鬼怒川が帰ってくると、そこには何だか難しげな顔で仁王立ちする有基がいた。何だろう、と思いながらも「ただいま」と挨拶すると、重々しく口を開いた。
「……アツシ先輩、今日何の日か知ってるっすか」
「今日? 今日何かあったっけ?」
はて、と首を傾げると、信じられないものを見る目で有基が叫ぶ。正直心が辛いのでやめてほしい。
「……煙ちゃん先輩の言う通りっす……!」
「え、何煙ちゃんに吹き込まれたの?」
それには答えず、有基は踵を返すと、リビングへ駆け込んだ。そのままドアを閉め、中から鬼怒川へ向かって再度叫んだ。
「今日が何の日か判んないアツシ先輩は、思い出すまで入れてあげないっす!」
「……え?」
どたばたと足音が少しだけ遠くに行って、鬼怒川は漸く我に返った。この家は、リビングを抜けなければ家の中に入れない。そのリビングに入れないということはつまり、閉め出されたのと同意義だ。
「……えー……、忘れてたらユモトが怒りそうな行事あったっけ……? 記念日? 誰かのお祝い?」
結構必死に頭を回転させたものの、自分の誕生日くらいしか浮かばず、うーん、と悩む。このまま考えて続けていても埒が明かないし、そもそも十月の廊下は少しだけ寒い。
無駄かな、とは思いつつ、鬼怒川はリビングのドアをノックした。鍵がかかっているわけじゃないことは重々承知の上で。
「おーい、ユモトー」
「……思い出したっすか?」
「ううん、ごめん。どうしても思い出せないんだけど、今日って何の日? いくら考えても、俺の誕生日くらいしか出てこなくて」
途端に、勢いよくドアが開く。
「覚えてるじゃないっすか!」
「えっ、正解!? じゃあ何で俺閉め出し食らったの!?」
まさか主役なのに閉め出されるわけないよな、なんて切り捨てたものが答えで、鬼怒川は大いに目を剥いた。
「え、何よちゃんと誕生日覚えてたわけ?」
なぜか驚いた顔をした由布院の脇腹に一撃キメてから、「で、何でこんなことになったの?」と聞く。
「い、いや、だって今日は記念すべき、年に一度の誕生日だぞ? それなのにアツシと来たら、まるで普段通り。ひょっとして自分が誕生日なの判ってないんじゃね?ってなったとて不思議じゃないだろ?」
「めちゃくちゃ不思議だよ」
「何でだよ。もっとアピールしてけよ、自分バースデーを」
「アピールしてくるの煙ちゃんとリュウとユモトだけだろ」
「過半数じゃねぇか」
「いつから多数決制になったの? ってか自分バースデーってなに」
「……確かに、由布院先輩やリュウ、ユモトは誕生日をアピールしていますね」
台所から鳴子が出てきて、「お帰りなさい」と挨拶した。何だかやっとまともに返してもらえた気がして、ちょっとだけ嬉しい。
「因みに、イオは普段よりちょっとだけそわそわしてるよね」
「そ、そんなはずありません。誕生日とは言えども、一年三百六十五日のうちの一日に過ぎ、」
「あー、確かに! イオ、めちゃくちゃいつも通りですーって顔しながら、ちょっとそわそわしてるよな!」
言い訳めいたセリフに被せるように、蔵王がにやにや笑いながら参加してきた。鳴子は少しだけ耳を赤くしながら、「……うるさいです」と悔しげに唇を噛んだ。
「できたっすー!」
ふと、台所から有基の大声がしたと思ったら、ものの数秒でこちらに駆けてきた。大きな皿に乗せられた、大きな茶色の円盤からは、何だか甘い匂いがした。これって、もしかして。
「……ホットケーキ?」
「んー、大体合ってるっす! 正解は、炊飯器で焼いた炊飯器ケーキっす!」
「あ、炊飯器か。それなら大きい丸にもできるね」
「すっす! このケーキのいいところは、好きにクリームとかフルーツとか乗せられるとこっす!」
えへん、という声が聞こえて来そうな顔に、何やら微笑ましくなった。ほかほかと湯気を立てているケーキから漂う甘い匂いに、何となくお腹がすいてきた。
「……ちょっとだけ食べてもいい?」
少し恥ずかしくなりながら聞くと、有基は目をぱちぱちさせてから、ぱっと笑った。
「いいっすよ! 誕生日の特権っす!」
「よし、じゃあ先に切っちまうか。五等分より六等分の方が切りやすいだろ、多少」
由布院はナイフを持ってくると、器用に六等分してくれた。まだ温かいケーキを無造作に手渡され、ほんの少し慌てる。落ち着いてから、ぱくりと齧り付いた。
「……うん、美味しい!」
「ほんとっすか!?」
「ユモトも食べる? ほら、あーん」
「あー……ん! ん……ん……、んー! 激ウマ!」
「えー、ユモトばっかズリー! 鬼怒川先輩っ、俺にも一口一口!」
「ふふっ、はいどうぞ」
「……うわ、マジでうめー! 何か、ホットケーキなんすけど、ホットケーキじゃないっぽいですね!」
「厚みがある所為かな。……イオも、ほら」
「わ、私は……えっと、鬼怒川先輩がどうしてもと仰るなら……」
六分の一を一口ずつ分けていると、横から視線を感じた。もうあと三口程度まで来ていたケーキをもう一口食べると、横の視線がやや悲しそうになったので、笑いながら声をかける。
「煙ちゃんも食べたい?」
「何その笑顔」
「しょうがないなぁ、煙ちゃん拗ねるとめんどくさいからなぁ」
「別に拗ねてねぇし。アツシは後輩思いだなーって思ってただけだし、俺よりもユモトたちの方が可愛いに決まってるよなーとか思ってねぇし」
「めちゃくちゃ拗ねてらっしゃる」
ほら、とケーキを差し出せば、とてもとても嬉しそうに齧り付いた。こういう顔を見ていると、何だかんだで思考回路は老けてないよなぁと思ってしまう。老けてないというか、幼いというか。
「……アツシ、お前今絶対失礼なこと考えてるだろ」
「別に?」
残りのケーキが乗った皿をテーブルの端に移動してから、鬼怒川はさてと手を打った。
「今日誕生日だし、チキンカレーにしてもいい?」
「主役自ら!?」
「俺たちやりましょうか?」
鳴子と蔵王があわあわと立ち上がったから、それならと手伝ってもらうことだけ決めると、三人で台所に入った。
今夜はとびきり美味しいチキンカレーを作ろう。きっとできる頃にはケーキを冷めているだろうから、クリームを絞って、フルーツを乗せて、チョコレートのバースデープレートでもあれば最高だ。
大好きなチキンカレーと甘い手作りケーキで、祝ってもらおうじゃないか。
「『だって今日は記念すべき、年に一度の誕生日』だもんね、煙ちゃん」