「お待たせしてすみません、理鶯」
 銃兎が近づくと、理鶯は「いや」と短く答えた。肩にかけた袋から封筒を取り、銃兎へ差し出す。
「先程報告したものだ」
「なるほど。……中を確認させていただいても?」
「勿論だ。役に立てば良いのだが」
 受け取った封筒を開き、中身を改める。数枚のメモと写真にざっと目を走らせ、素早く戻した。
「確かに。わざわざありがとうございます、助かりました」
 十分すぎる戦果を受け、銃兎は軽く微笑んだ。それを見て、理鶯もどことなく嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 理鶯から連絡が来たのは、数時間前だった。今日は調味料確保の為に街へ下りていたそうなのだが、途中でどうもきな臭い連中を見かけたという。幽かに聞こえた内容から薬物絡みだと判断し、アジトや今後の計画、構成員についての情報を集めてきてくれた。制圧できなくもないが、銃兎に挙げてもらった方が良いだろう――と考えたそうだ。
「ふふっ、お気遣い感謝します。これだけ揃っているわけですし、今夜中には片をつけさせていただけそうですよ」
「そうか。宜しく頼む」
「いえいえ。それでは、また――」
「嗚呼、小官としたことが忘れていたな」
「……はい?」
 挨拶を遮られ、若干気の抜けた声になってしまった。ぽかんとしている銃兎をよそに、理鶯は再び袋に手をかけ、深い緑色の袋を銃兎に渡した。受け取った感触は固い。恐らく何らかの箱が入っている、ような。
「近頃、また一段と忙しいと言っていただろう。銃兎は少々、食事を疎かにする癖がある。小官とて前線では簡易的な食事で済ませていたが、それは十分なエネルギーと栄養が含まれたものだ」
「はあ……」
「カップラーメンは確かに手軽だが、連続して食するのはあまり推奨されない。簡単にではあるが、栄養のあるものを作ってきた」
「えっ……? 作ったん、ですか? 理鶯、が」
「あぁ。蛇のハンバーグだ。血抜きをしっかりと行い、臭みのない食べやすい仕上がりになったと自負している。ぜひ食べてくれ」
「ありがとうございます、……い、いただきますね」
「うむ。常温保存に耐えるようにはしたが、念の為早めに冷蔵庫に入れることをおすすめしておこう」
「は、はい……」
 引きつった笑顔には気づかず、理鶯は「ではまた」と悠々と去っていった。手元には、蛇の肉でできているらしいハンバーグが残っている。理鶯が、作ったハンバーグが。
「……こんなモン、長い間冷蔵庫に入れておけるか……!」
 左馬刻を呼んで、と思ったが、こんな理由で奴が来るわけがない。寧ろ彼の元にも届けられている可能性すらある。そして声をかけたが最後、左馬刻の分まで押し付けられる可能性も――。
 考えるだけで震えた。
「………………」
 どうする。どう、処理する。
 窮地に陥る脳内に、先日聞いた声が蘇った。
 ――お掃除でも場所取りでも荷物持ちでも数合わせでも――
 ――とにかく何でも頑張りますので! 遠慮なく!――
「………………いや、ダメだろ流石に……」
 良心と理性はそう言うが、本能の部分がその案を否定してくれない。普段の倍時間をかけて携帯を取ると、メッセージアプリを開く。それなりに上の方に表示されている彼女の名前をタップし、文字を打ち込んでいく。
《こんばんは。お疲れさまです》
 さて、どう切り出すべきか。どの程度詳らかにするべきか。銃兎とゲテモノ料理、とくれば予想はつくだろうか。待て、理鶯の料理って世間に知られてねぇのか?
 よく判らない迷路に迷い込みそうになり、軽くかぶりを振る。とりあえず、まずは署へ戻らねば。折角理鶯が協力してくれたのだ、奴らは絶対にしょっぴいてやらなくてはならない。
 それが一種の現実逃避であることは理解しつつ、銃兎は足早に歩き出した。



 捕物は恙なく終わった。理鶯がかなり入念に情報収集をしてくれていたことに加え、部下数名が周辺への根回しを済ませておいてくれたことが大きく関わったと思う。とは言え、残らず全員を連行し後始末まで終わらせた頃には、すっかり夜になっていた。
 ふと署内の冷蔵庫に入れさせてもらった【ブツ】を思い出してしまい、重たいため息をつく。いっそ忘れていたかった。いや忘れたところで明日には思い出してしまうのだが。何にせよ、今日のところは全部持って帰らなければ。とりあえず帰り支度を済ませてから袋を回収し、車に向かった。
 発車する前に片を付けようと、携帯を取る。数時間前に開いたメッセージアプリを再び開き、挨拶の続きから入力を始めた。
《こんばんは、お疲れさまです。
 突然で申し訳ないのですが、ジビエというか、ゲテモノ料理に抵抗はありますか?》
 散々迷った挙句、一応ストレートに聞いてみることにした。彼女のことだから《とりあえず来てください》とか《何も言わずに手伝ってください》とか言っても《判りました!》と二つ返事で引き受けそうだ。もう少し警戒してほしい。とんでもないこと要求されたらどうすんだ。あと五分だけ待とうと決めた瞬間、ぱっと既読が表示された。
《遅くまでお疲れさまです。
 ゲテモノ、食べたことはないですが興味はすごくあります!》
「あるのかよ……」
 思った以上に前向きな反応が来て、若干戸惑った。ゲテモノってそんな喜ぶものなんだろうか。判らない。
《そうですか、それはよかったです。
 実は少々協力していただきたいことがありまして》
《私にできることなら何でも頑張ります!》
「食い気味すぎるだろ」
 前のめり加減に笑いつつ、《言いましたね?》と送る。ゲテモノは多分大丈夫、その上で何でもすると来た。ならば任せてみよう。
《先程知り合いからゲテモノ料理をいただいたんですが、割と量が多そうでして。
 宜しければ手伝っていただけませんか?》
《判りました! いつ伺えばいいですか?
 私は今日でも大丈夫なくらいなので、入間さんのご都合の良い日を教えてください》
「ふふっ……食い気味すぎるだろ、本当に」
 最早銃兎からの返信を読んでいるのかも怪しいくらいの速度だ。それに今日って。どこまで前向きにゲテモノを食べようとしているのか。
《今日でもいいんですか?》
《入間さんが大丈夫なら大丈夫です。実は、まだ晩ご飯食べてなくて》
 送られてきたうさぎのスタンプから、やたらと哀愁が漂っているように見える。しょんぼりと落ち込んだ様子から惟るにかなり空腹らしい、多分。そんな気がする。
 今から手伝ってもらえるなら、家に持ち込む量を減らせる。悪くない。
《では、今からで。場所は、》
 銃兎が馴染みの喫茶店の名前を送ると、素早く了解の返事が来た。もし早めに着いたら店の前で待つように付け足してから、漸く車のエンジンをかけた。



 クローズの札が下がっている扉を開くと、そこにはいつもの常連客の姿がちらほらと見えた。店主の元へ真っ直ぐ向かうと、彼は「いらっしゃい」と微笑んでくれた。
 ここの喫茶店は、夜間営業をしていない。朝からおやつ時まで営業し店仕舞い――というのは表向きで、夜は常連向けの営業にシフトしている。常連は様々で、静かにコーヒーを嗜む者もいれば子連れで夕食を摂る者もいる。店に通っていて、且つ店主が見込んだ人かもしくは紹介された人以外は入れないのが夜間だけのルールだ。もっとも、クローズが下がっているのに開ける者もいないが。
 持ち込んだものを食べる旨を伝えると、あっさり許可が下りた。それどころか「おかず系? ならご飯出そうか」と言ってくれた。
「入間さんが誰かを連れてくるなんて珍しいね。どういうお友達なの?」
「お友達……?」
 彼女は、友達だろうか。ふと示された定義がどうも合わず、銃兎は少し考え込んだ。彼女と自分の間柄とは何だろう。少なくとも友達とは違う気がする。子供じゃあるまいし「友達になろう」と言わなければいけないわけでもないが、それでも友達かと言われると微妙だ。事実を述べるなら元見合い相手、少し暈すなら。
「ただの、知人ですよ」
「……そう?」
 店主は銃兎を見つめていたが、すぐに視線を動かした。その間に、携帯がそっと唸る。どうやら着いたらしい。
 店の扉を開くと、彼女は「えっ」と声を上げた。
「し、閉まってるんじゃないんですか?」
「表向きは、ですよ。夜は常連向けに変わるんです。……お呼びだてして申し訳ありません、わざわざありがとうございます」
 彼女を招き入れ、素早く扉を閉めてから挨拶を並べると、はっとした様子で頭を下げてきた。
「いえいえ! こちらこそ今からでも、なんて言ってしまってごめんなさい。呼んでいただけて嬉しいです」
「そう言ってもらえると、いくらか気が楽になりますね。あぁ、こちらへどうぞ」
「あ、はい! 失礼します……!」
 軽く椅子を引き、座るように促す。彼女が席に着いたところで、理鶯から渡された袋を取り出した。中から箱――保存容器だが、何だか市販の物より頑丈そうだ――を出し、蓋を開く。
「これが……仰ってたゲテモノ料理、なんですか?」
「ええ。原材料は……、知りたいですか?」
「何なんですか?」
「……蛇、と言っていましたよ」
「蛇……!」
 すごい!と言わんばかりに瞳が輝いた。なんでこんなキラキラしてられるんだ。蛇のハンバーグだぞ。彼女から中身へ目線を移し、じっくり見つめる。
 理鶯の手に合わせた為か、一つひとつがかなり大きめで食べ応えがありそうだ。漂うソースの香りも美味しそうで、蛇と聞いていなければ美味しく食べられただろうという思いが止まない。
 銃兎が考え込んでいる間に、店主がご飯を運んできた。
「はい、ご飯ね」
「あ、ありがとうございます!」
「いいえ。飲み物はどうしますか?」
「えっと……、じゃあカフェラテで」
「うん。出来たら持ってくるから、その間に食べてて」
「ありがとうございますっ」
 彼女も注文を済ませた。目の前にはご飯がある。どうやら覚悟を決める時が来たようだ。テーブルに置かれたカトラリーを彼女にも渡すと、長く息を吐いた。
「……いただきましょうか」
「はい! いただきますっ」
 全体的にゆっくりした動作になってしまう銃兎に比べて、彼女は極々普通にハンバーグをご飯へ乗せた。ほんの少しだけの間を空けて、ぱくりと噛みつく。
「……ん! んん……、へぇ……! なんというか、ちょっとつくねっぽいかもですね!」
「な、なるほど……。美味しいですか?」
「はい、とっても!」
「……とっても……」
 言葉に嘘はないようで、彼女は軽やかにハンバーグを平らげていく。時折ご飯を挟みつつ食べる姿は、まさかゲテモノを食べているとは思えない様子だった。意を決して、ハンバーグを一口頬張る。
 肉質は強めで、一般的な肉よりも旨みも強い。僅かにコリコリとした食感があり、彼女の言う通りつくねのような雰囲気はある。臭みもなく、しっかりしたソースとよく合っている。美味い、美味いのは判る。嗚呼、これが蛇だと知らなければよかったのに。
 込み上げてくるため息を殺している間にも、彼女はぱくぱくと食べ進めていて、ご飯を平らげ「ごちそうさまでした」と手を合わせた頃には半分ちょっとが片付いていた。
「すっごく美味しかったです! お知り合いの方にも美味しかったですって……、伝えない方がいいんでしょうか? これ、入間さんにって持ってきて下さったんですよね……? というか私、普通に食べ過ぎましたよね!? ご、ごめんなさい!」
「あぁいえ、こちらとしては助かりましたから、頭を上げてください。本当に助かりましたから。本当に」
 一人であの量を食べなければいけなかったのかと考えると震えてくる。尚も申し訳なさそうにしている彼女を真剣に見つめると、ダメ押しのように「本当に、助かりましたから」と告げた。
「それならいいんですけど……。でも、入間さんのお役に立てたならよかったです。……何だか、私だけがすごく得をしてしまった気もしますが」
「とんでもない。十分役に立っていただきましたよ、安心してください」
「ふふっ……、ありがとうございます」
 安心したように微笑んだ彼女は、小さく「美味しかった……」と呟いていた。そんなに喜んでもらえるなんて、却って申し訳ない気分だ。残る個数をこっそり数えつつ蓋を閉めると、銃兎はコーヒーを飲み干した。
 さて会計を済ませようと伝票へ手を伸ばすと、先に来た手がぱしっと攫った。
「……は」
「すみません、お会計お願いしますっ!」
「はーい。……はい、丁度ね」
「はい。……あの、安くないですか?」
「あぁ、ご飯はサービスしておくから。また来てね」
「あ、ありがとうございます!」
 呆気に取られている間に会計が終わった。財布をしまった彼女はふふんと嬉しそうにこちらを向く。
「この前はごちそうになってしまったので、お返しです! ……まあ、金額的には釣り合ってないんですけど……」
 今の今まで得意げだったのに、すとんと自信を失った。乱気流みたいだ。くっ、と喉の奥で笑いを押し殺すと、銃兎はわざとらしく微笑んだ。
「そうですか。では、また何かお返しをしないといけませんね」
「えっ!? そ、そんな、お気になさらず!」
「それ、そっくりそのままお返ししましょうか?」
「う……」
 痛いところを突かれたとばかりに黙り込む彼女がおかしくて、今度は押し殺さずに笑う。流石に笑われていると判ったようで、彼女は赤い頬のまま俯いた。少し意地悪だったろうか。銃兎は笑いを収めると、「すみません」と謝った。
「また、連絡させていただいても?」
 理鶯の料理もそうだが、また一つ借りができた。本来であれば気にするべくもないほど小さな借りではあるが、借りは借りだ。速やかに返すべきだろう。
 尋ねる声に、彼女の視線が上がる。
「……はい。ぜひ、また」
 表情に無理や困惑が含まれていないことを読み取ると、知らず知らずのうちに入っていた肩の力を抜いた。