「入間くんは独身だったね」
「……ええ、そうですが」
 一瞬何を聞かれているのか理解できず、「は?」と言ってしまいそうになったのをどうにか堪えた。尋ねてきた本人は「そうかそうか、それはよかった」と笑っている。
 銃兎は署に来るなり、部下から「銃兎さん、【警部殿】がお呼びです」と告げられた。彼を【警部殿】と呼ぶのは、彼が本当に警部であることの他に、中々の無茶を言い出すことに定評がある為だ。しかし、そのどれもが逮捕に上手いことつながっているばかりに邪険にするわけにもいかず、陰ながら【警部殿】と揶揄することで溜飲を下げている――閑話休題。
 急に呼び出して一体何なんだ、と無言で訴えると、【警部殿】はああと話し始めてくれた。
「私の知り合いに社長がいるんだが、社員のお見合い相手を探しているらしい。その相手に、入間くんを推薦させてほしいんだ」
「お見合い、ですか。……申し訳ありませんが、他を当たっていただけませんか? 私は今のところ、結婚したいとも女性と交際したいとも考えていませんので……」
「いや、何も本当にどうにかなってほしいとは思っていないよ。ただ、現れてくれればそれでいい」
「……」
「端的に言えば、あいつに恩を売っておきたいんだよ。見合い相手を紹介させた、という恩を。だが、やっつけだと思われてはマイナス評価につながる。だからこそ、君が適任なんだ」
「なるほど、そういうことでしたか」
 にこり、と微笑む【警部殿】はちっとも優しくなんかない、悪い大人の顔をしていた。
 相手がどういうつもりで見合いをしようと思ったのかは判らないが、かわいそうに。大人たちの汚い駆け引きの出しにされてしまうなんて。
「しかし、私には何のメリットもありませんね。私を使おうと言うのですから、貴方に恩を売れる……くらいでは足りませんよ」
「言うと思っていたよ。……ほれ」
 差し出された封筒を受け取ると、中身を確認する。分厚い書類の束にざっと目を通し、銃兎はにこりと微笑んだ。恐らく、さっきの【警部殿】と同じような顔をしているに違いない。
「ご協力ありがとうございます」
「フン……。じゃあ、これで頼んだぞ」
「かしこまりました」
 銃兎は慇懃に頭を下げてから、書類をぐっと握りしめた。急ぎ足でデスクへ戻ると、待機していた部下へ声をかける。
「証拠が上がりました。……一人残らずしょっぴいてやりましょうか」




 雰囲気の良い料亭の一室で、銃兎はお見合い相手――とその社長と対峙していた。一応、銃兎の隣には【警部殿】もいる。
 最初は仲人二人が近況報告や世間話に華を咲かせていたが、突然「僕たちがいると話しづらいだろう、ごゆっくり」と退室してしまってから、この部屋は無言になった。
 ちらり、と相手に目線を遣る。
 深い青の反物で作られた着物を着た彼女は、入室時に「御白木こはくです」と挨拶をして以来、一度も目線を上げていなかった。愛想笑いをすることもなく俯いて、時折目を泳がせている。もしこれが外なら即職質だな、と思った。
 会うに当たって、相手のことを念の為調べてみたが、これといったことは何も出てこなかった。中流家庭で育ち、公立校に通い卒業し、就職。補導歴・逮捕歴共になし。極々一般的な女性だった。お見合いでなければ、恐らく出会うこともなかっただろうと思うほどに。
 どうしたものかと考えつつ、とりあえず当たり障りなく「ご趣味は」と聞いてみる。
「と、特に……」
「……そうですか」
 終わった。時間にして五秒にも満たなかった。
 何か別の話題を振るべきか、いやそもそも見合いをする気もないのに連れて来られたのはこちらなのだから、向こうから振ってきてもいいだろう。緊張しているのかもしれないが、それにしたって――と思ったところで、相手が酷く震えていることに気づいた。
「もしかして、どこか具合でも、」
 悪いんですか?と聞こうとした瞬間、相手が突然頭を下げた。勢いをつけすぎたのかゴツンといい音がしたが、それに怯むことなく彼女は初めて自ら声を発した。

「ごめんなさい!」
「……は?」

 つい素が出てしまったが、彼女は気づいていないようで、構わず謝罪を繰り返している。ごめんなさい、私の所為で、こんな大事になるなんて、ごめんなさい、巻き込んでごめんなさい。謝られるばかりでは事情が判らなくて、銃兎は密かに眉を寄せた。
 そっと卓上の湯呑みを取り、わざとことん、と音を立てて置くと謝罪の嵐が止んだ。代わりに、恐る恐るという具合に視線が上がる。努めて柔らかい口調を心がけながら、改めて銃兎は尋ねた。
「何か事情があるようでしたら、良ければ話していただけませんか?」
「……はい」
 小さく頷いた彼女の顔色はかなり悪かったが、とりあえず震えは止まっていた。
 社長である男は優しく面倒見の良い人物ではあるが、同時にかなり世話好きというか、お節介な一面があるらしい。その一つに、結婚願望の有無を確認してくる、というのがあるそうで。
「大体の人は『今は興味ないです』とか『相手がいるんで』とか言って断るらしいんですけど……。私はその……、『相手がいたら』って言ってしまって。それからもう、もの凄い速さで決まっていって、断れなくて……」
「それで『私の所為』、ですか」
「はい……」
 彼女は、本当にごめんなさい、と頭を下げた。今度はぶつけなかったようで何よりだ。かわいそうに、という思いが再び去来する。
 社長の方は判らないが、こちらは損得勘定と取引の末に来ている。もし彼が相談したのが【警部殿】でなくもっと善良な人間だったなら、もしかしたらということもあったかもしれないのに。
「御白木さんの所為ではありませんよ。自分の為に整えられてしまったのなら、断りにくいのも道理です」
「でも、お時間を無駄にさせてしまって」
「いえ。……実は私も、そこまで乗り気ではなくて。相手の方に申し訳ないなと思っていたので、却って助かりました」
 寧ろ時間を無駄にさせているのはこちらだ。断りにくい環境に苦しめられながら、初めて会う男と対峙させられ、しかも相手に結婚願望はないと来た。本気で結婚したいと思っているようではないとは言え、これ以上に無駄な時間があるものか。
 さっきは音を立てる為に取った湯呑みを、今度はお茶を飲む為に取る。
「あの、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。今回のことは、入間さんから断っていただいて構いませんので」
「御白木さんが宜しければそうさせていただきますが……」
 言外に大丈夫なのかと問うと、彼女は小さく頷いた。断れるような立場じゃないので、と。
「判りました。では、そのように」
 返事をした時、す、と襖が開いた。お食事をお持ちしました、と仲居が丁寧に礼をしてから入ってくる。
「……折角ですし、頂きましょうか」
「そう、ですね」
 朝食は摂って来たが、独特の空気感の所為かお腹がすいてきた。用意されているものを無下にすることもないだろうと箸を取ると、ならうように彼女も箸を取った。
 置かれた品々をざっと見ていると、一つだけよく判らない皿があった。会席料理は何度も口にしたことがあったが、完全に未知の料理だ。見た目は普通だが、何が原材料か判らないだけに箸が進まない。流石にゲテモノを出すとは思わないが、それでも不安にはなる。
 銃兎が戸惑っている間に、彼女がわぁ、と小さく声を上げた。恐らく料理の名前を言ったのだろうが、聞き馴染みのない所為でよく判らない。もしかして、と一縷の望みをかけて聞いてみる。
「……これですか?」
「はい! すごい、珍しいです!」
「そうなんですか?」
 思わず聞き返すと、彼女は今までのおどおどした様子が嘘のように言葉を紡ぎ始めた。どうやらかなり歴史の古い料理らしいが、現代においてはあまり一般的なものではないようだ。ついでに話の端に原材料が出たおかげで、これがゲテモノではないと確証が得られて安心した。
「随分詳しいんですね」
「ごめんなさい、うるさかったですよね……!」
「いえ。歴史がお好きなんですか?」
「歴史というか……色んなお店に行って、美味しいものを探すのが好きで。これも、この前行ったお店で偶々頂いたので知ってただけなんです」
「……十分趣味なのでは?」
「え?」
「あぁ、失礼。『趣味はない』と仰っていたじゃないですか。美味しいものを探す、食べ歩きと言い換えてもいいでしょうけど、趣味と呼んでも差し支えないのではと思いまして」
「……そっか、食べ歩き……。じゃあ、今度自己紹介する時は『趣味は食べ歩きです』って言いますね」
 うんうんと頷いてから、彼女は銃兎を見つめた。今日初めて目が合ったな、と思っていると、ふわりと微笑んだ。

「ありがとうございます、入間さん」

 何だ、こんな顔もできるんじゃねぇか、なんて。

「私は礼を言われるようなことはしていませんよ」
「いえ、入間さんが気づかせてくださったようなものなので。だから、私的にはお礼を言うようなことなんです」
「……そうですか。ふふ、どういたしまして」
「はいっ」
 やっと緊張が解けたのか、彼女は嬉しそうに返事してから皿に箸をつけた。それを見ながら食べた件の料理は、中々美味しかった。
 弾む、とまではいかないが、多少会話が続くようになってきた、ように思う。彼女は銃兎に慣れてきたのか、現職の警官と話す機会を楽しみ始めたようだし――「手錠の鍵、本当になくしたりすることってあるんですか?」と聞いてきたのは中々愉快だった――、銃兎は銃兎で、腹の探り合いも計略も不要な女性との会話は久しぶりだった。機密事項がある為にかなり話題は選んだが、彼女と話すのは別に悪くないと思えた。丁寧な相槌には、追従が見られなかったからだろうか。よく判らない。
 料理が殆ど片付いた頃、彼女の方から「あの」と振って来て、つい驚きそうになった。
「そう言えば、入間さんは何かご趣味はありますか?」
「趣味、ですか?」
「はい。さっき聞かなかったなぁって思ったんですけど……あ、答えたくなければ無理にとは言いませんので!」
 彼女は慌てて箸を置いて、手をぶんぶん振った。趣味、と口の中で転がしてから、銃兎は「そうですね……」と返した。
「趣味と言えるかは判りませんが……美術館巡りは好きですよ」
「美術館……何だか、賢そうですね……」
「賢そう、って。どういう感想ですか」
「えっ、ご、ごめんなさい……?」
「いえ。独特の感性をお持ちのようで、楽しいですよ」
「え、えぇ……」
 賢そう、か。敷居が高いとかそういうのも含まれているのだろうけれど、随分とストレートな感想だ。ふふ、と笑い声を零していると、笑われていることが恥ずかしいのか、少し赤くなりながら彼女があわあわと口を開いた。
「げ、芸術って難しいじゃないですか。凄い絵なんだ、って言われてもピンと来ないこともありますし」
「あぁ……確かにキュビスムやシュルレアリスムは、見てすぐに理解ができるものではないかもしれませんね。そもそも、所謂芸術と呼ばれるものには、理解というより感性が重要になってくるような気もしますが……」
 一口に絵画と言っても、様々な作品がある。例えば、と印象派や写実主義の画家や作品をいくつか上げてみると、名前は判るものもあったようだ。あとで調べてみます!と決意表明した後、繰り返し名前を呟く姿に思わず苦笑した。
「メモしますか?」
「あぁ……、今紙とペンがなくて。携帯になっちゃうので……」
「構いませんよ」
「本当ですか? じゃあ、失礼します」
 彼女は傍に置いていた鞄から携帯を取り出すと、画面をとんとんと叩いた。えっと……、と呟きながら入力していく姿を眺めながら、残りの料理を片付ける。
「青、お好きなんですか?」
「え? そう、ですね」
 着物もそうだが、スマホカバーや鞄も青で統一されている。様々な青に囲まれている姿は、何となく海を思い出させた。濃い青は深間を、淡い青は浅瀬を。場所は違えど共通して凪いだ海を感じるのは、彼女が持つ雰囲気の所為だろうか。
 自分の携帯を見つめた後、彼女はそっと唇を緩めた。
「海が好きなんです。これも、何だか海みたいだなぁと思って買いました」
「海……」
 ギラギラしすぎない程度に入れられたラメは、透き通った青色と相まって、真昼の海のように思えた。海を連想したことは、あながち間違いではなかったらしい。
「入間さんは海、お好きですか?」
 彼女の問いに答えようとした時、襖がすっと開いた。仲人たちが戻ってきてしまったようだ。……いや、しまったって何だ。
「……お邪魔だったかな?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
 社長に向かって微笑むと、彼は安心したように笑い返してから彼女の隣に来た。まだ持ったままだった携帯を見つけると、嬉しそうに尋ねる。
「よかった、番号交換できたんだ?」
「え? いえ、あっ」
 明らかにしまった、という顔をしている。テキトーに「した」と答えていればよかったんだと今気づいたのかもしれない。急に振られると頭が回らないらしい、いや大体はそうか。最初の頃と同じくらい、顔色が悪くなっている。
 銃兎は内心苦笑すると、ポケットから携帯を取り出した。
「忘れていました。連絡先、いただけますか?」
「は、はい! 喜んで!」
 どこの居酒屋だ、というのは噛み殺して、彼女の携帯の画面を覗き込む。IDを入力し、表示されたアイコンをタップして、《あなたの所為ではないですからね》と書いて送信した。
「届きましたか?」
「届き……、ました。届きました、ありがとうございます!」
 真っ青になっていた顔色が、ぱっと戻った。代わりに「何で判ったんだろう」と言いたげな顔をしている。この判りやすさに気づいていないとは重症だが、とにかくちゃんと届いてよかった。
「どうだった、今日は。ちゃんとお話しできたかい?」
「ちゃんと、かは判りませんけど……。でも、とっても楽しかったです」
 瞳を柔く細めて、彼女が笑った。咄嗟に振られたら頭が回らないことはさっき確認済みだ、つまりこれは――。
「……私も、お会いできてよかったです」
 本心、なんだろう。心から、今日が楽しかったとそう言っているのだろう。
 最近はあまり触れる機会のなかった真っ直ぐな好意に、なぜか胸が痛くなった。
「入間くん。そろそろ行こう」
「はい」
 とん、と肩を叩かれ、我に返った。そうだ、いつ断りを入れるか考えなくてはいけない。あんまり早いのもどうかと思うが、遅すぎてその気があると思われても困る。
「それでは、また」
 彼女に向かって軽く会釈すると、一瞬呆けた顔をされたが、すぐに背筋を伸ばして「はい! また!」と返してきた。顔に思い切り「そっか、社交辞令だ!」と書かれている。
 反射的に笑いかけようとした自分に気づいて、銃兎はそっと口元を隠した。