常日頃から誰かに話したいことはたくさんある。テレビで紹介されていた観光スポットから仕事のちょっとした愚痴まで、言いたいことは山のようにある。そう言ったものは気の合う友人に話すべきことなのかもしれないが、自分の友人よりも良い話相手になってくれる人がいる。自分ばかり話し過ぎていないか、不安になったことがあるくらい、その人は自分の話を親身に聞いてくれるのだ。
「だから、ちょっと憂鬱なんです。明日のお仕事……」
「そりゃあ、確かに嫌になっちまうな」
「そうなんですよ……」
「まあ、でもなまえちゃんなら大丈夫だろ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、なまえちゃんの頑張りを俺は知ってるからな」
大したことないやり取りの中でもささやかに優しさを詰め込んでくれる。今ではすっかり海藤の優しさに弱くなってしまった。聞き上手でいてくれる上に優しくいてくれることのありがたさを噛み締める。
「へへ。海藤さんがそう言ってくれるなら、明日は大丈夫そうです」
「そうか?んじゃ、もうちょっとサービスしとくか!」
暖かくて大きな手が頭に触れ、何度も優しく撫でられる。自分のよりずっと大きくて、分厚い手だ。なまえは海藤に頭を撫でられるのが好きだった。愚痴を零せば労ってくれ、気になる場所や食べ物があると言えば、時間のある時に一緒に付き合ってくれる。そんな相手が傍にいたなら、誰だって心を許してしまうことだろう。海藤はなまえにとってそう言った存在だった。
「ありがとうございます」
「俺もカタギになってみて分かった苦労があるからよ。なまえちゃんの愚痴聞いてると他人事には思えなくてな」
「海藤さんも我慢出来なくなったら、私に話してくださいね。なんでも聞きますから」
「お、そりゃあ頼もしいねえ」
心底、嬉しそうに歯を見せて笑っているのに、頭に乗せられた手は変わらず優しいままで労ってくれている。器用な人だと思った。時々、不器用さが垣間見えたり、天然っぽさを含んだ言動や行動をすることを知っているのに。なまえはこの手から抜け出せない人間に変わっていた。もう何度こうして話を聞いてもらい、労ってもらったことか。
「えっと、長居しちゃったので、そろそろ帰りますね」
「もうそんな時間か。ったく、時間が過ぎるのは早えなあ」
「本当ですね」
ちらりと視界の端に映った時計に別れを促され、大きな手の中から抜け出ていく。名残惜しい気持ちをあまり見せないように振る舞いながら、なまえは帰り支度にとりかかる。
「また何かあったら遠慮せずに来いよ」
「はい。あ、今日持ってきたお菓子食べてくださいね、八神さんと一緒に」
「おう。ター坊にもよろしく言っとくわ」
「お願いします。それじゃあ」
「またな」
海藤の見送りも程々になまえは八神探偵事務所を後にする。とても居心地のいい場所だ。本音はお菓子だけでなく、何か仕事の一つでも持って行けたら良いと思っているが、中々見つけられない。楽しい余韻を連れて一人きりのフロアを歩いていると、階段を二度降りたところで、探偵事務所の主である八神の姿が見えた。足を止め、互いに挨拶を交わすと、また自然と会話が生まれる。
「あ、来てたんだ」
「はい、お邪魔してました。事務所にお菓子置いてありますから、食べてください」
「悪いね、いつも」
「いいえ、私の方こそ話し相手にばかりなってもらっちゃって」
「海藤さんのこと?だったら、気にしないで」
八神の言い分に首を傾げていると、なまえちゃんの話は結構好きで聞いてるんだと思うよ。と意外な言葉が返ってきてむせ返ってしまった。その様子に八神も驚きを隠せず、大丈夫?と心配までさせてしまった。
「でも、お仕事の邪魔じゃないですか……?」
「海藤さん、そう言ってた?」
急いで首を横に振る。一度もそのようなことを言われたことはない。邪険にすら扱われたこともない。寧ろ、顔が見れて良かったとさえ言われるくらいだ。
「それに仕事が入ったら、いつも連絡行くでしょ?」
こくりと頷く。海藤は依頼を受けたり、仕事が立て込んだりすると必ず連絡をしてくれる。そのおかげで彼の仕事の邪魔になることはない。
「そんだけ大切にされてたら、俺はなまえちゃんが邪魔だなんて思わないけど」
「そう、でしょうか」
「そ。だから、いつでも気軽に顔出して」
ほら、ウチって相談無料だから。と笑いかける八神につられて破顔する。どうしてこうも、ここの人は優しい人達ばかりなのだろう。初めは控えめに笑っていたものの、二人で笑っている内に自然と頬が上がっていた。そして今度こそ、別れの挨拶を告げ、なまえは神室町の喧騒へと帰って行った。
***
八神探偵事務所の扉が開く。外から戻って来た八神の姿を見た海藤は、さっきなまえちゃんが来てたぜ。と話す。八神も、うん。さっきそこで会った。と手短に返すと、すぐに海藤の異変に気付いた。いつにも増して機嫌が良いのだ。これはなまえが事務所を訪れた日の海藤に起こる現象だった。彼女と話が出来て嬉しいのだろう。彼女が話していた海藤自身の態度を聞けば、すぐにわかる。
「海藤さん、やっぱり機嫌いいね」
「んなこたねえよ」
「なまえちゃんとおしゃべりするの、好きだもんね」
「馬鹿野郎、変な言い方するんじゃねえ」
「満更でもない顔してるくせに」
八神は先程のなまえが言っていた土産に早速手をつけようと、事務所内の冷蔵庫に手をかけた。中には美味しそうなプリンが五つ入っており、恐らく一つは既に海藤が食べたのだろうと想像に容易い。
「で、今日も話聞いてあげたんだ?」
「そりゃあ、なまえちゃんが困ってるようだったからな。明日の仕事が憂鬱だって」
「でも、海藤さん。俺の話聞く時より親身に聞いてるじゃん」
「一生懸命に話してくれる姿を見てるとよ、聞いてやらなきゃなって思うんだよ」
「やっぱりなまえちゃんに優しいよね、海藤さん」
そんなことねえって。いいや、ある。ねえって。だって、街歩いてても他の子のことはあしらうのに、なまえちゃんには時間作ってるし。まさか、なまえちゃんにそんな話してねぇだろうな!いや、したけど……。
八神の最後の一言で事務所内の空気がガラリと変わり出す。やはり図星だったのだ。海藤がなまえのことを大切に思っているのは。
「べ、別に俺はあの子とそうなりたいってわけじゃ……」
「じゃあ、ただの暇つぶし?」
「いや、そんなんじゃねえ。ただ、俺ん所に来てくれるのが嬉しいだけだよ」
だから、それを『好き』って言うんじゃないの?と言葉に出来ぬまま、八神はようやくプリンを口に運ぶ。この人、時々こういうことするよなぁ。と内心、ため息をつく。海藤本人が自覚していないとなると、二人の恋路は案外険しいものになりそうだ。
「それに今はカタギとは言え、元はヤクザなんだ。あの子の迷惑になることだけはあっちゃいけねえ。そうだろ、ター坊」
「まあね」
「なんつうか、難しいもんだよなぁ。あとは相手の気持ちっつうもんもあるからなぁ」
「え、」
「え、ってなんだよ」
海藤さんを前にすると、あんなに可愛らしい反応をするあの子を近くで見てて、そんなこと考えてんの?と本音が口からこぼれる。ああ?どういう意味だよ、ター坊。と更に海藤の何かに火がついてしまい、これは本当に一筋縄じゃいかない根深い問題なのかもしれないと悟った。
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