嫉妬する趙天佑 引っ掛かる感覚だった。胸の奥で何かが引っ掛かって、そこからどんどん様々なものがこぼれ落ち、酷く研ぎ澄まされる。望まない研磨に抗う術も、それを上手く躱す術もなく、ただただ無粋なことを考えては彼女の顔を見る度に罪悪感に襲われた。
「なまえちゃんは楽しい?」
「そりゃあ、もちろん楽しいですよ。趙さんが誘ってくれたってのもありますけど、」
そう言って小さく笑う彼女は今日、自分との予定のために休みを取ってくれたそうだ。その事実に人並みに満たされる自分が何故か浅はかに思えた。自分が何かに囚われている時、相手は自分の為に何かをしてくれていた。それだけで充分、寧ろ充分過ぎるほどではないかと、内心自分に強く当たる。
普段見ないような服装に彼女の好みが垣間見え、きっと今日が来るのを楽しみにしていたのだろう。約束の時間に合流してから終始、笑みを絶やさない彼女に胸の靄が少しずつ取り払われていくような気分だった。見慣れた繁華街、通り慣れた大通りを二人で並んで歩いていく時間は、組織の総帥として過ごしていた時代にはなかった時間だ。春日の元に行ってからは、一般的な日常を送れるようになったものの、やはり『普通』は少し照れくさい。
「そうだ、観覧車行きません?」
「観覧車?俺はいいけど、」
「あと趙さんの行きたいところにも行きましょうよ」
「行きたいところねぇ」
「例えば、趙さんの行きつけのお店とか。お気に入りの場所とか、」
「行きつけならサバイバーだけど、春日くん達がいるから今日はやめとこうか」
そうですね。今日は二人で、ですもんね。そ、春日くんすぐなまえちゃんにちょっかい出すから。あ、趙さんやきもちですか?ま、そーゆーことにしとこっか。と彼女との会話が弾む度、胸の引っ掛かりはその存在を消していた。自分もまた幼稚なところがあったのかもしれない。無理もない、『普通』というものにやっと接することが出来るようになったのだから。
それから二人は当てもなく、いや、行く当てはその道、その道で見つけていた。目的地をあまり決めず、寄り道のようにふらっと立ち寄っては気まぐれにその場を後にする。カフェで軽食をとったかと思えば、自然の多い公園を散歩がてらに歩き、露店に立ち寄れば、そこから食べ歩きが始まる。映画やダーツ、巷で流行りのゴーカート。伊勢佐木異人町には様々なレジャーが揃っている。大通りから外れた細い路地にある小さなゲームセンターだって立派なデートスポットだ。プリクラにハートのスタンプをデコレーションしてしまえば、あっという間に手のひらサイズの思い出が出来上がる。
「こういうのって凄いんだね。ほら、男の俺でもこんなにぱっちりおめめ」
「私も全然撮ってなかったんですけど、こんなに変わってたんですね。知らなかった」
「でも、多分古い機種だと思うけど」
「えー!こんなに美白で美肌でデカ目なのに?」
「俺にはよく分からないけど、あそこのゲーセンって結構前からある所だし」
手元に残したままの思い出をそれぞれがしまい終えたタイミングで不都合がやって来た。誰も予想しなかったそれに彼女は手を引かれ、不意に立ち止まる。路地の真ん中に男が一人。見たところ、悪い印象のない好青年といった風貌だ。先に声を掛けたのは、相手の男だった。それは勿論、隣の彼女宛に。
正直に言えば、まるで水を差されたようで完全に白けていた。しかし、それを彼女は知る由もない。相手の男もなまえにしか目がいっていないのだから、妬ける。なまえがこちらを気遣って時折視線を向けているのに、男はやたら親しげに話を持ちかけるのだ。彼女を助ける、と言うよりかはもっとシンプルに自分の為だった。
「お兄さん。楽しそうなところ悪いんだけど、今はなまえちゃんと俺の時間だから、また今度にしてくれない?」
まさか声をかけられるとは思っていなかったのだろう。え、ええ、そうですね。とたじろぐ男に彼女はほっとしている。悪いことをしたとは思うが、二人きりのところを割り込んで来た方にも問題がある。それじゃ、また今度。と軽く手を振ってやれば、ぎこちない笑顔で彼女に別れの挨拶を済ませ、すぐさま立ち去って行った。男の後ろ姿の見えなくなった路地で、ただ一人猛省している男がいた。彼女の顔が見れそうにない。もっとスマートな方法や言い方があっただろうに、尖ったままのそれをそのまま相手にぶつける必要があったのか、と。相手は彼女の知り合いだと言うのに。
「……ごめん、なまえちゃん」
「え、どうして趙さんが謝るんですか。しかも、すごい突然に」
「なんていうか、さっきの俺それなりに大人げないというか、みっともないというか」
そんなことないです!と懸命に取り繕ってくれる様が余計に落ち込む。彼女に気を遣わせてまで自分は何をしたかったのだろうと。連日の自分は子供じみた嫉妬に狂わされている。
「謝るんだったら、私もです。趙さんと一緒にいるのに、相手に切り出せなかったですし」
彼女の言葉以上に何も言えなかった。なまえがそう言うとは想像もしていなかったからだ。きっとあの男はなまえに気がある男で、今の自分と同じく彼女の特別でありたかったはずだ。しかし、彼女の傍にいるのは自分で、特別であるかのように錯覚させる。勘違い、してしまいそうな自分を愚かだと思った。昔から人より何かをこなすのが上手かった。けれど、人の心だけはそうはいかない。だからこそ、特別に勘違いしてしまいそうだった。
「それに、その、趙さんにああいう風に言われると、やきもちやいてくれてるのかなって」
ごめんなさい。変なこと言っちゃって。
彼女は恥ずかしそうに顔の前で手をぱたぱたと動かしている。あの頬は今とても熱いのだろう。あの目は今とてもこちらを見られるような状態ではないのだろう。あの姿はどうしてこうも目が離せないのだろう。
「なまえちゃん、俺さ」
「はい」
「妬いてたよ。あのカレシにさ、なまえちゃん取られそうになって」
「悪い人じゃないんですけどね、」
「だろうね。でも、俺は悪い人だから、このままあのカレシになまえちゃんをあげたくないんだよね」
すらすらと胸の内を明かしていた。なまえと親しそうにしていたあの男のことも、本当は嫉妬の炎に焼き焦げていることも。すると、なまえは、趙さんもやきもちやいてくれるんですね。と困ったように笑い、その後嬉しそうに小さく笑った。
「今、話してて思ったんだけど、これじゃあ俺子供っぽくない?」
「そうですね、なんかそんな気がします。ふふ、かわいい」
「それ、男に言っちゃう〜?」
「じゃあ、何がいいですか?」
「そりゃあ、カッコイイでしょ」
趙さん、カッコイイですよ。そんな笑顔で言われてもねぇ。だって、趙さん。へへ。あ、この話、春日くんとかに言わないでね。はい、これは秘密にしておきます。ありがと。どういたしまして。
どう?こういう、雰囲気が出るようなこととか。と彼女の前に手を出せば、彼女は照れくさそうに笑い、そして、お願いします。とその手を重ねた。何度かやんわりと握り締めては軽く離し、俺の指輪痛くない?と問えば、こくりと頷く彼女の仕草が不意に愛おしくなる。そして、彼女がこの指輪について問いかけてくるものだから、初めてその意味を打ち明けようと思った。秘密を重ねた分だけ何かが強く結びついていくような感覚を共にしながら、二人はその路地を後にした。
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