肉屋のコロッケ


「にいちゃん、おれももつ!」
「ぼくも!」
「二郎も三郎もありがとな。……よし、じゃあこれ頼む」
「「うんっ!」」
 お使いの帰り、買った物の殆どをリュックサックに詰めてから、一郎は小さな袋を一つずつ渡した。任されたのが余程嬉しかったのか、瞳をきらきらさせながらぎゅっと袋を握っている。二人の空いている方の手を掬うと、両手は小さな手のひらでいっぱいになってしまった。
 商店街は夕飯時なのもあって、美味しそうな匂いに満ちている。くうくう鳴く腹の虫を宥めつつ、【家】に帰る道のりを二人に合わせて歩いた。
 突然、二人が足を止めた。
「どうした? 疲れたか?」
「ううん。……」
 即座に否定したものの、動き出さない。何に引かれているのかと視線を向け、ああと納得する。
 二人の目の先には、よく行く肉屋。そして、揚げたてのコロッケ。
「ははっ、晩メシ食えなくなっちまうぞ?」
「たべれるよ!」
「たべれる!」
「本当か?」
「ほんと!」
「ぜったいたべる!」
「そうか。……」
 一郎はさっと自分の財布を思い出す。稼いだ金の全てを【父さん】へ渡している一郎にとって、好きに使える金はないに等しい。コロッケ三つ買うことも、覚束ないくらいに。
 でも、二つなら買える。
「よし! なら、みんなには絶対内緒だ。判ったか?」
「「わかった!」」
「待ってろ、今買ってくるから」
 嬉しそうな弟たちの頭を撫でてから、一郎は店員らしい女性へ声をかけた。
 さっさと会計を済ませ、二人にコロッケを渡す。
「揚げたてだから熱いぞ、気をつけてな」
「うんっ!」
「いただきま……」
 ご機嫌にコロッケを頬張ろうとしていた二郎が、ぴたんと止まった。どうしたのかと顔を覗き込むと、心配そうな表情で見上げてきた。
「にいちゃんのは?」
「あれ、おにいちゃんは? たべないの?」
「あぁ……えっと」
 気づいてしまったか。なんて言い訳しようと考えつつ、口を開く。
「兄ちゃんは、」
「――あのっ」
 ふと、後ろから呼びかけられた。
 揃ってそちらを向くと、さっきの肉屋の店員がいた。彼女は二人の前へしゃがみ込み、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ごめん、お姉さんちょっと『うっかり』してて。お兄ちゃんの分、渡すの忘れちゃったの」
「は」
「えーっ!」
「おねえさん、うっかりさんだ!」
「そう、うっかりさんなの……。本当にごめんね」
「い、いやあの」
 忘れた訳がない、だって一郎は最初から二つしか頼んでいないのだから。遠慮すべきだと判っている、でも兄の分がないなんて考えてもいない二郎と三郎にどう説明すればいいのか。
「はい、これお兄ちゃんの分」
 迷っている間に、彼女がコロッケを差し出してきた。恐る恐る受け取ると、ふ、と微笑まれる。温かな眼差しだった。
「仲良く食べて、ね?」
「……ありがとう、ございます……っ」
「うん。それじゃ、今後ともご贔屓に〜」
 ちょっとだけ茶化すように付け足して、彼女は駆け戻っていった。
「にいちゃんっ」
「おにいちゃんっ」
 二人が見上げてくる。待たせちまってんな、と思いながら、一郎はにっと笑いかけた。
「……じゃあ食うか! いただきます!」
「「いただきます!」」
 揃って食べたコロッケは、今まで食べたものよりも美味しかった。



 池袋が【イケブクロ】になった頃、山田一郎の名を知らぬ者はいなくなった。
 ――但し、悪名として。
「おっ、美味そうな匂いすんな」
「メシ時だからな。ここ、結構惣菜が充実してんだよ。……俺らがいると邪魔になっちまうし、さっさと、」
「おいそこの! コロッケ二つ! ソースたっぷりな!」
「おい、空却!」
 空却は一郎へ特に断りもなく、コロッケを買い始めた。二つって、二つも食べるつもりなのか。いや、それより不味い。背中に冷たい汗が流れる、だって、ここは。
 ぱっと店員が顔を上げた。
「いらっしゃ、」
 目が、合う。
 ――気づけば、一郎は視線を逸らしていた。
「……先、出てる」
「あ? コロッケいらねーのか? ……一郎!」
 空却の呼ぶ声に応えることもなく、足早にその場を去った。
 商店街を抜ければ、道行く人々は一郎から視線を逸らす。これが現実で、現状。金の為に自ら選んだ道だ、納得している。判りきっている。
 でも。
「……油断した。こっち来ねぇようにしてたんだけどな……」
 彼女が『忘れ物』を届けてくれたあの日から暫くして、一郎の世界は一変した。つないでいたはずの手はからっぽで、気づけば独りだった。【相棒】のおかげで何とか荒み切らずにはいたが、それでもあの頃とは何もかもが違う。
 要は、彼女が今の一郎をどんな目で見るのか、知りたくなかった。
『仲良く食べて、ね?』
 優しかった瞳が、歪む様を見たくなかった。だから、逃げた。情けねぇ。ぐっと唇を噛む。
「――てんめぇ、どこまでほっつき歩いてんだ、よっ!」
「うぉっ!?」
 背中を足蹴にされ、前へつんのめる。反射的に口を開いてよかった、開いてなかったら多分噛みちぎってた。
「あっぶねぇな、何しやがんだ!」
「うっせぇ! 拙僧を置いていくからだろうが! 『相棒を置き去りにする奴は地獄行き』ってな!」
「どんだけ都合いい説法だよ……」
「さぁて、冷めねーうちに食うか!」
 がさがさと袋を漁り、空却はコロッケを差し出してきた。見覚えのある紙の小袋には、コロッケが。
「……なぁ、お前の分は?」
「あ? あるに決まってんだろ」
「空却、お前二つしか買ってねーよな?」
「おう」
「多くねぇか?」
 小袋には、コロッケが二つ入っていた。ソースをたっぷり被ったものが一つ、かかっていないのがひとつ。空却が二つ頼んだのは見たし、本人もそう言っているのに、これはどういうことか。
 ひと足先にコロッケをかじり始めていた空却は、ニィと唇の端を上げた。
「あのねーちゃん、『うっかり』したんだと」
「『うっかり』?」
「おう。『うっかり』触っちまった、こりゃ売りモンにならねーし、拙僧が良けりゃあ持ってけ、ってよ」
「……」
 何も言わない一郎に、空却はどことなく柔く呟いた。
「『仲良く食え』、っつってたぜ」
「…………」
「そういうわけだ、一郎も冷めねーうちに食えよ!」
 知ってか知らずか、空却はむしゃむしゃとコロッケを平らげていく。時折「あっちぃ」と零す様に、あの頃の弟たちが重なる。
「……いただき、ます」
 恐る恐るかじりついたコロッケは、少しだけしょっぱかった。



「……っし」
 小さく気合いを入れると、一郎は「すんません!」と声をかけた。若干裏返ったのが恥ずかしかったが、それ以上に結構な音量が出ていたようで、「はいっ!?」とがっつり裏返った声が返ってきた。
「いらっしゃ……、あっ、山田家兄……びっくりしたぁ」
「んなびっくりしなくてもいいんじゃねぇか? あと山田家兄じゃなくて『一郎』な」
「いやいやびっくりするって……、自分の声量考えてよ山田家兄……」
「めげねぇな……」
 今日は鶏もも肉が相当安そうなので、とりあえず2キロを包んでもらいながら、そっと店を眺める。
 日に焼けたポップ、茶色がかった壁、ピカピカのガラスケース。それから、彼女。あの頃から何一つ変わっていない。いや、視点が高くなった分小さくなったように思えるけれど。
 結局、あれからも店には行かなかった。
 色々ありすぎたのもそうだし、自信を持って会いに行けなかったのもある。なんて内心迷っている間に、いつの間にか二郎と三郎が常連になっていた。挙げ句「タピオカ飲みすぎて太ったっつってた」だとか「自転車をパンクさせられて凄く怒ってました」だとか、お前らそれどの流れで聞いたんだよと言いたくなるような情報を持ち帰る始末。段々悩んでいるのが馬鹿らしくなってきて、漸く重い腰を上げたのが少し前のことだった。
「相変わらず破格だなぁ、利益大丈夫か?」
「その辺は父親にお任せだから知らない」
「興味持ってやれよ、親父さん泣くぜ?」
「どうせ兄貴が継ぐんだからいいの。私はあくまで副業、バイトだから」
「それはそうかもしんねーけどよ、自分の仕事に興味持ってくれるって、結構嬉しいモンだからさ」
「まるで一児の父のような発言」
「結婚どころか恋愛もしてねーのに父親って……」
「恋愛してないはないでしょ、私の周りみんな萬屋さん推しなのに」
「……好きな奴に好きになってもらえねーなら意味ないっすよ」
 じ、と見つめてみたけれど、「だよね〜」と受け流されてしまった。今すぐどうこうなりたいわけではないしなれないけれど、この手強さは心強くもあり恐ろしくもある。
「……あ、あとコロッケ二つ。ソースかけてください」
「はーい、二つね」
 コロッケをケースから取り、ソースをかける。そのタイミングで「あっ!」と声を上げた。
「『うっかり』した。一つでよかったんだった」
「えっ!?」
「参ったなぁ。そうだ、みことさんに一個あげちまうか!」
「いやダメでしょ! 大丈夫、二つくらい食べれるって!」
「親父さん、バイトさん借りてっていっすか?」
「ん、どうぞ〜」
「お父さん『どうぞ』じゃない、『どうぞ』じゃない!」
「よっし! 店主からの許可も下りたし、行きますか!」
「え、えぇ……強引〜……」
 彼女はやや呆れ気味にエプロンを外すと、コロッケ二つを持って表に出てきた。にこにこ顔の店主に見送られつつ近くの広場に向かい、ベンチに腰を下ろす。
「いただきます」
「……いただきます」
 何とも言えない顔でコロッケをかじる彼女がおかしくて、つい笑ってしまった。「こんな強引な子だったっけなぁ、もっと遠慮がちだった気がするのに」と不服そうである。成長の証だと思って、納得していただく他ない。
 ここのコロッケは、ひき肉がかなり豊富に入っている。ゴロゴロしたじゃがいもとひき肉は食べ応えがあって、よそとは満足感が違う。それでいて衣はサクサクと軽く、一つまた一つと手を伸ばしてしまいたくなるような食感だ。油とパン粉にこだわっているらしく、揚げ物なのに重たく感じないのはその辺りから来ているようだ。
「ん、やっぱ美味いな」
「美味しいけどさぁ……、二郎か三郎にあげたらよかったじゃん。なんならもう一つくらいなら『うっかり』したのに……」
「『うっかり』って自発的にやるモンじゃねぇよ」
「言うようになっちゃって……。ほんと、大きくなってねぇ」
「大きくなったねって、そんな親御さんみたいなこと言うなよ」
「いやいや、私はもうおばさんに片足突っ込んでるから」
「みことさんと俺四つくらいしか違わねぇだろ……」
「四つ違ったら中学卒業できちゃうから……! 大きな差、大きな隔たりだよ」
「この前、喫茶店のお母さんが『まだ二十代のくせにおばさんとか言う奴はシメる』っつってたぞ」
「あの人血の気多すぎない!? 暫く行かないでおこ……」
「……大きな差って程じゃねぇよ」
「ん?」
 ぐしゃっと紙袋を丸め、ゴミ箱へ投げてみる。すこん、と音を立てて入ったのを確認してから、できるだけ何てことのないように笑った。
「小学生と中学生の四年はでけぇ差だけどさ、大人の四年なんて、大したことねぇだろ」
「……」
 言えない。たとえ、何となく判ってきていたとしても。何となく、感じ取れていたとしても、言えない。
 ――今は、まだ。
「俺とアンタの間に、隔たりなんてねぇ。俺はいつだって、みことさんの隣でコロッケ食ってるから」
「……あははっ。なら、私はずっとコロッケ売らなきゃなぁ」
 茶化すようなセリフに溶かされた何かを、そっと拾ってしまい込んだ。今はお互いに、これが限界だ。
「よし、フリースローいきます」
「みことさん、投擲能力ゼロじゃなかったか? この前も缶外してたよな?」
「過去の私と同じと思うなよ! いくぞ! …………あっ」
「ぐっ、っはは、あははははっ! 今っ、風で……! ふははははっ!」
「風はノーカン! もう今日はやらないけど!」
「ノーカンならもう一回やっとけよ……っ、くくくっ……!」
「やらないったらやらない! もう戻るよ、職場放棄ダメ絶対!」
「あっ、『うっかり』した。親父さんに何時に帰すっつってねーな」
「流石に無理があるよね!?」
「ってことで、もう少し付き合ってもらうぜ」
「ほんと、山田家兄は逞しくなったね色んな意味で……」
「やべ、一つ忘れてた」
「何?」
 見上げてくる瞳は、あの店と同じで何一つ変わっていない。相変わらず温かくて優しい眼差しを受けながら、一郎はむっとした顔を作った。
「山田家兄、じゃなくて、『一郎』な!」


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