シャルルに駆け込んで来たのは、この店のオーナーである東だった。寒い寒いと腕を擦りながら、東は唯一の客であるなまえの隣に腰掛けた。隣に並んで仲良くゲームで遊ぶつもりは無い。東は雪を口実に、彼女のことをほんの少しだけ突っついてやりたかったのだ。
「よぉ、雪降ってんぜ」
「え、今ですか……!」
「おう。降り始めってとこだろうな」
「だから、やけに冷えるんだ」
「そんな薄着で、風邪引くんじゃねぇぞ」
「あの、東さん。実は、……寒いです」
ああ?だから、ちゃんと厚着して来いって言ってんだろ。……待っとけ。と東は気まずそうな笑顔を見せるなまえに悪態をつきながらも、階段近くの自販機に出向くと、缶コーヒーを一つ、ミルクティーを一つ持って帰ってきた。今にも凍えそうななまえの膝に置いてやり、自分も手にした缶コーヒーを開けて一口含む。自販機の中で熱せられていたおかげで、手のひらが火傷しそうに熱い。彼女はボトルのキャップを外すと、大して冷めないだろうにふーふーと息を吹きかけている。
「あったかい。東さん、ありがとうございます」
「礼はいい。あと、もっと顔引き締めとけ。俺ぁ、そのふにゃふにゃした笑顔を見てると、なんか調子狂うんだよ」
「でも、あったかくて、へへ」
「まあ、確かにあったけぇよな」
二口目をちびりと飲んだ東に、なまえも遅れて二口目を口にする。温かな飲み物が喉を伝って冷えた体に流れ込んでいく、じんわりとした感覚はこの季節特有のものだ。温もりは手や口、体内から隅々まで行き渡ろうとしている。しかし、沈黙に凍えてしまいたくなかったなまえは東に喋りかけた。
どれくらい降ってましたか?まだチラホラって程度だ。でも、長引くとなると厄介なことになるぜ。そうですか。ったく、雪降ってる中、ちゃんと帰れんのか?うーん、どうでしょう……?言っておくが、ここには泊めねえからな。えっ。
「ここは人を泊める場所じゃねぇんだよ。遊びに来る場所だ」
「わ、わたし、最悪帰れなくなったら東さんにお願いしようと思ってたのに」
「馬鹿、店になんか泊められるかよ。せめて俺んとこだろうが」
「東さん、泊めてくれるんですか?……カプセルホテルとかじゃなくて?」
「……い、いや!他にも同じ考えのヤツが出てくるに決まってる……!そしたら、お前だってホテルに泊まれるか怪しいじゃねぇか」
確かにこの雪で公共交通機関がストップしてしまえば、次はタクシーに人が流れ込み、帰る目処がつかない帰宅困難者はホテルに群がるだろう。東はあからさまに慌てているようだが、その言葉には説得力があった。最悪の事態を想定しても東がいてくれるおかげで、どうにかなりそうだと分かったなまえはおもむろに席を立ち、まだ中身の残ったペットボトルを上着のポケットに突っ込んだ。
「どこ行くんだよ」
「外の様子を見たくて」
「好きにしろ。俺は店ん中で待ってる」
「それじゃあ、行ってきますね」
タタタ……と小走りで駆けて行くなまえの後ろ姿を見送ってはいたが、濡れたタイルや階段は足を滑らせやすい上に、もし転倒したら洒落にならないような怪我をするかもしれない。それに加えてその他諸々、次から次へと心配事が湧き上がってくる。なまえももう子供ではないとは言え、やはりまだ心配の方が強い。深いため息を店内に残し、残りのコーヒーを飲み干してから東も彼女の後を追った。それに、雪に見とれて風邪を引かれても困るのだ。
店の外も中も大して変わらない寒さに肌を撫でられながら、ビルの入口で辺りを見渡している後ろ姿を見つけ、同じようにその隣に並んだ。なまえはぽつりと呟いた。寒いですね、と。吐く息が白く外の景色に溶けていく。雪が降るんなら、こんだけ寒くてもおかしくねぇよな。とぽつりと返事を返す。見上げた空は分厚い雲に覆われ、センチメンタルな顔をしている。おまけに淡々と雪をこぼしているのだから、二人にもそのセンチメンタルが流れ込んで来そうだった。
「今頃、海藤さんはしゃいでそうですよね」
「兄貴はこういうの好きだからなぁ」
「明日にでも八神さんのところ行こうかな」
「行く必要ねぇよ。電話一本で済む」
行く必要がない。しかも、電話一本で済む話だろう。東の言葉にそれ以上を探り当ててしまいそうで、なまえは考えるのを止める。東と八神の関係性を知らない訳ではない。寧ろ、あの関係は誰がどう見ても気軽に友人とは呼べないものだ。だが、なまえはそれでも東が優しいことを熟知しているし、ああだこうだと言いながら手を差し伸べてくれる人間だとも知っている。極道でありながら、まるで気の良い兄のような存在だ。それは元極道となった今でも変わっていない。
「東さん」
なまえの呼びかけに素直に応じると、視界がホワイトアウトしていった。何が起きた、何をされたと考えている間に、耳にはなまえの笑い声が聞こえてくる。してやられた、つまり、これは。
「みょうじ、お前……!」
「ふふ、ごめんなさい。まさか綺麗に当たるとは思ってなくて……」
すかさず近くの綺麗な雪をかき集め、雪玉をこしらえると間髪入れずになまえの顔を目がけて放り投げた。笑って油断していたなまえに綺麗に雪玉が吸い込まれ、やがて顔が雪にまみれる。してやったり、東は口元を不意に緩ませて小さく吹き出している。
「フッ、どうだ」
「どうだ、じゃないですよ!」
「みょうじが俺に勝とうなんて百年早えんだよ」
「そんなことないです!見ててください!」
大の大人が二人して降り積もった雪を両手にかき集めて、雪玉をせっせせっせと作っている。頭や肩に積もる雪のことはお構いなく、店先でその手に持った雪玉を飛ばし合っている。真っ白な雪玉が上下左右に行ったり来たりを繰り返し、ぼろっと崩れ落ちた。頭、肩、胴体、ほっぺにサングラス。時には上手いこと避けてみたり、二人だけの雪合戦は中々決着がつかない。
だが、周囲の目すら気にならなかった雪合戦は開戦して数分後、二つの体が異常な程の冷えを覚えた辺りで幕を閉じる。
「もう、やめませんか……。しんどいです……」
「……俺ぁ、もう指先の感覚がねぇ」
「うう、お風呂に入りたいです……」
「俺も結構、本気でそう思ってる」
鼻の頭を赤くした東は悴んだ手でなまえの腕を掴むと、ビルの通路入口に連れ込み、自分やなまえの頭や肩、背中についた雪を手で払っていた。少しずつ取り除かれる雪、互いに触れる手の冷たさにぶるりと背筋が凍る。すっかり体の芯まで凍えた二人はしくしくと店内に戻って行く。予想以上の外の寒さに打ちのめされた二人の口は重い。
「東さんが大人げないから……」
「お前が先にやってきたんだろうが……」
「さむいです、凍え死んじゃいます」
「店の奥行くぞ。確か、もしもの時の為に毛布が何枚かあったはずだ」
「……二枚ください」
「一人一枚だ、俺にも寄越せっての」
「じゃあ、一緒に……」
「あのなぁ、雪山で遭難してんじゃねぇんだぞ」
赤い鼻を二つ並べて店内に戻れば、店番をしていた彼が気を利かせてすぐに毛布を持って来てくれた。二人して何やってんすか、と呆れたような表情が凍える胸にサクッと突き刺さる。そんなんで風邪なんか引かないでくださいよ。ともうひとつ突き刺され、東となまえは肩身が狭そうにバックルームで毛布に包まり、暖を取るのだった。ポケットに突っ込んだままのミルクティーを思い出して、試しに傾けてみたが既に熱は冷め切っていた。
「東さんのお家に行きませんか」
「なんでだよ」
「お風呂貸してください」
「今からか?」
「で、出来れば……」
「俺も入っかなあ……、風呂」
あと、あったかいご飯食べましょうよ。今から電話入れりゃあ、帰りに寄って持って帰れるな。私、焼肉弁当が良いです!じゃあ、俺は……って泊まる前提で話進めんな……!
散々悪態をついていたが、コンビニに寄ってやっから必要なもん買っとけよ。と最終的に一泊を許してくれる辺り、東と言う男の底知れぬ優しさが身に染みるなまえだった。
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