彼女の屋敷から九十九のいる事務所へと戻り、状況を共有していると、九十九の方でも気掛かりなことがあるのか、一時話題になったネットニュースの記事をモニターに映してくれた。それは『とある起業家の娘が自殺』と言う、よくあるタチの悪いゴシップ記事だった。記事に載っていた大まかな住所、自殺の現場と載せられている写真はあの屋敷の景観そのものだった。そして、肝心の記事も依頼人である彼女の言う通り、起業家の娘は裏庭の木で亡くなっているのを発見されたと書かれている。
「じゃあ、この記事はただのゴシップじゃなくて実際の事件のことを掲載してるんだ」
「そのようですな。それにこの記事には、その娘さんの通っていた学校のことにも触れているのですぞ」
「そう言えば、僕達って肝心の妹さんの顔を知らないよね」
「その通り。僕もそう思い、この記事に書かれている学校を調べてみたのですが、」
「どうだった?」
「妹さんの在籍について裏は取れたのですが、そのご尊顔までは……」
「……卒業アルバムにも載ってないか」
卒業アルバムへの掲載は両親からの訴えで取り下げられているのだろう。実の娘の生前の写真を、満足に卒業出来なかったアルバムに載せることへの抵抗は理解出来た。しかし、それが意味するのは、今の自分達では彼女の妹の顔を知る方法が無いと言うことだった。つまり、自分達が妹の『頭部』を見つけたところで、その真偽についても見極める術を持たないと言うことでもある。
「しかし、また奇妙な事件だとは思いませんか」
「そうだね。遺体探し、しかも、見つからなかった『頭部』を探してほしいだなんて」
「お姉さんの心労も相当なものの筈ですぞ」
「出来れば、僕達で解決してあげたいけど」
「一筋縄ではいきませんな。今回の依頼はとても複雑で異質なのですよ」
その日は屋敷で得た情報を元に、互いの調査方針を固め、翌日から各々での行動を始めることにした。九十九は主にSNSやネット上での情報収集を、自分は引き続き彼女と共に屋敷内の探索を。夜が更けるにつれ、彼女らの存在が胸の奥に焼き付いて離れない。たったひとりの妹を亡くし、あの屋敷から離れられない姉と、そんな姉の思いなど知らずにこの世を去った妹。妹の日記では姉について全く触れてはいないものの、あの場所での暮らしは大切に思っていることが窺えた。
だが、妹は次第に自身の顔を恐れるようになった。その理由はまだ見つけられていない。級友との間で何かトラブルがあったのか、それとも、別のところで顔に関するトラブルに見舞われたのか。どちらにせよ、まずはその妹の顔を知ることが重要だった。明日、屋敷に着いたら彼女に妹のことについて、より掘り下げて聞いてみようと思う。早く彼女が穏やかに眠れる日が来ることを祈る。
***
そして翌日、再び彼女の屋敷の門を潜っていた。昨日と違ったのは、彼女が先に庭先でこちらの到着を待っていることだった。
「こんにちは、探偵さん」
彼女は正にこの屋敷の主に相応しい出で立ちをしていた。昨日とは違う白で統一されたファッションに、ここが悲劇の起きた場所だとは今でも信じられない。庭先を彩る草木は蕾をつけ、たっぷりと花弁をあしらえて咲き誇っている。よく手入れのされた美しい庭だった。そこに佇む彼女が同様に美しく映るのは、彼女の身につける白という色が後ろめたい事件の残穢を払拭してくれているように思えた。
彼女と合流してからの足取りは、例の現場である裏庭の木の袂へと向かっていた。美しい庭園を抜け、案内された先に見えるのは鬱屈とした陰気臭い森にも似た緑達だった。日が高い時間であるのにもかかわらず、薄暗くひんやりとした空気に圧倒される。ざっ、ざっ、と生い茂る草を踏み締める音に恐怖が助長されていた。
「確かに、ここなら発見に時間が掛かるのも分かる」
「薄気味悪い場所ですから、滅多に足を踏み入れることはありません」
「なまえさん、ひとつお願いがあるんだけど、いいかな」
「なんでも仰ってください」
──── 亡くなった妹さんの顔が知りたい。
ぴたり、と風が止む。不自然なくらいに、裏庭の森が静寂に包まれる。元々静かな場所だと聞いていたが、自分のこの一言で更に静寂が重たいものへと変わってしまった気がする。彼女は、今日もまた顔を覆う薄布の奥で沈黙している。避けて通れない問い、だとは思わないだろうか。彼女の依頼が『妹の首を探してほしい』と言うのなら、それに纏わる特徴を掴んでおく必要性があると。
だが、その問いが間違いのようにも感じられるのは、足を踏み入れたこの土地の全てが自分を突き刺すような視線で見ているからだろうか。瞬きをせず、ツン、と尖った睫毛のまま、黒目だけをこちらに向けているような鋭い圧迫感。
「実は私もそうしなければ、と思っていたのですが、残念ながら妹の写真は全て無くなっているのです」
「一枚もないって、そんなの、」
「写真の行方は分かりませんが、あの屋敷にはないのです」
「それじゃあ、何を手掛かりに妹さんを探せって?」
「私なら一目見ただけで分かります」
「……あのさあ、」
あまりにもいい加減な言い分に声を荒らげた時だった。不意に自分の視界から彼女が消え、何事かと足元を見れば、太い木の根が地を這っており、彼女はそれに毛躓き、膝を着いていた。小さな悲鳴すら聞き取れなかったからか、反応が遅れてしまった。急いで彼女に駆け寄り、手を貸す。
「身勝手だとは分かっています。……でも、本当に無いんです。写真すら、どこにあるかも分からない」
「それは妹さんが持ち出したってこと?」
「分かりません」
「ごめん、責めたかった訳じゃないから」
ワンピースの裾から酷く色白な足が見えた。茂みを歩くのに似つかわしくないパンプスの足首は薄らと赤らんでいた。膝も土で汚れており、所々皮膚が裂けて血が滲んでいる。
「……歩ける?」
「私のことは構わず、行ってください」
「こんな所に置き去りになんか出来ないよ」
「探偵さんの邪魔をしては悪いですから」
「いいから、来て」
座り込んだ彼女に自分の背を向けると、控えめな声が聞こえてきた。申し訳なさの滲む言葉は紛れもなく彼女のものだ。
「ほら、早くしないと置いてっちゃうよ」
「ありがとうございます」
細く柔らかな腕が首に回され、人ひとり分の重みが背中にのしかかる。彼女をしっかりと背負い、のそのそと歩き出す。足元に注意しつつ、自分も転倒しないように足の置き場を選んびながら、薄暗い森を抜けていく。僅かに差し込む木漏れ日を浴びながら、静けさの奥地へと誘われていく。
「重くないですか」
「全然。僕、こう見えても結構タフだから」
「小さい頃、父に背負われて以来です」
「僕は初めてかも。誰かを背負うなんて経験なかったから」
「探偵さんはどうして、探偵に?」
「僕は元々、探偵なんて柄じゃなかった」
ならば、何故横浜の地で九十九と共に探偵業を営んでいるのか。それは少し前の事件に遡る。とある殺人鬼が当時恋人であった女を殺し、家に火を放った。犯行直後に駆け付けた警官によって取り押さえられた犯人は鬼のような形相を浮かべていたと聞く。しかし、それは作り上げられた偽りだった。恋人だった女を殺したのも、彼を血も涙もない殺人鬼として仕立てたのも、全くの別人による犯行だった。その時に亡くしたのが自分の姉で、世間は姉の愛した恋人を殺人鬼だと大々的に報道し、晒し上げ、社会的に抹消してしまった。
自分もそう信じ込んでいた一人で、その偽りは自分が探偵業を営むきっかけになった、とある名探偵によって暴かれることとなった。向き合わなくちゃならない真実がある、これは彼の言葉だ。逃げ続けていては見えない真実を知る為に、何処まででも探求する姿に自分の人生の岐路が定まったのではないかとも思っている。そして、自分は気の合う九十九と共に新天地で探偵業を始めたのだ。
「僕も姉を亡くしててね、勝手になまえさんのこと肩入れしてる」
「似た境遇なんですね」
「そう。もし、あの事件さえ起きなければ、僕は絵美のことをこうやっておんぶしてやったかもしれないってね」
いや、でも、それはあの人の役目か。僕は所詮、ただの弟だからさ。と何気なく口にしたつもりだった。すると、不意に体にしがみつく腕に力が入ったような気がして、彼女に問い掛けると涙の匂いがした。どう表現したらいいのか分からないが、一言でいうなら潮風の匂いに似ていた。
「あの子の傍にも、探偵さんみたいな人がいたら良かったのかもしれませんね」
「……え?」
風が強く吹き付け、彼女の言葉を攫ってしまう。上手く聞き取れないでろくな返事も出来ずにいると、ごめんなさい。やっぱり戻りませんか。と彼女の苦しそうな声が背骨越しに伝わってきた。やはりまだ早かったのかもしれない、彼女も予期せぬ怪我に見舞われてしまった。ここは彼女の言う通りに引き返すべきだと、踵を返せばもう一度だけ彼女の声で、ごめんなさい。と聞こえてきた。
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