なまえを騒めく外へと誘い出したのは、どこからか聞こえて来た祭囃子と街のどこかで見た神社で行われる夏祭りのポスターだった。髪も一つにまとめ、この季節にしか着れない浴衣を着て、なまえは家を飛び出た。道行く人々も誰もが甚平、浴衣を着込み、まるで一昔前の光景のように夏祭りに浮かれる道へなまえも身を任せる。
道を飾り立てるのは数多くの提灯の灯りで、夏祭り会場である神社に近付けば近付く程、身近に感じるお祭りの雰囲気に浮き立つ。盛り上がる雰囲気に騒ぎ出す気持ちがある、既に夏祭り気分一色に染まったなまえは涼しく吹く風に浴衣を靡かせ、屋台の並ぶ通りへ続く階段を昇っていく。
昇り終えた階段の向こうには、ずらりと並ぶ屋台、そしてその照明に照らし出された石畳が続いていた。醤油の香ばしい焼きとうもろこしにふわふわに膨らんだ綿菓子、水中を悠々と泳ぐ赤と黒の金魚の群れ、キャラクターもののお面の列は最近の流行りを取り揃え、ひんやりとしたかき氷の雪がカップの中に山を築く。下駄を鳴らしながら、どの屋台に寄ろうかと魅力的なその景色を眺めていると、不意に人波の中で見知った人物の姿を見つけた。声を掛けようかどうか迷っていると、悩む姿を見つけられ、先に声を掛けられた。彼はよく気が付く人物なのだと知る。
「あれ、奇遇じゃない。どうしたの、一人で。」
人混みを上手く躱して彼の方から歩み寄る、彼の両手はお祭りの楽しみだらけで塞がっていた。
「雰囲気につられて、予定を立てずに来ちゃいました。秋山さんは?」
「俺もそんなところかな。まだ花火が打ち上がるまでに時間があるから、一人で屋台巡りしようと思って。」
欲張りに見える彼、秋山の両手に笑みが零れる。そんなにたくさん買い込んで、まるで子供のようだと思うと、余計に笑いが堪え切れない。それに気付いた秋山は照れ臭そうに笑い返す。
「ああ。いや、折角のお祭りだから、めいっぱい楽しもうと思ってね。そしたら、こんなに手元が賑やかになっちゃって。」
だから、どうだろう?ここは一つ俺に手を貸してくれないかな?とウサギに似たマスコットキャラのお面を斜めに付けた秋山が尋ねる。折角の夏祭りの、折角のお誘いを断る理由なんてなく、一度頷けば、良かった、と安堵した様子をありのままに見せてくれる秋山の手からたこ焼きの舟を預かった。
「本当にいっぱい買ったんですね。まだ手にりんご飴とチョコバナナがあるのに。」
「そういうなまえちゃんは、まだどこにも寄ってないの?」
「ついさっき、ここに来たんです。だから、まだ何も。」
「じゃあ、なまえちゃんの手も借りてる事だし、案内くらいはしてあげないとね。」
「お願いしてもいいですか?」
「勿論。さ、行こうか。」
なまえを見つめながらゆっくりと歩き出した秋山の後を追う。歩幅の違いもある、見慣れない赤い浴衣の背中を見て歩けば、不意に先を歩いていた秋山が足を止める。どうかしました?と隣に立って声を掛ければ、ごめん。ちょっと浮かれてた。と秋山の空いた手に自分の同じそれが攫われた。
「折角一緒に回るんだから、はぐれないように。」
攫ったなまえの手が自分の手の中にある事を確認した秋山は、よし、気を取り直して行こうか。と再び、そして今度はなまえと同じペースで歩き出した。
なまえはまず秋山の付けているお面に興味があった。ウサギのキャラクターのお面が可愛いと口にすれば、たくさんお面が並ぶ屋台へ連れられ、秋山が我先にと屋台の男に二百円を渡していた。そして男からお面を受け取ると、未だ六個並んだたこ焼き舟を持ったなまえの頭に被せた。自分とは反対の向きで、綺麗に束ねた髪を乱さないよう、丁寧に努めて、ようやく秋山の手が離れていく。
どこか満足そうに見える秋山になまえはたこ焼きを一つ爪楊枝で刺すと、どうぞ、と差し出した。最初は、ぽかんとしていたが、なまえの好意を察すると身を屈めて自らたこ焼きを口にする。たこ焼きのなくなった爪楊枝を舟に戻し、秋山を見上げれば、もう一つ欲しいと言われ、急いで次の一口を差し出す。
「どうしてお祭りのたこ焼きって、こうも美味しいんだろうね。」
「屋台の食べ物ってどれも美味しく感じますよね。」
「だったら、なまえちゃんも何か食べよう。食べたいものある?」
「えっと、じゃあ、…から揚げが食べたいです、」
「いいねぇ。確か、向こうに屋台があった筈だ。」
再び手は重なり、優しく繋がれる。次はなまえが食べたいと言ったから揚げの屋台へ。その間にも焼きそばや今川焼き、くじ引きに輪投げ、射的と目を引く出し物はたくさんあった。なまえの目線が様々な屋台に行ったり来たりしているのを見た秋山は密かに微笑み、その微笑みに気付いたなまえは首を傾げている。その後、無事にから揚げを買ったなまえは秋山と二人で分け合いながら、から揚げを食べ終え、次はあの屋台、その次はあの屋台と歩き出す足を止められなかった。
意外と棒に入らない輪投げに悪戦苦闘しつつ、気を利かせた屋台の人の計らいで普通より一回りくらい大きい綿あめを貰い、上手いこと景品に弾を当てる秋山の射的の腕に驚き、今川焼きはクリームだ、いや、あんこだと主張を変えずに二つ買ってはお互いに半分に分けて二つの味を楽しむ。途中でがっつり何か食べたいと言い出したのは秋山で、なまえは焼きそば、焼きとうもろこしに二度目のから揚げを買い、自分もちゃっかり焼きとうもろこしを齧る。
それから少し食休みを挟んで、散歩がてらに他のところを回っていた。満腹感のある腹部に飲食を控えようと思うのだが、隣で美味しそうに食べ物を頬張る秋山を見ていると、何故だか不思議と自分もチョコバナナだったり、冷やしパイナップルだったりとついつい手を伸ばしてしまう。
「秋山さんは毎年お祭りに来てるんですか?」
「毎年じゃないけど、確か…去年も来てたよ。」
「私も去年は友達と一緒に来てました。もしかしたら、どこかですれ違ってたかもしれませんね。」
「それで今年は友達と来ようと思わなかったの?」
「ふふ、今日はたまたま突然行きたくなって、それで一人なんです。でも、今年は秋山さんと一緒に回れて大満足です。」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。まあ、でも、一人よりかは二人の方がいいってことはよく分かったよ。」
ここでなまえは急に、祭りに来てから当たり前のように繋いでいた手を思い出す。秋山が不意に手を握り締めたからだ。すっかり忘れていた、これは多過ぎる人混みにはぐれないように繋いだ手だと言うことを。この手を離さなくてもいい理由が見つからなくて、緩やかに指先から解いていく。秋山がそれに気付いたのかどうかは分からないが、もう一度なまえの手を強く握り締め、あっちに行こう。と歩き出した。一瞬だけ名残惜しそうに眉根を下げていたのは、都合が良すぎる見間違いだろうか。
未だ祭りの雰囲気に賑わう屋台の通りが遠くに感じられる。秋山に手を引かれて人の波に逆らっていると、このまま祭りの喧騒に紛れてどこかへ行ってしまいたいと思うようになった。
「あっちには何があるんです…?」
「本当はさ、ただ適当に歩いてるだけなんだよね。行く宛なしってのが本当のところなんだけど。」
「もう、屋台巡りはいいんですか、」
「今はなまえちゃんの方がいい。あと少しだけでいいから、俺にこの手預けといてよ。」
別れから逃げるような行動だった。まだ帰したくない気持ちと繋いだ手を離したくない気持ちが寄り添い、二人は賑わう神社を後にして、近くの素っ気ない通りに出た。神社の裏手にあるこの通りは既に賑わいを忘れ、ただ寂しそうな帰路が遠くまで続いているだけだった。そこには神輿のような華やかさも、祭りへと誘う提灯のような温かみのある明かりもない。冷たい印象のコンクリートの坂道が何処までも緩やかに伸びている。秋山は何も言わなかった、だから、なまえも何も口にせず、うっすらと汗ばむ夜の道へ足を踏み出す。
緩やかであっても坂道は坂道で、二人の足取りは自然と重くなり、下駄もだらだらとした遅い間隔で鳴る。それでも秋山は前を見て、時折なまえを見て、坂道を上っていく。息切れしているであろう呼吸音も、じわりと湿る夏の夜の暑さも、まだまだ先があるこの道の景色も、この季節にしか味わえないものだと思うと、こうして二人きり息を切らして坂を上っているのも悪くない。悪くないのだが、どうして今自分達は息を切らして坂を上っているのだろうと考えると、何故だか可笑しくてなまえは一人笑みを漏らした。
「あれ、なんで笑ってるの、」
「だって、ふふ、私たちお祭りを楽しみに来たはずなのに、どうして今ここを上ってるんです?なんでだろう、って考えてたら、可笑しくて。」
「確かに言われてみりゃあそうだ。でも、俺のお目当てはこの坂の上にあるんだ。」
「坂の上に?」
「そう。だから、一緒に頑張ろう。」
頑張るのもいいですけど、少し休みましょうか、と声を掛ければ、そうだね、そうしよう。と足を止めて深呼吸を繰り返している秋山がいた。その姿にも笑みが零れ、なまえは赤い浴衣の背中を何度も擦り、秋山の回復を待つ。それから数分かけて息を整えた秋山は最後に大きく息を吐いて、なまえと共に再び長い坂を上り始める。どんどん遠ざかる祭囃子に後ろ髪を引かれる思いだったが、ひたすらに坂の先を捉える秋山に、なまえもあの場所に何があるのか見てみたいと思った。
それに先程は見つけられなかった、手を離さなくてもいい理由がこの道にはあるようで、なまえは自分と秋山の下駄の音を聞きながら坂を上っていった。
更に数分ほどかけて上り切った坂の向こうには、数多くの建物の群れが夜闇に潜んでいた。遠くの道を照らす電柱の小さな光、四角に灯る建物の明かり、自分達がいた神社が一番の光源で、周りのささやかな明かりとは比べ物にならないほど、暖色の光を放っている。坂の上には寂しい道が続いていた、秋山が何を目当てにここにやってきたのか、いまいち分からない。草むらと道路を区切るガードレールの前で足を止めると、秋山は腕時計を確認していた。
「…丁度いい時間だ。」
「何を待っているんですか、」
「夏の楽しみの一つかな、」
「それって……、」
なまえの言葉を遮るように大きな破裂音が聞こえ、そして数秒遅れて煌びやかな光が辺りを照らした。何色もの閃光が濃紺にベタ塗りされた夜空を眩しく彩っては静かに消えていく。瞳は自然とその閃光へ、何度も打ち上がる花火になまえは目が離せなかった。
打ち上げられる度に様々な姿を見せ、輝きを放って夜空に沈んでいく夏の景色を二人は黙って見ていた。
不意打ちでキスをすることも、夜空に浮かぶ花火が綺麗だと口にすることも、自然と離れた手を攫うことも無く、閃光の花が開き、散っていく様を二人は黙って見ていたのだ。そんな二人が次に口を開いたのは、花咲く夜空に長い静寂が訪れてからだった。
「お目当ての花火もあっという間に終わっちゃった訳だけど、」
「はい、」
「……このまま大人しく帰りますか、」
「なんだか残念そうですね、」
「なまえちゃんはさ、こう、まだ帰りたくないなぁって思わない?」
「確かにこのまま真っ直ぐ家に帰るのは、なんだか勿体ないような気がしますけど、」
ここで一つ閃くことがある。二人並んで、夏祭りの記念に撮っておきたい、この浴衣姿。まだ帰りたくない顔をしている秋山にそっと告げる。
「ゲームセンターに行きませんか。」
「ゲームセンター?」
「秋山さんも私も浴衣着てますし、プリクラ撮ってみませんか。」
「ああ、そういうことね。でも、俺そういうのに慣れてないよ?」
「プリクラなんて勢いで撮るものです。ですから、どうでしょう?私と。」
それなら、行くしかないじゃない。と乗り気な秋山の手を、今度はなまえが攫う。その行動が意外だったらしく、秋山は驚いた表情のまま、なまえに手を引かれて歩く。
「プリクラって顔変わるって聞くけど、本当なの?」
「フィルターで肌が凄く綺麗になったり、肌のトーンが変わったり、勝手に目が大きくなったりしますよ。」
「じゃあ、俺も美肌になって目が大きくなるわけ?」
「ふふ、それは撮ってみないと分かりません。」
「出来れば、かっこよく撮ってもらいたいんだけどなぁ、」
二人きりの寂しげな道、飛び交う話はまだ今日という日を終わらせたくないとはしゃいでいる。プリクラの後は適当なコンビニに寄ってお酒と手持ち花火を買おうだとか、じゃあ、今から海に行っちゃう?だとか、この後の楽しみがどんどん大きく膨らんでいく。
まずはゲームセンターでも、まだ物足りないと言うのなら近くのコンビニへ買い出しに、それでも満足出来ないなら神室町から近い海まで。
取り急ぎ、夏を満喫中。
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