっと安上がりっつーか……可愛いっすね……」
鬼怒川は、何も言わずに肩に手を置いた。
それからくるりと向きを変えると、台所から何やら持ってきた。
「ハロウィンのかぼちゃっす!」
「……すげー」
鬼怒川が持ってきたのは、所謂ジャック・オ・ランタンだった。飾りなどに用いられるそれよりは、かなり小さめなところを見ると、かぼちゃコロッケに使う中身をくり抜いたあと作ったのだろう。器用なことだ。
「まあ流石にハロウィンまでは置いておけないし、今日だけな」
「すげー! うち、こんなんあったことないっす!」
「まあうちも毎年置いてたわけじゃないんだけど、何回か作ったことあったから……」
「え、鬼怒川先輩、それって、置いてる年もあったってことじゃ」
「これ、ロウソク置いてもいいっすか!?」
「うん。火事になったらいけないから、ちゃんと見張ってるんだよ?」
「うっす!」
かぼちゃの周りではしゃぐ有基を見る目が、完全に親のそれだ。そこは敢えてツッコまずに、蔵王は少し話を逸らした。
「そういや、かぼちゃってハロウィンもそうですけど、冬至のイメージないですか?」
「冬至? いや、まあそうだけど、何か意外だなぁ。リュウから冬至って言葉が出てくるの」
「毎年ばあちゃんがかぼちゃのそぼろ煮作ってくれてたんで。あれ、美味いんだよなぁ……」
「レシピとかって判る? 判るなら再現してみようか、おばあさんのそぼろ煮」
鬼怒川の言葉に、一瞬ぱっと顔を綻ばせたが、すぐに落ち込んだように俯いてしまった。
「すいません……手伝いはしてたんすけど、そこまでは……。何かみりん入れてんなーとか、醤油入れてんなーとかくらいしか……」
「そっか。なら、今度一緒に作ってみようよ。リュウが味見してくれれば、それっぽいのになるかも」
ね?と提案され、蔵王は今度こそ嬉しそうに頷いた。
「冬至楽しみっすね!」
かぼちゃの周りで遊ぶのにも飽きたのか、有基がひょっこり顔を出した。
「またかぼちゃ買ってこないとだね」
「柚もほしいっす! 柚子湯するっすー!」
「なら、イオに予算あるか聞かねーと!」
三人で顔を見合わせると、まだ見ぬ今年の冬至の計画を立て出した。
賑やかな声を聞きつけて、さっきまで部屋にいた由布院と、今日の取引を終えた鳴子も加わり、話題は実家での冬至の過ごし方についてへと移った。
この様子だと、ハロウィン当日の盛り上がりは、あまり期待できなそうだ。