心地よい眠気に誘われていた。今日は久々の休みということで、朝から行動を共にしてくれた真島が隣に、自分の部屋にいる。窓の外の紺色の夜空に休みの終わりを告げられ、どこか切なさに襲われていたのだが、この心地よい眠気は今日一日がとても充実していたのだと教えてくれていると気付く。最近は年度末の繁忙期を迎えて忙しかった仕事にようやく落ち着きが見られ、リフレッシュを兼ねて休みをいくつか入れ込んだのだが、いざ休みをもらってもどう過ごすべきかと足踏みをしてしまっていた。
そこで強力な助っ人の登場である。自分でも本当に不思議に思うのだが、どうして自分のような一般会社員が神室町のヤクザと知り合いになれるのだろうか。もちろん、立場的には関わりのない方が良い相手なのだが、憎めない性格と荒唐無稽、破天荒な言動や行動に惹かれている自分がいる。だからか、細々とした付き合いでもこの関係は成り立っている。勿論、まだそんな関係では無いが、ただの友人なんて薄情な関係でもない。
「なんや、もう眠いんか。なまえちゃんは」
だらしないのぉ、と怪訝そうな顔をしつつも肩を貸してくれている真島の隣はやけに居心地が良く、離れがたい。自分と過ごすからと控えてくれている煙草の香りが好きであることをまだ伝えていない。今日はこの真島のおかげで充分に息抜きが出来たように思う。不思議だ、相手が極道であっても、ふとした時には自分を優しくくるんでくれる毛布になってしまうのだから。自分は、真島にとってそうであるだろうか。センチメンタルを一欠片、口にしては真島を密かに見た。左目の眼帯の奥の過去を知らないが、不便しているだろうとは思う。もし、自分がその左目の代わりになれたら……、そう考えたところで自分らしくないと、照れ臭さのせいにして中々口に出来ない理想から目を逸らした。
「今日はありがとうございました、すごく楽しかったです」
「お疲れさんやったからなァ、」
「真島さんに声掛けて正解でした。今日は今年で一番充実した日です」
「一々大袈裟や、まだそないに日ィも経っとらんやろが」
「……じゃあ、桐生さんにでも声掛けた方がよかったですか?」
あかん、と間髪入れずに相槌をねじ込ませてきた真島は、この時だけとても分かりやすい相手のように思えた。眉間の皺、意地っ張りなへの字口、機嫌を損ねてしまったのにも関わらず居心地の良さは変わらない。不機嫌な理由も分かっている、けれど、互いに離れようとはしない。真島という人間にも甘い部分が残っており、自分はその懐にいることを許された人間なのだと告げているのだ。許されて与えられたそれを優しさと呼べばいいのか、あたたかさと呼べばいいのか。分からず終いでいることさえ、真島から与えられたものだと思えば、離れがたさにより拍車がかかる。
「桐生ちゃんなんぞに任せられへん。そないなことしてもうたら、」
あのスケコマシな桐生ちゃんのことや、なまえちゃんにゾッコン間違いなしや。
髭を蓄えた口元を歪めながら話す真島の、本気か冗談か分からない言葉が意外だと、自然と口角が上がっていく。すると、見えない左側にいると言うのに、真島も釣られて同様に笑みを浮かべていた。
「なんかあったら、なまえちゃんの親に顔向け出来へん」
「う、うちの親の話します……?!い、今、」
「当たり前やろ、こっちでなまえちゃんの面倒見とるのは俺やろが」
「わたし、そこまで子どもじゃないですよ……!」
「ムキになるところが、ホンマにな」
したり顔の口元に、言葉を失う。真島の話術に嵌ってしまったのだろう、感じて欲しくない子どもらしさをたった今、目の前で露呈してしまったのだ。その時々で真島の目線は変わる。時には今のように親のような目線で、時には同年代の友人のような目線で。そして、時には、寄りかかってしまいたい相手のような目線で、真島は隣にいてくれるのだ。ここまで人懐っこい極道がいるだろうか、未だ本職の顔をまともに見たことがない故の勘違いなのだろうが。
「でも、久々に湯乃園行きましたよ。やっぱり広いお風呂って気持ちいいですね」
「なまえちゃん家じゃあ、足が窮屈そうでかなわんからなァ、」
「ふふ、そうですね。だから、しっかりちゃんと百数えてから出ましたもん」
「茹でダコなるまで風呂浸かっとったんはなまえちゃんだけやったけどな」
真島曰く、湯乃園の浴衣に袖を通したなまえがどれほど色っぽく見えるか期待していたのだが、いざ湯船から上がって出て来たなまえは肌を桃色に染めており、色気どころの話ではなかったのだそうだ。湯上がり美人というより、茹で上がったタコのようにのぼせており、風呂上がりの牛乳を美味しそうに飲んでいる姿を見て、それはそれで腑に落ちたのだと言う。つくづくなまえらしい、という意味で。その後は軽く卓球に興じるつもりが、真島となまえは白熱の戦いを繰り広げ、勝った方がアイスを奢るという条件で二人は点取り合戦に勤しんでいた。
「真島さんも意外と子どもっぽいところがあるなあ、なんて思いましたよ」
「勝負事に手抜きは厳禁や。やるなら、とことんやらなアカンやろ」
「だから、バッティングセンターでもあんなに気合い入れてたんですか?」
「おう。バッセン言うたら、球、カッ飛ばすんがおもろいんやないか」
湯乃園の他にも、毎度お馴染みのバッティングセンターや韓来での食事など、神室町のあちこちをぶらりとしてきた。繁華街である神室町でそんなことが出来るのは、ひとえに真島が一日同行してくれたからだ。もし、自分一人だけだったなら、息付く間もないほどに新手の呼び込みや何かを期待する誰かに呼び止められ、休みだと言うのに逆に疲労させられたことだろう。だからこそ、そんな自分に付き合ってくれる真島を大切にしたいと思った。いつだって真島は居心地の良い時間を与えてくれる。ならば、自分もそうありたい。
「また誘ってもいいですか」
「ああ?なんや、急に」
「今日みたいにどうしていいか、迷ったら……」
「そん時は神室町中、連れ回したる」
「ふふ、約束ですよ」
「おう、男に二言はないんや」
取り付けられた次の約束が嬉しくて、真島の肩を過ぎ、レザーの膝に頬を寄せる。思い切り過ぎただろうか、と僅かに真島の方を見上げれば、穏やかさの滲む顔があった。真島もこのような優しげな顔をするのだと初めて知る。拒まれないのを良いことに、なまえは大人しく視線を戻す。すると、頭に何かが触れた気がした。しかし、それは気の所為ではなく、確かになまえの頭や髪を撫でていた。レザーの滑らかで冷たい感触ではない、寧ろ温かく人肌の感触で骨ばった指先が何度も愛でている。
「珍しいなァ、なまえちゃんが甘えとる」
気恥ずかしさよりも、嬉しさの方が勝っていた。拒まれなかったこと。寧ろ、受け入れてもらえたこと。優しく触れてもらえたこと。そして、何より真島もまた同じ雰囲気に呑まれ、穏やかでいられることがなまえは嬉しかった。だが、今の胸中を上手く言い表す言葉が見つけられず、なまえは黙って背中を丸めていた。膝を抱える子どものように体を丸め、真島の傍にいたいと寝転がっている。
「ほんなら、なまえちゃんの気ィが済むまで、こうしといたる」
良かったのぅ、なまえちゃん。と降り注ぐ声に頷くと、喉の奥で愉快そうな笑い声を上げる真島がいることに気付く。誰かに無条件で寄り掛かることに抵抗を覚えてしまうのが人間だ。自分も例に漏れず、その一人であると自負していた。だが、無条件で寄り掛かれる相手がいることも、かけがえのないものであると思えるのだ。もしかしたら、一人でいたくなかったのかもしれないと、自分の素顔が見え隠れしたところでなまえは真島に淡い思いを抱いていると知った。すると、忘れていた眠気が甦ってきたようで、これ以上は真島に甘える訳にはいかないと分かっていながらも、その心地良さに抗えないのだった。
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