件のお見合いから数日。
《お疲れさまです、入間です》
 ひとまず挨拶を送り、続きを打ち込んでいる間にぱっと既読がつく。次いで《お疲れさまです》と送られてきた。
《今日明日中にお伝えしようと思っていますので、宜しくお願いいたします》
 何を、とは書かなかったが、書かずとも伝わったようだ。
《ご面倒をおかけして、本当にごめんなさい》
《いえ、こちらに非がないとも言い切れませんから。お気になさらず》
 送ってから、冷たく取られるだろうかと妙な心配が過ぎった。その気持ちが訳の判らないものだと理解しているのに上手く消せなくて、銃兎は続けてメッセージを送信した。
《お節介かもしれませんが。もしこの後二回目のお見合いをセッティングされそうになり、かつ御白木さんがそれを望まない時は、「今回の一件で懲りた、暫くは仕事に専念したい」と伝えてみると良いかと思います》
 送るのと同時に既読がつく。まだ見ていたらしい。元々消すつもりはなかったが、いよいよ逃げられなくなった感じがして、銃兎はくっと眉を寄せた。
《ありがとうございます! 助かります!》
 ぽん、と表示された返事から声が聞こえたような気がして、ふと微笑む。さぞ判りやすく喜んでいるのだろう。なぜかは判らないけれど、そう思った。
 こうして、最初で最後の彼女との連絡は終わった。



「すみません」
 銃兎が声をかけると、駅員が振り返った。警察手帳を見せてから「防犯カメラの画像を見せてもらえませんか?」と尋ねると、駅員は驚いた面持ちで頷いた。
 この私鉄の防犯カメラは、比較的長い期間映像が保存されている上にそこそこ画質が良く、しばしば有力な情報をもたらしてくれていた。今回はどうだろうと思っていたのだが、期待通り、被疑者の男がしっかりと映り込んでいた。
 部下もそれに気づいたようで、銃兎に目配せしてきた。小さく頷き返してから、銃兎は傍で作業をしていた駅員に声をかける。
「ありがとうございました。こちらの画像をお借りしたいのですが、宜しいですか?」
「……すみません、私では持ち出しの許可できなくて……。明日駅長が出勤してくるので、明日でもいいですか?」
「判りました。では明日、またお邪魔させていただきます」
 丁寧に礼をしてから、駅を出る。いくつかの店や個人宅を尋ね、有力な情報も得られた。ここらで一度署に戻るべきか。そう考えながら車に戻った時、静かな車内にぐぅ、と唸り声が聞こえた。……自分ではない、のであれば。
「……そう言えばお昼時でしたね」
「す、すみません……」
 真っ赤になりながら、部下が俯いた。駅員の前でなくてよかったと思うべきか、聞いてしまって申し訳ないと思うべきか。
「何か食べてから戻りましょうか」
「ありがとうございます、すみません」
 ぺこりと頭を下げると、部下はいそいそと車を発進させた。いくらもしない程近くにあった丼物屋に停めると、「銃兎さんはどうされますか?」と聞いてきた。
「私はこの辺りを歩いてきます。とりあえず、三十分後にここで」
「判りました」
 上司が一緒だと、落ち着いて食べられないだろう。どうせ何でもいいと思っていたのだから、別にこの店でなくてもいい。それに、ヨコハマの中心部から少し離れたこの地に来る機会はあまりない。パトロールがてら歩いておいて損はないだろう。
 一先ずコンビニを探そうと携帯を操作した時、幽かに芳しい匂いが鼻をくすぐった。何か、小麦の焼ける匂いだ。パン屋でもあるのかもしれない。地図アプリで近くのパン屋を表示させると、想像通り近所にあるようだった。
「……ん?」
 こぢんまりとしたパン屋の前で、スーツ姿の女性が一人じっと立ち尽くしていた。
 後ろ姿では細かいことまでは判らないが、パン屋を見ては視線を落とし、落としてはまた見て、何かを躊躇っているかのような様子はかなり不審だ。昼食前だが、流石に無視することはできない。
 銃兎は小さくため息を吐くと、女性に近づいた。
「すみません、」
「はいっ!?」
「……御白木さん?」
 声をかけ、ぱっと振り向いた女性は、見覚えのある人物だった。なぜと思ったが、そう言えば彼女の勤め先はこの近くだったか、と以前見た資料を思い出す。
 彼女は突然現れた銃兎にかなり驚いているようだった。なんと言うべきか考えていると、彼女は銃兎を見上げたまま、ぽつりと呟いた。

「入間さん……、お腹、すいてませんか?」
「…………すいて、ますけど」

 どういうことだ。
 内心混乱している銃兎をよそに、彼女は嬉しそうに瞳を輝かせたが、次の瞬間「いやいやいや……!」と首を振った。
「ごめんなさい、何でもないです! 解決しました!」
「解決? 何かトラブルでもあったんですか?」
「トラブル……と言うほどのことでは全然ないんですけど……」
 彼女は少しばかり言い出しにくそうに口ごもったが、もう一度パン屋の方を見てから話し始めた。
 そこのパン屋はどれもこれも美味しいのだが、中でもサンドイッチは格別に美味しい【らしい】。らしい、と言うのも、このサンドイッチはひと月にたった一日しか売らない上、日取りは不定期で告知も一切なし。当日店に行って、店頭の黒板を見るまで有無は判らないと来ているそうだ。
 彼女はサンドイッチが買えないかと昼休みの度に足を運んでいたのだが、今日ついにサンドイッチの販売に立ち会えたという。それがどれほど嬉しいことかは、彼女の顔を見ていれば十分伝わってきた。
「サンドイッチは全三種なんです。折角三つあるなら三つ食べたいんですけど、お弁当どうしようかなと。捨てるのは、嫌なので……」
「なるほど」
 だから空腹かどうかを尋ねてきたのか。要は自分の代わりに弁当を片付けてほしい、と。
 そう結論づけたが、彼女は「でも」と口を開いた。
「よく考えたら、私がお腹いっぱいになりすぎるだけなんだし、どっちも食べたらいいんですよね!」
「まあ、確かに……?」
 そう来るか。そこまでして食べたいのか、サンドイッチ。そんなに美味いのかサンドイッチ。
「……ってことに、聞いてから気がついて。変なこと聞いちゃってごめんなさい。お騒がせしました」
 彼女は決意した表情を浮かべ、軽く頭を下げた。これから戦いにでも赴きそうな雰囲気だ。サンドイッチと弁当の両方を食べてやろうとしているだけなのに。食べ歩きが趣味――これは銃兎が言ったことだが――、というのは伊達ではないらしい。
「……ふっ」
「え?」
 突然笑い声を上げた銃兎に、彼女の大きな瞳が益々大きくなる。つい笑ってしまったが、彼女にとっては大事なことなのだから、と銃兎も真剣な顔をしようとして――ちょっと失敗した。口角がやや緩んでいるのが判る。
「よかったらお手伝いしましょうか? さっきも言いましたが、お腹はすいているんです。お弁当、頂きますよ」
「……えっ!? い、いいんですか!? いやでも、これ私が作ったやつですし、お口に合わないかもしれないですし、」
「大丈夫ですよ、プロ並みの物を期待しているわけではありません。そもそも、そういう物が食べたいのならこんな提案はしません」
「そ、そうなんですか……?」
「それより、油を売っていていいんですか?」
「え?」
 銃兎が視線をパン屋に視線を動かすと、追うように彼女も視線を向けた。
 店頭の黒板を見た客が、次々に店内へ吸い込まれていく。狙いは、確実に。
「い、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
 慌ただしく駆けていく背中を眺め、銃兎は一つ息をついた。少しかかるかと思ったがそんなことはなく、ものの数分で紙袋と共に戻ってきた。彼女の表情から察するに、狙っていたものは全て買えたようだ。
「近くに公園があるんです。いつもお昼はそこで食べてて。よかったらそこで食べませんか?」
「そうですか。それでは、ご一緒させてください」
 うきうきと先を歩く彼女について行くと、本当に近くに公園が出てきた。公園、と書かれているが遊具等はなく、どちらかと言えば広場のような雰囲気だった。木陰のベンチに腰かけ、いそいそ袋を開封する彼女の横で保冷バックから弁当箱を取り出すと、彼女はやや慌てたように口を開いた。
「お口に合えばいいんですけど……、あっ、コロッケとから揚げは冷食なので! 他のおかずが口に合わなければそれを!」
「判りました。……いただきますね」
「は、はいっ!」
 緊張した面持ちでこちらを見ている彼女から、弁当箱へ視線を移す。さほど大きくはないが、どんと二段になっている弁当箱を開くと、中身にざっと目を走らせた。小さなコロッケとから揚げ――これは冷食だと言っていたか。ゴボウと人参のきんぴらに、肉巻きの温野菜、卵焼き。特に変わった物は入ってなさそうだ。
 軽く手を合わせて「いただきます」と呟いてから、きんぴらを口に入れる。
「……美味い」
「ほ、本当ですか?」
 彼女が嬉しそうに声を上げるまで、銃兎は自分が言葉を零したことに気づかなかった。多少酷かろうと「美味しいです」と言う支度はしていたのだが、これは本心から出た言葉だった。ゴボウの歯ごたえと人参の柔らかさ、それを引き締めまとめる辛味。たっぷりのゴマ。二段目に入っているご飯を一口食べ、またきんぴらに箸を伸ばす。きんぴらがなくなったら次は肉巻きの温野菜、それも終われば卵焼き、その次は――と、割とハイペースで弁当を平らげていく。
 結局箸が止まったのは、おかずもご飯も全てなくなった後だった。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「そう言っていただけて安心しました。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
 満腹ではないが、腹七分目か八分目くらいになった。比較的よく食べる方だと思っている銃兎でそうなのだから、中々いい量だ。もしかすると、彼女は結構食べる方なのかもしれない。
 久しぶりに食べた家庭料理の味に、お腹だけではなく【どこか】も満たされた。言うなれば心とか、そういう曖昧なところ。
「サンドイッチ、美味しいですか?」
「はい! あ、少し食べますか?」
「大丈夫ですよ。美味しいなら、ご自分で食べた方が良いでしょう?」
「でも、こうしてサンドイッチを買えたのは入間さんのおかげですから。それに、次いつ買えるか判りませんし! ……あ、お腹いっぱいでなければ、ですけど」
 遠慮がちな言葉とは裏腹に、ずい、と半分のサンドイッチが差し出される。六枚切りほどの厚みのパンを二枚使ってサンドした上で半分に切って、食べやすくしてあるらしい。
「では、折角なのでいただきますね」
「はい!」
 サンドイッチを受け取り、かじりつく。
 内容は一般的なBLTサンドのようだったが、パンも中身も他のものとは一線を画していた。レタス、トマトの甘さと厚切りベーコンの塩気に、ピリリと利いた粒マスタードが調和している。サンドイッチには珍しく、耳のついた食パンを使っているのだが、耳まで美味しい為に全く邪魔じゃない。寧ろ耳が美味しい気さえする。今度ここの食パンを買ってみようか、と考えるくらいには。
 サンドイッチも綺麗に平らげると、彼女と目が合った。ずっと見られていたのだろうかと考えると、やや気恥ずかしい。
「……すみません。ありがとうございました」
「いえ。美味しそうに食べてくださってたので、良かったなぁって思ってました。ふふふっ」
 彼女が密やかに声を上げて笑う。初めて笑い声を聞いたような気がした。
 残りのサンドイッチをかじる横顔を、気づかれないようにじっと観察する。一口ごとに嬉しそうに、幸せそうに食べているさまを見ていると、なぜか胸の奥が少しだけぬくくなった。手伝ってやって良かった、なんてことを思う。
 しかし、六枚切りで考えたとしたらトータルで一斤食べているのか。さっき考えた通り、彼女は結構食べる方らしい。銃兎自身が食べる方だし、その方が気を遣わずに済むから良いけれど。
「ごちそうさまでした!」
 ぱしん、と両手を合わせた彼女が、改めて銃兎の方へ向き直った。
「入間さん、本当にありがとうございました! おかげさまで、サンドイッチ食べられました」
「それはそれは。お役に立てて良かったです。……あぁ、お弁当箱ですが」
 言われて、弁当箱が未だ銃兎の手元にあることを思い出したらしい。だが、弁当箱を回収しようする彼女をやんわりと押し止める。
「洗ってお返ししますので、一度お預かりしても宜しいでしょうか?」
「えっ。そんな、お気遣いなく……!」
「そう言うわけにはいきませんよ。結果的にお昼をごちそうになってしまいましたし、このくらいはさせてください」
「そ、そう……ですか……? それなら……、大したことはしていないので恐縮ですけど、お願いします」
「ありがとうございます。明日もこの近くに来ることになっているので、御白木さんのご都合が良いようであれば明日お返ししますが、いかがですか?」
「あ、はい。明日もここでお昼食べてると思うので、大丈夫です」
「判りました。もし予定が変更になった場合は連絡します」
 簡単な約束を取りつけたところで、丁度集合時間の五分前になった。そろそろ戻るべきだろう。
「では、また明日」
「はいっ。宜しくお願いします」
 軽く会釈をし、彼女より先に公園の出口へ向かう。手元にある手提げバックに視線を落とし、部下に何と説明すべきか考えて、面倒になってやめた。後部座席にでも置いておけばそこまで目立たないだろう。
「……あの、入間さん!」
 不意に、彼女が銃兎を呼んだ。返事代わりに振り返ってみせると、彼女は小さく拳を握った。
「お仕事お疲れさまです。行ってらっしゃい!」
 今日は、久しぶりなことが続くらしい。行ってらっしゃい、なんていつぶりだろう。
 彼女に気づかれないようにぐっと言葉を飲み込んでから、銃兎は何てことのないように微笑んだ。
「ありがとうございます」
 返して、少し逡巡して。言葉を付け足した。

「御白木さんも、お疲れさまです」
「……はいっ!」

 同じ言葉は返せなかったけれど、ささやかな労いを一つ添える。
 向けられた笑顔が、さっきサンドイッチを食べていた時と同じくらい嬉しそうに見えたのは気の所為だ。きっと、そうだ。