提出書類の最後の一枚を片付け、何となく見上げた時計に銃兎はふと息を吐く。今日はこれ以上急ぎの作業もないし、偶には定時に上がろうか。明日も休みではないから大したことはできないが、ちょっといい食事をテイクアウトするくらい許されるだろう。
「お先に失礼します」
 部下へ声をかけると、彼は驚いた顔で「お疲れさまです!」と返してきた。俺が定時で上がることがそんなに妙か。
 駐車場へ着くなりエンジンをかけ、空調が利くまでの間に煙草に火を点けた。いつもと同じ煙草を吸っているのに、定時だと言うだけで上手く感じるのだから不思議だ。
 煙草片手にスマートフォンを操作し、溜まっていたメッセージを開いていく。と言っても、企業や店からのDMばかりだが。
 一通り目を通し最後の一つを閉じると、その下は彼女の名前だった。よく連絡を寄越してくる左馬刻が電話派なのもあり、メッセージアプリでやり取りする人が少ない所為か、やり取り自体は少し前なのに随分上の方だ。
 トークルームを眺めつつ、そう言えば最近は会っていないなと思い出す。そもそも会いすぎていたような気もしないでもないけれど。
 御礼から始まりご恩がと続き、最後に《今度ご馳走させてください! いつでも空けます!》と結ばれたそれを見つめる。いつでも、か。――本当に、【いつ】でもだろうか。
 ほんの少しだけ試してみたい心地になって、銃兎は入力欄に触れた。ぱっと表示されたキーボードを叩き、まずは《お疲れさまです》と綴る。
《今日、このあとお時間はありますか?》
 些か急なのは違いないが、前は《今からでもいい》なんて言った彼女だ、意外とどうにかなるかもしれない。例えならなかったとしても帰ればいいだけだ。一応候補を探そうかと検索エンジンのアプリを開いた瞬間、ぽん、とポップアップが表示された。
《あります!》
 《すみませんお疲れさまです!》
「……っ、ははっ。慌てすぎだろ」
 恐らく順序を違えたらしい文章に、つい笑ってしまった。【意外とどうにか】なったようだ。候補探しを中止し、メッセージの方を開く。
《それは何よりです》
《はい! こちらこそ!》
《こちらこそって何ですか》
《恩返しチャンスを得たので》
「ふっ、恩返しチャンスって……」
《では、折角なので返していただくとしましょうか》
 《どこかチーズ料理が美味しい店はありますか?》
《チーズですか……ちょっと待ってくださいね》
 断りが入ってからものの数分で、三つほどリンクが飛んできた。三店舗とも価格も料理のタイプも違っていて若干迷う。本人は「今日は私がご馳走するんだ!」と意気込んでいることだし、あまり高くない方が安心できるだろう。まあ大人しく奢られるつもりはないが。
《このパスタが気になります》
《OKです!》
 《これから向かいますね! お待たせしたらすみません、少々お待ちください……!》
 全力疾走しているうさぎのスタンプが送られてきて、銃兎は少し急いでメッセージを追加した。
《今どちらにいらっしゃいます?》
《電車の中です》
《もしかして帰るところでしたか?》
《いえ! このまま寄り道するつもりでした!》
 《実はここ行こうかなって思ってたんです》
  《楽しみ増えました!》
 きっと屈託なく笑っているのだろう。どこかほっとした気持ちになりながら、更に文章を書く。
《お邪魔してしまったわけでないならよかったです》
 《まだ電車なら、駅で待ち合わせにしませんか?》
  《目的地は同じなんですからお連れしますよ》
《お手数じゃないですか……?》
《全く》
 本当に。ちょっとロータリーに停まればいいだけの話なのだから。逡巡するような間のあと、彼女から《宜しくお願いします!》と返ってきて、銃兎は少しだけ長く息を吐いた。



 店の最寄り駅は、車ならすぐのところだ。彼女がどの地点から連絡してきたか判らないが、下手すれば銃兎の方が先に着いてしまう。まさか警察官が切符を切られるわけにはいかないので、適当に時間を調節しながら到着連絡を待っていると、彼女から《着きました!》と飛んできた。さほど遠くはなかったらしい。
 ロータリーへ入ると、彼女の姿をすぐに捉えることができた。彼女の方も同じだったようで、ぱぁっと笑顔を浮かべるなり手を振ってきた。
 傍へ停め、窓を開ける。
「こんばんは。お疲れさまです」
「お疲れさまですっ! すみません、わざわざありがとうございます」
「いえ、このくらい大したことではありませんよ。……どうぞ?」
「は、はい。お邪魔します」
 手で示すと、彼女は恐る恐る乗り込んできた。二度目とは言え、緊張するものだろうか。何となくかちこちに見える彼女に、銃兎はそれには触れず尋ねた。
「道案内はお願いできますか?」
「が、頑張ります!」
「ふふっ、この前と同じようにしていただければ大丈夫ですよ。そう気負わずに、ね」
「気負わず、ですね。気負わず……!」
 聞いているのかいないのか。思わず漏れた笑みは、例の如く地図アプリとにらめっこを始めてしまった彼女には気づかれていないようだった。
 今回も今回とてたどたどしい案内に導かれ到着。駐車場は比較的幅の広いところで、これなら普通かと思ったのだが、一回で停めただけでやっぱり「凄い……職人だ……!」と感心された。
 ややファミリー層の多い店内は、そこそこに賑わっていた。店員に案内された席に着き、メニューを眺める。と言っても半分決めてきたようなものだから、あくまでもポーズだが。
「……」
 視線を上げると、彼女はどうも難しい顔をしていた。決め兼ねているのだろうか。自分の注文のことは一旦置き、銃兎が名前を呼ぶと、彼女は弾かれたように顔を上げた。
「はっ、はい!」
「何か迷ってらっしゃいます?」
「えっと……、いえ、そんなことは……」
「おや、警官相手に嘘は良くありませんねぇ。……正直に」
「うっ……あの、入間さん……。入間さんは、おなかどのくらいすいてますか?」
 あっさりと観念した様子の問いかけに、銃兎はにこりと微笑んでみせた。素直で宜しい。
「昼食からは何も食べていないので、かなり」
「ほんとですか⁉ あ、あと……入間さん、焼きそば定食とかお好み焼き定食とか……そういう炭水化物と炭水化物の組み合わせに抵抗は感じますか……⁉」
「感じませんね。まあ毎食は控えるべきでしょうが……。ラーメンにご飯をつけたりもしますよ」
「で、でしたら! これ、頼んでもいいでしょうか⁉」
 彼女はバンッと立ち上がると、銃兎の方へメニューを勢いよく差し出す。そこに写っていたのは、山盛りのポテトフライとチーズがトッピングされたピザだった。
 ……いや何だこれ。
「ここのパスタすっごく美味しくていつもパスタにしちゃうんですけど、これもすっごく気になってて! でも流石に一人でパスタとピザ食べたらやりすぎだなってことは判ってて、友達もタイミングが合わなくて、……ごめんなさい!」
「何がですか」
「食いしん坊で……ごめんなさい……」
「っ、ふふっ……お気になさらず。それもあなたの魅力の一つだと思いますよ」
「食いしん坊なことがですか……!?」
「少なくとも私にとっては。私自身、それなりに食べる方なので、少食の方が相手だと食事量を計算する必要があって面倒なんですよ」
「な、なるほど……。じゃあ、食いしん坊で良かったです!」
「ええ、良かったです。……決まったようでしたら注文しましょう」
「はいっ! ……あ、すみませんっ」
 良いのか、それで。要は「都合が良い」と言っているのに。呆れ半分、心配半分の銃兎をよそに、安心した様子の彼女は元気に注文を始めた。例のピザも勿論入っていた。
 店員がいなくなったあと、「そういえば」と彼女が口を開いた。
「入間さん、車停めるのやっぱりとっても上手でびっくりしました! 駐車センス凄いですね!」
「駐車センス……?」
「はい。だって凄いじゃないですか、小さくない車なのにサッと入れて! この前も凄いなって思ってましたけど、今回もやっぱり凄いしかっこいいなって!」
「そ、そんなに感心されるようなことではありませんよ。毎日運転して、毎日駐車していればある程度は上達するものです」
「そうですか?」
「そうですよ」
 前回も気恥ずかしかったが、今回は更に長尺だった。追従のような内容だが、本人がめちゃくちゃ本気なのが判る所為で恥ずかしさが増す。若干、若干だが首周りが暑い。
「うーん……でも、入間さんはやっぱり上手で凄いです。私の友達、軽自動車毎日乗り回してますけど駐車が上手くならないって嘆いてましたし」
「毎日乗っていて? 普段どうしてるんですか、その方」
「三、四回やり直したあとに『やっぱ頭から入れるわ!』ってよく言ってます」
「それは……また随分と……。道交法は大丈夫ですか?」
「ご心配なく! 運転は凄く上手な子なので大丈夫です。運転は」
 限りなく心配だが、免停になっていないのなら大丈夫なんだろう。今後とも銃兎たちの出番がないことを祈るまでだ。
 彼女の友人に不安を感じていると、先にパスタが到着した。銃兎の前にはラザニア風のパスタが、彼女はカルボナーラがそれぞれ置かれる。
「先食べませんか? 冷めちゃったら勿体ないですし!」
「そうですね。お先に頂きましょうか」
「はいっ。いただきますっ!」
 元気に手を合わせた姿を見習って、軽く手を合わせてみせると、彼女は照れくさそうに笑った。
 一般的なスパゲティより少し幅広の麺に、肉感の強いミートソースが絡み、上にはこんがりと焼かれたチーズが乗っている。不味いわけがない。フォークで巻いて食べられる分、本物より食べやすいような気がするし悪くない。相変わらず良い店を知っているなと感心していると、店員が再び現れた。
 件のピザを連れて。
 彼女が若干動揺しつつ受け取り、テーブルの上に置いた。
「……すごいですね、これ」
「乱暴ですね、大分……」 
 ピザそのものは大した大きさではない。二人で食べたらちょっと少ないくらいのサイズ感。問題はトッピングだ。写真の通り、というか寧ろそれよりもうずたかく積まれたフライドポテトがドドンと鎮座している光景は、明らかに異質だった。子供の夢か。
「……食べましょう! 冷めたら勿体ないですし。入間さん、ちょっとだけ先にポテト減らしませんか? これ、このままだと切れない気が」
「判りました。では、少し」
 まるで山崩しのごとく慎重に一本を引き出し、食べてみる。チーズのかかったポテトは外はカリカリに、中はほっくりと揚げられていた。塩加減が程良い。
「……美味しいですね。単体でも十分いけますよ」
「はい。でも、そしたらこれちょっと味濃くなりすぎちゃいません? ピザの味もありますし……」
「そうですよね……」
 シンプルなピザではあるが、ソースはきっちり塗られているように見える。ポテトが単体で食べられるのだから、合わさればどうなるかは推して知るべしだ。一抹の不安が過ぎるが、不安げな言葉と裏腹にわくわくが隠し切れていない彼女を見ていると、何とかなりそうな気がしてくるのだから不思議だ。
 一回りほどポテトの山が小さくなった頃合いで、銃兎はピザカッターを取った。
「お願いしていいんですか……!?」
「そんなに感激することですか?」
「しますよ! いっつも上手に切れなくて、友達とか家族とかから苦笑いされてるので……! ぜひお願いします!」
 がんばれ!と言わんばかりに両の拳を握られ、銃兎はそっと息を吐いた。何だか無駄に緊張してきた。やめろ、そんなきらきらした目で見守るな。
 内心どぎまぎしつつも、できるだけさっと刃を滑らせると、何とか綺麗めに両断できた。食べやすいようにもう二度ほど切ってから、何気ない風を装って道具を置く。
「お待たせしました」
「ありがとうございます! ばっちりですねっ!」
「ええ、よかったです」
 本当に。
 子供のようなご機嫌さでピザを取った彼女にならって、一枚手に取ってみる。ポテトがピザから落ちそうになり、慌てて生地を軽く折って谷を作った。減らしたとは言え、山は山だった。落とさないうちに口へ運ぶ。
「……! 不思議と合いますね……」
「! !」
「ふふっ、食べ終わってからでいいですよ。十分伝わっていますから」
「!」
 嬉しさを前面に放出しもぐもぐと口を動かしながら、彼女が何度も頷く。こんな明らかな『美味しい!』が伝わらないわけないだろう。
 薄く焼き上げられているピザにも、きちんと味はついている。それなのにくどさがない。案じたような濃さもない。密やかなアンチョビの風味も相まって、単体で食べた時とはまるで違う感覚だ。
「なんかすごい美味しくないですか!? 頼んでよかったです!」
「……、ふふっ。そうですね」
 笑顔を輝かせる彼女につられて、銃兎はそっと微笑んだ。乱暴極まりない、自分だけなら多分頼まないひと皿。でも食べてみれば案外美味しくて、悪くなくて。
「……今日、お声がけして良かったです」
「!」
 彼女は驚いたように瞠ってから、それから飛び切り嬉しそうに「私も、来て良かったです」と笑った。