趙天佑とほのぼのなお話



「なまえちゃん」

 呼ばれて振り返った先にあったのは、我が家の同居人であるサメの大きなぬいぐるみを抱えた、幼なじみである趙天佑だった。彼はそれなりに大きなサメのヒレを持ち、まるで両腕を広げているかのようにして何かを待っている。これはリアクションである。彼が求めているのは、名を呼ばれた後のリアクションだ。人によっては何をしているのかと訊ねたり、恥ずかしがって傍に寄らずだったり、思い切り飛び込んでいったり、と反応は様々だ。なまえはどちらかと言うと、そのような行動を取られた場合、好意的に感じる人間である。
 ゆるやかに上がっていく口角を止められない。笑みをこぼしたまま、なまえはそのサメの目の前に立ち、両腕を広げてぎゅっと抱き締めた。サメのぬいぐるみ、サメのぬいぐるみを持っている趙ごと、ぎゅっと抱き締めてやる。すると、今度は頭上に大きな手が降ってくる。

「どうしたの、なまえちゃん」
「どうしたのって、そんな嬉しそうな顔で聞かなくても」
「あ、ばれた?」
「小さい頃からの付き合いだから、すぐ分かるよ」
「なまえちゃんのそういう所が良くないと思うけど」
「え?それってどういうこと」

 それは俺も付き合いが長いから分かることなの。と曖昧にはぐらかされ、次の瞬間には大きな手で頭を撫でられた。彼はいつも昔からそうだった。自分よりうんと背の低い頭に気軽に触れては何の気なしに撫でるのだ。

「そう言えば、このサメ結構丁重におもてなしされてたけど、どーゆー関係?」
「えっとね、結構前に行ったお店でサメのぬいぐるみがインテリアコーナーに置いてあって」

 サメとの同居の経緯を話せば、趙はどこか拗ねたように唇を尖らせて、自分達に挟まれているサメのぬいぐるみを見た。このぬいぐるみは店のインテリアコーナーに置かれていたもので、まるで座っているかのようにテーブルを囲んでいたり、かわいいナイトキャップを被ってパジャマ姿でベッドに横たわる姿に購入を決意した。そして購入後は自宅でも同様にソファーに座らせてみたり、帽子やサングラス、マフラーに手袋をつけてみたりと日によってその装いは変わる。

「久しぶりに遊びに来てみたら、俺より大切にされてたからさ」
「だって、まさか趙くんが遊びに来るなんて思ってなかったから」
「まあ、最近までは組織の頭やってたしね」
「今じゃただの一般人なんて言うんだもん。本当かなって」
「うん、ほんと」

 なまえも初めは趙の話を信じられずにいた。趙とは幼少期からの付き合いで、俗に言う『幼なじみ』という関係なのだが、彼の家柄が二人を遠ざけて来た。趙となまえに互いに通じる気持ちがあれど、組織の後継者である趙と一般人であるなまえを親しい関係にしてはならないと考える者が多かった。組織の未来の為、危険より遠く離れた安全な未来の為と周りの人間たちは二人にそう言い聞かせていた。だが、周りの大人が考えるような未来は訪れなかった。誰かに定められた道を素直に歩いて行けるほど、未来もよく出来た存在じゃないのかもしれない。実際に趙は横浜流氓の総帥の座を降り、こうしてなまえに会いに来るようになったのだから。


「事件のことはたまにニュースとかで見てたけど」
「まあ、今思うとあれで良かったんだろうね。その時は色々大変だったんだけどさ」
「でも、またこうやって気軽におしゃべり出来るの、嬉しい」
「……なまえちゃん、おしゃべり大好きだったもんね。昔から」
「うん、いっつも趙くんに話しかけたかったもん」
「ほんとにさ、俺たちの青春返せって感じだよねぇ」

 そう口にするものの、思うように行かなかった過去を悔やむ気はないのだろう。青春は十代の間でしか体験出来ない訳ではないし、今からでも充分にやり直すことが出来るはずだ。それはなまえも趙も考えていたようで、やはり自分たちは幼なじみなのだと実感した。

「しっかし、このサメにはジェラシー感じちゃうなあ」
「え〜?趙くんってそんなこと言うタイプだったっけ」
「俺の知らぬ間になまえちゃんとよろしくやってたわけでしょ?そりゃあ、ねぇ」

 この、この、と抱き抱えていたサメを顎でぐりぐり圧迫している様に、いじめないでよ。とサメを取り上げれば、趙は眉を下げてこちらをじっと見つめている。まるで何かに訴えてくるような眼差しに、なまえは再び趙にサメを渡す。今まで楽しい夜も寂しい夜も一緒にいてくれたのだ、粗末に扱って欲しくはない。
 趙はなまえの頑なな態度に観念したのか、そっとサメを抱き上げ、ごめんね。と口にした。どうして、たかがぬいぐるみにここまで入れ込むのか。どこか似ているのだ、趙とサメのぬいぐるみが。傍から見たら何の変哲もないぬいぐるみなのだが、なまえにしてみれば何故か重なる面影がある。今となっては趙本人と過ごすことも可能にはなった。しかし、だからと言って家族の一員である彼を粗末には出来ない。

「俺よりなまえちゃんと仲良しっていいなあ」
「そんな子供みたいなこと言わないの」
「じゃあ、次の休みは俺に付き合ってくれる?」
「いいけど、」
「決まり。もし約束破ったら、俺もこのサメみたいにおもてなししてね」
「もしかして、サメのぬいぐるみに対抗心燃やしてる……?」

 さあ、どうでしょ。と飄々に振る舞う趙の本心が見えなかったが、次の休みを部屋にあるカレンダーで探してしまうほどにはこの約束は大切なものだった。次の休みは一週間後の今日で、趙の企みもなまえの期待も誰も分かりはしなかった。ただ、もう青春は待ってはくれないし、あのサメにもいつかは素敵なパートナーが現れるのだろう。そして、なまえと趙は二人並んで笑い合うのだ。まだ知らなかった幼なじみの新しい一面に胸を高鳴らせながら。



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